美しい城
その国にはこの世で最も美しい城がある。穢れ一つない純白の城壁は光のない夜にすら輝いて見えるという。しかし、その門はいついかなるときも堅く閉ざされ、開かれることは決してない。世界中の誰もがこの美しい城の住人となることを夢見ている。しかし、城は外部との連絡の一切が途絶えていて、この城に誰が住み、どのような生活を送っているのか、それを知る者はいない。しかし、あれほどに美しい城なのだから、きっとその中には楽園のような世界が広がっているに違いない。人々はそう信じた。
ある時、この国で最も富める者が、彼の持てる限り、夥しい数の財宝を運び出して、城の前で叫んだ。
「このすべてを貴方たちに捧げる。どうか私を貴方たちの仲間としてほしい。」
しかし、その懇願は虚空に響き渡り、城は沈黙するばかりだった。城は財など望んではいなかった。
ある時はこの国で最も高い地位を築いた宰相が門の前で声を挙げた。
「もし、私を貴方がたの仲間に加えて頂けるなら、私の持てる全ての権利を貴方たちに委ねよう。そうすれば、この国は貴方たちの思うがままだ。」
人々は遂に門が開くのではないかと期待したが、城はそれに応えなかった。城は地位も名誉も望まなかった。宰相はひどく誇りを傷つけられ、逃げるようにその場から立ち去った。それからも幾度となくあらゆる者が出来る限りの手を尽くして入城の為に交渉を試みたが、その中のただ一人として、あの白き城壁を越えた者はいなかった。
人々はやがて理解した。どんなに財を手にしても、どんなに高い地位を築いても、その城に入ることは許されない。どれだけの誇りを掲げても、城はただ沈黙し、我々の目の前で燦然と輝き続けるのみである、と。だが、それだけの挫折を味わっても人々は城の輝きに魅せられ、諦めることがなかった。そして、城に入る為のあらゆる考えを巡らした者は皆、口を揃えて同じことを言うようになった。
「城に入るにはあの門番を倒すしかない。」
あの美しい城、その荘厳な城門の前には一人の兵士が立っている。いつから彼が門の前に立っているのか誰にも分からない。だが、彼だけが唯一、人々が目にすることの出来る城の関係者であった。彼はこの国が誇る最高の戦士であると言われ、鶴のように白く美しい鎧を身に纏い、シギのくちばしより研ぎ澄まされた刃を腰に掲げ、顔を覆う兜の奥に潜む鷹のように鋭い瞳はどんな敵の動きも見逃すことがない。
まず最初に人々の噂を真に受けた血の気の多い若者たちが武器を持って、城に入ろうと門番に戦いを挑んだ。しかし、そのいずれも兵士の刃の錆びとなり、己が身に鮮血の花を咲かせ、散っていった。
かつて入城を拒否されたこの国で最も富める者は、門番の首に莫大な額の賞金を懸けた。腕に自信のある戦士たちが名乗りを挙げ、次々に戦いを挑んだが、やはり彼らの花も同様に門番の剣閃によって真紅の色に染められてあえなく散った。それでも金に眼が眩む挑戦者たちは絶えることがなく、門の前にはただいたずらに無数の屍が築き上げられ続けた。
その頃、この国の宰相は彼の持ち得る財と権力すべてを用いて国内外から戦士を集め、兵団を結成し、徒党を組んで、門番を討ち滅ぼそうとしていた。彼は自身の入城が拒否されたことをひどく恨んでいた。その矛先を門番に向け、その後であの城を自分のものとして蹂躙、征服してやるつもりだった。門番を討ち取った者には最高名誉勲章と副宰相の役職を与えると宣言した。富と名誉を求めた者たちによってあっというまに一個師団に匹敵する兵団が完成した。富める者もまた、宰相に手柄を取られまいと門番の討伐を急いだ。
結果、2つの勢力に加勢した千を越える武装した戦士たちが鬨の声を挙げ、たった一人の兵士目掛けて突撃する数奇な光景を人々は目撃することになった。しかし、大地を揺らすような戦士たちの叫び声は次第に弱々しく、最後には悲鳴のような叫び声に変わり始めた。門番は数をものともせず戦士たちを斬り捨て続けた。鮮やかな剣捌きと身のこなしで次々と鮮血の花が散る。それにも関わらず門番の白い鎧には血の一滴すらも染み付いてはいなかった。門番はまるで草木を薙ぎ払うようかのように剣を振るい、手当たり次第に戦士たちを血に染め上げた。
戦士たちは薄れゆく意識の中であることに気が付いていた。門番が戦士を一人斬る度に背後にそびえる美しい城が今までよりも一層美しく輝いていくことに。宰相と富豪も輝きを増す城をただ呆然と眺めていた。しかし、やがて血の滴る剣を手に門番が二人の目の前に現れた。気付けば戦場に立っている戦士は誰一人として残っていなかった。宰相と富豪は地に頭を伏して命乞いをした。
「わたしたちはただあの美しい城の住人になりたかっただけなのです。」
「どうかお赦しください。」
彼らを見下げながらはじめて門番はその口を開いた。
「私は城に入る者を拒んだことなど一度としてない。」
ふたりはその言葉の意味を理解できなかった。しかし門番はなおも続けた。
「お前たちのことも歓迎しよう。」
「ほんとうですか。」
「ではあの門をお開き下さい。」
門番の言葉に二人は顔を見合わせて歓喜の表情を浮かべたが、次の瞬間、彼らの首は宙を舞い、身体は地面に崩れ落ちた。それと同時に美しい城はまた僅かに輝きを増した。
「城が求めるは死あるのみ。死者の魂を以て城は輝く。」
そう言い残して門番は剣を鞘に収めた。
数日後、兵団に参加しなかった欲なき子供たちが城の様子を見に行ったが、そこにはただ荒れ果てた荒野がどこまでも広がっているだけだった。それを見たとき、子供たちはこんな荒れ地までわざわざ自分が何をしにきたのか思い出せなくなって、首を傾げながら帰路に着いた。
美しい城の消えた後、宰相によって独裁制と化していた治世は民主主義を取り戻し、富豪による理不尽な課税で苦しめられていた民衆は生活の貧困から解放された。
欲望と争いのあるところ、この世で最も美しい城が現れ、人々はそれに魅せられる。そして城の住人となることを願ったが最後、その輝きの一部として魂を奪われるという。
城門の前には鶴のように白く美しい鎧を身に纏い、シギのくちばしより研ぎ澄まされた刃を腰に掲げ、兜の奥に鷹のような鋭い瞳を隠した門番が立っている。彼は美しい城に仕える騎士であり、その剣を以て生と死の境界を分ける黄泉の使者である。
歴史の影で時折、多くの人間が何の前触れもなく消える。その背後であの美しい城が輝いていることを未だ誰も知らない。