第8話・それはまるで儀式のように
「ラン! これってどういうー」
私がタイチと呼ばれた男性に飛び付こうとしたき、すぐにランは制止した。大きな声だったはずなのに、布団で眠っているタイチはピクリとも動く様子が見られなかった。
「だから、今日あんたは見学って言ったでしょ」
ランはそれだけ言って、タイチの枕元へと座り込む。それから肩から掛けていたバッグを開き、その中から小さい箱を何個も取り出していく。箱には液体の入った瓶が入っていたり、注射器が見えたりした。ランはその一つ一つを確認してから、タイチの腕を掴んで脈を取っていた。
「タイチ、今日は調子はどう?」
タイチの耳元まで口を近づけ、ランは私が聞いたことのない声でささやく。私の大きな声には何も反応しなかったタイチだが、ランの声に答えるように首を傾け始める。その動きはまるでカタツムリのように遅いが、ランは静かに自分のほうに目が向くのを待っている。
「ランちゃん、おはよう」
「おはよう、タイチ」
「ねぇ、今日は約束の日だよ」
「……わかってるわ」
「契約書にも、サインした。お金だって、君の口座にすでに、振り込まれているはずだよ」
タイチは話すのも苦しそうで、息も絶え絶えに言葉を吐き出し続ける。その言葉を一つたりともこぼさないようにランはうん、うんと頷きを返す。
「じゃあ、準備するわよ」
ランの言葉を聞いて、タイチはすべてを悟りきった僧侶のような顔つきになる。彼がすべてを受け入れる決心を見届けたランは、箱から注射と瓶を取り出す。ランは手際よく注射に薬を入れ、針の具合を確かめる。恐らくだが、よくないことが起こる。
私は止めなければいけないはずだ。だが、ここで私がランの行動やタイチの覚悟を鈍らせたとして、その後に何ができるだろうか。タイチが今浮かべている表情を見ると、まるで自分の考えのほうが間違っているのかとさえ思わされる。
「タイチ」
ランはすべての準備を済ませ、タイチにもう一度語りかける。
「ああ、薬は約束の時間に合わせてね」
「わかっているわ。あなたが生まれた時間に合わせたのでいいのね」
タイチはランの声を聞いて目をつぶる。彼の目尻からは涙がこぼれ、壁掛け時計の針の音だけが鳴り響く。時計が十一時を過ぎたとき、ランはゆっくりとタイチの袖をめくりあげる。すでに何度も針で刺したのだろう、間接部分は青くなって打撲跡のようになっていた。
しかし、未だ関節には点滴パックから伸びるチューブの針が刺さっている。ランはその針を抜かず、自分の手に持っている注射を二の腕に刺し、ゆっくりと薬を投与していく。タイチは苦しむことなく、そのまま目を閉じて何も言わなくなった。
ランは彼の脈を取り、時計を見て
「十一時三十三分、青井タイチ。享年二十三歳」
と臨終を告げた。
「サクラ、彼の体に刺さってある針を抜いてあげて」
私は目の前で起こっていることが受け入れられなかった。自殺を止めた女が、他人の「自殺」を手伝っている。それだけではない。あっさりと目の前で人が死に、もしかすれば二週間前に私はタイチよりも先にこの世から消えていたのかもしれない。
しかも、誰にも見られないままに。
「ちょっと、サクラ。ボーっとしていないで手伝って。サクラ、さくー」
タイチの最期を見た私は、この世界から切り取られるように意識がブラックアウトした。




