やっぱ違うち感じるよなあ
卑弥呼様が降臨するようになってから、あたしは新たなセンスに目覚めたのかもしれない。
まだ具体的にどうこうとは説明しづらいんだけど、妙な直感が働くようになった……気がする。虫の知らせ的、というか、突然頭にピンっと電波でも飛んで来るような感じ。何かあるぞ……っていうサイン。
ちなみに昨日、吉野ケ里遺跡から移動する途中で立ち寄った商業施設で、そういうサインがあったんだよね。で、ふと見回すとすぐそばに宝くじ売り場があったから、一応連番で一〇枚買っておいた(笑)
ここ、可愛山陵に関しては、そういうサインが無い。なお今回の遺跡巡り中、それを感じたのは高千穂峡だけ。いや、あたしもそれが新たなセンスなのかどうか、まだ全然確信を持てないから、誰にも話してないんだけどね。
次にふたりが向かったのは、鹿児島空港に程近い、高屋山上陵である。
海幸彦ことホオリの御陵ということになっているらしい。
でも、これまたな~んか違うっぽいんだよなあ。さっきの可愛山稜と同じく神社があるんだけど、御神体は円墳らしい。葺石で覆われているそうで、多分古墳時代に築造された物だよね。だとすればホオリさんは全然関係ないでしょ!? 時代が全然違うじゃん。
あたし達はさらに、大隅半島を南下して、鹿屋市の吾平山上陵へと向かった。
キレイに整備された、観光スポット的な場所。ウガヤフキアエズの御陵らしい。既に訪問した可愛山稜、高屋山上陵とここの三ヶ所を、「神代三陵」と呼ぶのだとか。
「特に、何も感じないんだけどねえ……」
「おう。ここは戦前に水害があって、改めて整備されたらしいぞ」
「う~ん。だから何も感じないのかなあ」
雄治は汗を拭きつつ、ペットボトルのコーラをごくりと飲む。
「やっぱ違うよなあ。こン『神代三稜』は、明治時代に薩摩ン政治力で治定されたようなもンやからなあ……」
「あ、そういうこと!?」
「実際に三ヶ所回ってみて、やっぱ違うち感じるよなあ。いや、記紀には『日向国』っち書いちょっとよ」
「へ?」
「大昔は鹿児島県を含めっせ、日向国やったとよ。で、後から大隅国と薩摩国の三つに分割された。だから、『日向ち書かれちょっけど、要するに薩摩や』っちゅうのが明治ン薩摩人の論法やな。『神代三稜は全部薩摩にある』と。じゃっどん可愛山稜も吾平山陵も、高屋神社も、三つ共宮崎県にもある」
「へ~~~~。なのに鹿児島の方がホンモノ認定されたわけ?」
「そうだろうなあ。明治初期は薩長ン政治力が強かった。鹿児島にも同じ地名があっせ、薩摩ン連中が『神代三稜は薩摩にある』っち主張した。皇室関係ン役人も『多分違う』ちボヤきつつ、薩摩人の政治力に勝てんでこン三ヶ所に治定したごつある。宮崎人的には、全部持っていかれたっち感じやな」
「まぢですか~」
「宮崎ん吾平山陵は、鵜戸神宮ン隣にある。可愛山稜は県北北川町にある。高屋神社っちゅうのも宮崎市内にある。そっちが本命じゃらせんどかい」
「何かそっちの方が、歴史的経緯を考えるとしっくり来るよねえ」
既に昼の三時を過ぎている。
あたし達は早々にクルマに戻り、今回の最終目的地を目指した。