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政治力学っちゅうヤツやな

 クルマは峠道を上り切った。

 錦江湾が見えた。その向こうに、噴煙を上げる桜島が見えた。


「三世紀、魏朝が卑弥呼邪馬台国を倭国の王と認めた。かつ対等な外交相手と見做した。(狗奴国を除く)邪馬台国の周囲も、魏朝との外交に異を唱えんかったし妨害もせんかった。畿内大和朝廷も、自分達を差し置いて邪馬台国が魏朝と勝手に外交を結んでも、文句を言えんかった」

「うん、そこ大事だよね」

「政治力学っちゅうヤツやな。だイも指摘せんけど、それこそが邪馬台国比定地の、要件であり決定打やろと、オイは思う」


 うんうん。――

 そういう事なんですよ。つまり「邪馬台国たり得る要件」ってのが、あるわけですよ。


 畿内大和朝廷であれば、多分すんなりそれを満たしているよね。

「わてらが倭国の政権でっせ」

 と、魏朝に対し大威張りで主張出来る。おそらく他勢力も文句を言えない。


 しかし魏志倭人伝の記述を読む限り、そうではないっぽいよね。かつ記紀の記述とも一致しないってところも、おかしい。記紀には邪馬台国を想起させるような歴史が、全然書かれていない。


 ……となると、意外にもその答えは一つに絞られる。畿内大和朝廷以外で、魏朝と対等に外交を結べる勢力はどこに存在したのか。そりゃもう、卑弥呼様の言う「本家ぃやぅまとぅ」たる、宮崎の日向勢力でしょ。


 候補としては出雲勢力なんかもあり得そうだけどさ。でも行程にしろ風習にしろ、魏志倭人伝の記述とは合わないよね。そもそも出雲勢力が魏朝と勝手に外交を結んだら、畿内大和朝廷が黙っていないだろうし。……

 北部九州勢力ではないか、という可能性もあるけど、それも何か違うっぽい。敬太郎君や智ちゃん情報によれば、あちらは二世紀後半頃から勢力衰退してるらしいよ。まさに倭国大乱って書かれている時期に、ぃやぅまとぅ勢力に敗北したんじゃないかな。


 現時点でそれ以外に、当時魏朝と対等外交を結べるような勢力は見当たらない。雄治の指摘する「政治的要件」を満たしているのは、宮崎の日向勢力しか考えられないのである。


 古代の宮崎には、神武東征の出発点たる歴史がある。その頃から既に、強大な経済力を有する先進地帯であったことを裏付ける、考古学的成果もある。東征後も古墳時代に至るまで、引き続き強大な勢力を有していたという考古学的裏付けもある。つまり答えは宮崎一択ではないか。――


「宮崎なら紗耶香の言う如くごつ、魏志倭人伝の行程記述にドンピシャや。宮崎平野全体から膨大な遺物が出土しちょっせ、考古学的成果からも裏付けは充分。ほイで大和朝廷の本家っちゅう歴史観も成り立つ。諸説紛糾する中で、邪馬台国宮崎説のアドバンテージは、まさにそこやろなあ」


 都城みやこんじょ市街地に入った。陽は完全に落ち、暗くなっていた。

「雄治先生。ひとつ質問っ」

「何?」

「あたし達のようなずぶの素人でさえ、そういう結論に辿り着くでしょ!? どう考えたって最有力でしょ!? でも学者先生方は、宮崎説なんて誰も唱えないじゃん。全く眼中に無いっぽいよね。どうして?」


「そうやなあ……」

 雄治はハンドルを握りつつ、大きく溜息をつく。

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