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第2話・肉食獣の女

「ねぇ、何してたのかって聞いてるのよ」


電車もすでに通り過ぎ、目の前の女の声で耳がキーンと鳴ってしまう。


「ねぇ、聞いてるのよ」


私は二回聞かれてやっと我に返り、自分がやろうとしていたことを思い出した。その途端に体内からブツブツと鳥肌が立つように表皮が震えだし、腕をつかまれたまま私はその場にペタリと座り込んでしまった。


私、いまこの遮断器を超えようとしていたんだ。


その事実を自認するだけで、どろりとした黒い感情が口から飛び出しそうになる。


「わ、わたし」


「もしかしてだけど、死のうとしてたとか」


女は隠すつもりもなく、包むこともなく、うわべを飾ることもなく現実を突きつけてきた。あまりにも真っ直ぐな質問に、私はこくりと頷いていた。


「そう。深く立ち入るつもりはないけれど、目の前でほいほいと自殺なんてされたら寝つきが悪くから。あまり短絡的に死のうなんて考えないほうがいいわよ」


「え?」


「考えてみなさい。たまたま通り掛かった踏切前で人が電車に飛び込む。どんな悪人でも自殺する現場なんてみれば、助けられなかったと罪悪感を抱くじゃないかしら。人の安眠を奪うなんて、大罪よ」


私はぽかんとして女を見つめる。その顔がよほど不思議だったのだろうか、彼女はなによ、と言わんばかりに睨みつけてくる。一切の憐憫は感じられない、私に対する純粋な悪意の視線だった。


「まだなにか用?」


「あの、その……。私は少なからず死にそうになっていたわけですから、もうちょっと優しい言葉がやってくるものかと思っていて」


「甘えてるんじゃないわよ」


女はズイと踏み込み、私の顔を覗き込みながらつらつらと言葉を並べていく。


「もし、あのまま電車に突っ込んでいたとして。あなたは死んでオッケーってなるかもしれないけれど、こっちはまだまだ生きなきゃいけないの。あなただけ楽になって、こっちにだけ不幸のタネ振りまくなんて、不公平だと思わない?」


「それは、その……」


「そりゃ死にたくなるほどつらいこともあるんでしょうけど、


あなただけ勝手に楽になるなんて。そんなのずるいわ」


私は目の前にいる女に命を救われた。うれしいはずだ。うれしいはずなのに、なぜこんなにも不快な気持ちになるのだろうか。あの上司にしろ、目の前の女にしろ、私は生きようと死のうと誰にも認められないのだろうか。


「……んたに」


女は不思議そうに私を見てくる。握っていた手を握り直そうとするが、私は振り払って距離を取る。


「あんたに何がわかるっていうのよ!」


今まで溜め込んでいた黒い感情が一気に逆流し始め、それを止めようとしてカチカチと奥歯が鳴り出す。でも、もう無理だ。目の前にいる女が誰だなんて知らない。誰でもいい、吐き出さないと、本当に壊れてしまいそうだった。


「なんであのまま殺してくれなかったのよ。あんたの寝心地なんて、私からすればどうだっていいよ。あのまま電車に轢かれたら、私はもう仕事に行かなくて良くなるのに」


「そんなの、死ぬ前に仕事辞めればいいだけじゃない」


辞めればいい。その言葉を私は本で何回も見たし、自殺を考えながらネットに潜っているときに腐るほどみたフレーズだ。結局はお前もか、と感じた瞬間に私は夜空いっぱいに声が響くほど笑っていた。まるで壊れた笑い袋のように。


「あんたがどんな仕事してるかしらないけれど、生活の中で何も不満ないからそんなこと簡単に言えるのよ。でもね、現状を変えようとしてもできなくて、ただ『生きよう』とか『死ぬのはダメ』とか言われて飼い殺される人間がいること考えたことある? それって死ぬよりつらいんだよ」


私は語気を強めながら立ち上がり、女に詰め寄る。何も抵抗しなかった女は棒切れのように倒れてしまい、勢いそのままに私は女の体に馬乗りになってマウントを取った。私は女を見下す。私はお前と違い、歯を食いしばって仕事しているんだ。ハウトゥ本に書いてあるような内容を丸々話しちゃうような空っぽ頭のお前とは違うんだ。私は私の決定を邪魔した異星人が憎い。


考えるよりも先に、女の首元に手を伸ばしていた。喉に手が触れ、女の温度が肌に伝わってくる。それでも彼女は真っ直ぐにこちらをみていた。その目はまるで、私が本当に殺すのかどうか楽しみにしているような、恍惚としたまなざし。自分が殺されそうになっているにも関わらず、どうして彼女はこんなにも嬉々としていられるのだろうか。


「ねぇ、手が止まっているみたいだけれど」


自分の手が女の首元を締め、じんわりと跡が付いているのがわかる。私は飛び跳ねながら彼女から離れ、尻もちをついてしまう。


「最近、あなたみたいな死にたがりの社会人が増えてるみたいだけど。それ流行ってるのかしら?」


女は首元をさすることもなく、ゆるりと私の前に立ちはだかる。


「よくわからないのよ、私こういう性格だから。あなたはさっき飼い殺される人間の気持ちがわからないって叫んだけれど、私ならば死に向かうような環境にずっと居続けようなんて思わないの。ねぇ、あなたはどうして自殺するまでそんなひどい環境にいたのかしら?


それが無理なら、さっきあなたがやろうとしたように、邪魔な存在を殺してでも自分の居場所を作ればいいじゃない。ねぇ、あなたはどうやってこの世界で生き残りたいの? 本気で考えたことある?」


女は頭に浮かんだ疑問を銃弾のように放ってくる。何も言えなかった。それは彼女の質問が弾丸のように早いからではない。上司を前にした言葉の詰まり方とも違う。さながら野生の肉食獣だ。「生きる」ことに対してまったく違う考え方を持つ生物を前に、


文字通り私は身動き一つ取れなくなっていた。 

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