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Star:Gazed  作者: 綾葉咲
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中:「セカイ」と「セカイ」

前回「後編へ続く」となっておりましたが、予想以上に字数が増えてしまいました。


話の展開をもっと上手く作れれば、と思う次第であります。

《9月2日》

眠りが浅かった俺は、この時期特有の早い日の出に合わせるように起きてしまった。

未だにカーテンを開けて外の世界に目を向ける気分にはなれないが、布地の隙間からあかあかとした光が差しているのが見えた。

……外の世界は恐ろしい。

足場を1つ踏み違えれば、谷の底まで真っ逆さまに落ちてしまうのだから。

プロデューサーという職を失ってから1ヶ月。求人のアテを求めて世界の隅(惨めな世界)を這い回っているが、そろそろ貯蓄も底を尽き始める頃だ。理由あって飛鳥をこの家で養っているが、仕事も無しに養い続けるのはそろそろ限界だ。最悪臨時の雇いでも構わないので、いい加減収入が欲しいところだ。

(……働くのは、怖いけどなぁ……)

抱えてしまった矛盾に頭を抱える。

最早トラウマとなってしまった「働く」という行為。自分の不手際一つで誰かを不幸のどん底へと落としてしまうのは、もう嫌なのだ。──その可能性をおかす事も。

どうしようも無くなった俺は逃げるように外の世界から目を背け、飛鳥にげばへと意識を向ける。

そろそろ飛鳥も起きる頃だろう。そろそろ朝食を作り始めなければ。

鉛を乗せられたように重い体をベッドから上げ、ふらふらとドアに向かって歩く。

ドアノブに手を掛け──ようとした瞬間。

「──……、っ」

フラッシュバックのように、先ほどの閉塞感がよぎる。

こんなにも嫌な予感がするのは何故なのか。背中を虫が這い回るような落ち着かなさを感じ、思わず引っ掻くようにこめかみを掻く。

(……飛鳥)

理由など無い。だが俺には、その閉塞感の根源が二階にいる少女にあるように思えて仕方がなかった。

何かを思うより早く、俺の体は動いていた。

ドアをやや乱暴に開け、足早に階段を登る。

普段より早い時間に起きたうえ、朝食の用意もしていない。きっと飛鳥は寝ているんだろう。──そんな単純な事さえ考えるのがもどかしかった。

流石に駆け上がるのは躊躇われたが、それでも急ぐ足は止まらない。

階段を登り終え、普段よりも薄暗く感じる廊下を歩く。

足の裏にまとわりつくベタつきが苛立ちをさらに募らせる。こんなに埃っぽい床だったか。こんなにも滑りやすいものだったか。そんな思いが掠めては離れ、掠めては離れ。

普段に数倍して長く感じられた道のりを経て、飛鳥のいる部屋の前へと辿り着いた。

勢いそのままでドアを開こうとして──そこではたと我に返る。

(──飛鳥は、一体どんな状態なんだ……?)

飛鳥はどんな状態なのか。……これは飛鳥を心配しての思いではない。どちらかといえば、「自己保身」に近い思考だ。

今の俺には、飛鳥にかけるべき言葉が具わっていない。ドアを開いた時、飛鳥が寝ていたならそれでいい。そうであれば飛鳥に迷惑をかけることになってしまうが、それだけであれば俺の不安は払拭される。飛鳥が俺の足音に起こされたのであってもまだ大丈夫だ。

問題は、そのどれでもない時だ。


もし彼女が起きていたら。

俺は何て声をかければいいのだろう。


心の底から恐怖した。飛鳥に辛い現実──両足の自由を失ったことを伝えるのと同じくらいに、怖かった。

自分でも意気地のないことだと思う。しかし同時に、「これは仕方のないことなんだ」と思う自分もいる。

とことん弱くなれる自分の醜さに、思わず溜息を吐く。

(飛鳥……)

しかし今は、恐怖と焦燥がせめぎ合っている状態だ。俺は、このドアの向こうにいる筈の飛鳥がどんな状態なのかを確かめたくてしょうがない。

暫くの間ドアの前で動けずにいたが、そのお蔭で恐怖が少し落ち着いた。膨らむ焦燥に圧されるように、俺はドアノブを握る手に力を込めた。

ゆっくりと、中の様子を隙間から窺いながらドアを押し開く。

「……飛鳥、起きてるか……?」

ドアを開けてまず目に入るベッド、そこに飛鳥の姿は無かった。あの状態の飛鳥がベッドにいないという段階で、これは既に異常な出来事だ。大きく跳ね飛ばされてくしゃくしゃになっている毛布とシーツを見て、俺の焦りが少しずつ現実のものになりつつあることを実感した。

息が荒くなる。吐く息が震える。

サイドテーブルの近くにも飛鳥の姿は無い。テーブルの上にあった筈のラジオが床に落ちているだけで、それ以外は何も見えなかった。

ノブを握る右手が力む。掌がじっとりと湿り、そのうざったい感覚に更に心が乱される。

さらにドアを開くと──奥の方に、白くて細い足が見えた。飛鳥だ。

「ッ、……」

一体なぜそこにいるのか、そう問いかける声が喉元まで一瞬でこみ上げた。

自由に動けない体の筈なのに、飛鳥はベッドとは反対側にいる。これ以上の不自然があるだろうか。

「飛鳥……?」

俺は問いかける代わりに、飛鳥の名前を呼んだ。反応があれば。そう期待してのものだったが、残念なことに応えは無かった。

ドアが開ききり、俺の目に壁にもたれて俯く飛鳥の姿が写った。

「……」

飛鳥は一言も発しない。まるで囚人のように、部屋の片隅で蹲るだけだった。

ゆっくりと、吊り橋を渡るような足取りで近づく。

「……飛鳥」

近付き声をかけるが、飛鳥は細い呼吸をするばかりだ。開いたままの目は得体の知れない泥のようなおりに淀み、投げ出された両腕は力なくぶら下がり。

──見ていられない光景だった。

これが、つい昨日まで穏やかに笑う少女だったのだ。俺の不手際、あるいはこの世の「理不尽」になぎ倒された花は、見ているだけでやりきれなさがこみ上げてくるものだ。

「……──」

薄く、浅く、呼吸の音が聞こえる。──飛鳥の命の証だ。

風に薙がれ萎れた花から滲み出る、命の残滓だ。

……「残滓」。そう評するのが自然だと思える程に、飛鳥は弱っていた。

「……なぁ、飛鳥。──その、……」

声をかけることも躊躇われたが、俺はいたたまれない思いに圧されるまま言葉を彷徨わせた。

「──……朝、何を食べたい?」

結局、出てきたのはこんな言葉だった。

慰めでもなく、言い訳でもなく。「昨日のことを無かったことにする」という、最悪の逃げだった。

思わず奥歯を食いしばってしまった。

本当に、最悪だ。

飛鳥と向き合うことから逃げ続け、子供のように情けなく愚図ぐずり続け。

──こんなガキが飛鳥の隣に立って、こんな奴が飛鳥のことを理解したつもりになっていたなんて。

俺の言葉に、飛鳥はごく僅かに首をこちらへ向ける。

する……と布が擦れ、初めて飛鳥から息遣い以外の音が鳴る。

乾きひび割れた唇が動く。

「──キミは」

糾弾を思い起こさせる言葉に、俺は思わず飛鳥から目を逸らす。

罪悪感と後ろめたさに身をつまされ、頬が強ばる。

「……キミは、こんなボクに付き合っていていいのか……?」

ピクッ、と肩が揺れる。相変わらず床を撫でる飛鳥の視線からは、澱み以外は汲み取れない。

「……こんな……惨めなボクに──こんな、キミの枷としかならないボクに……付き合ってやるだけの価値なんて、あるのかい……?」

飛鳥は、この問を一体幾度繰り返したのだろうか。薄暗い部屋の中で孤独に自問し続けた飛鳥は、一体どんな思いでこの言葉を口に出したのだろうか。

おそらく飛鳥の心に深く突き刺さっているであろう思いに、俺は何を返してやることも出来なかった。

「……、」

何かを言おうとして、言葉が喉に突っかかる。

この台詞は、俺が飛鳥に言わせたようなものだ。自分の愚図に飛鳥を巻き込み、いらない傷を与え、無意識的にではあるが利用し。

俺はこの言葉を投げかけられるべき人間じゃない。むしろ、情け容赦の無い憎悪の刃で惨たらしく切り刻まれるべき人間だ。

飛鳥は尚続ける。

「……プロデューサー」

「……俺はもう、プロデューサーじゃない」

「プロデューサー、キミがもし」

「飛鳥、」

「キミがもし、ボクの事を」

ぎゅっ、と。

まるで子供のように。

俺はいつの間にか、飛鳥の袖を掴んでいた。

「──……」

飛鳥はゆっくりとそちらを見やり、再び黙り込む。


きり。


飛鳥の口もとから、何かが擦れる音が聞こえた。

「、……すまない」

微かに響いた歯軋りに、俺は薄っぺらい謝罪をすることしか出来なかった。





その後、飛鳥は何も話すことはなかった。








《9月8日 早朝 セカイの外側》

夢を見た。

嫌な夢だ。



飛鳥が心の平衡を失って1週間が経つ。未だ飛鳥は瞳を澱みに沈めたままだ。

会話も以前に比べるとめっきり無くなってしまい、飛鳥を見るのも食事を運び身の回りの世話をする時くらいだ。その時でさえ一言二言交わせば良い方で、以前のような会話は全く無くなった。

あの日以来俺の心の中には、何か泥のようなものがわだかまっている。プレッシャーとも言えるのだろうか──どこか呪いじみた何かが絡みついているのだ。

嫌な夢を見たのはそのせいかもしれない。

嫌な──けれど、よく分からない夢だった。


──俺は何も無い真っ白な世界にいた。

上も下も地平の果ても、全てが白だった。

何も無いその世界で、俺は花を眺めていた。花といっても、その世界に溶け込むような真白な花だ。質感は大理石のようで、しかしある筈の無い風にさわさわと揺れるその不思議な花は、何故か俺の視線を釘付けにしていた。

見渡せば似たような花はそこかしこに生えていて、先程まで何も無かったはずの所にもいつの間にか根を下ろしていた。

それぞれがそれぞれに揺れる中、俺の視線はやはり目の前の花にしか向けられなかった。より華やかなモノもあれば麗しく咲き乱れるモノも、周りの花をも引き寄せてひとつの樹になっているモノさえあった。しかし、同様に。

病的なまでに、俺は目の前の花に執着していた。

いつしか俺は、その花が萎れかけていることに気が付いた。

茎が捻じ曲がり、萎んだ花は地につきかけていて。

思わず俺は、その花を支えようと手を伸べていた。

不思議な感触のその花の付け根、がくに手を触れた瞬間──ざわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわ、と、どす黒いナニカが溢れ出てきた。

蟲にも似たナリのその黒いナニカは、やはり蟲のようにざざざざざざざざぞざざざざざぞぞぞざざざざと這い回る。

腕を這い登るその蟲に、俺は絶叫した。何かおぞましいものに呑まれてゆくそんな予感に、俺は心の底から恐怖した。

気付けばその蟲たちのざわめきは、いつの間にかひとつの囁き声となって響いていた。

曰く──

「ボクを返せ」──と。

ぐじゅる、ぶぢゅっ、ごぎゅるっ、と身体を抉られながら、俺はその言葉を延々と聞かされ続けていた。

俺の身体が顔の一部を残すのみとなり、蟲たちが皆一斉に俺の視界へと押し寄せてきたその瞬間──俺は目を覚ました。


起きた時、俺はシーツを掴んで蹲るような姿勢だった。枕から何からが全て跳ね飛ばされ、枕元に置いておいた時計は真っ二つに割れ。

俺のベッドの上は、まるで夜通し暴れ回ったかのような惨状だった。

この夢は何を表したものなのか、俺の中のどんな感情が形になったものなのか。そんなものはわかりきっている。とても言葉にしにくいが単純なその感情は、しっかりと俺の心に突き刺さっている。



丁度一週間前、閉塞感にうなされて起きたのと同じくらいの時間。俺はベッドに腰掛け、内から俺を苛む頭痛や苛立ちと戦っていた。

ここ暫くでかなり悪くなった寝付きがさらに悪くなり、とうとう俺はマトモに寝ることが出来なくなった。ようやく寝れたと思っても数十分後には目覚めてしまう、そんなことの繰り返しだ。当然のように寝不足に陥り、今では日毎にやつれていくような有様。どうにかしたいと思ってもどうすることも出来ない、そんな苛立ちが俺を更に蝕む。

「…………ぁあ」

意味の無い呻きが喉から漏れる。

頭が痛い。目眩がする。吐き気がする。身体が重い。

ぶつけ所の無い苛立ちを、頭を掻き毟って誤魔化す。

夢から目覚めても尚リフレインする怨嗟の言葉に、俺は奥歯を食いしばる。

(……俺は)

荒れ放題になったベッドに身を放り出し、眠気に浮腫むくんだ瞼で天を仰ぐ。

(俺は……どうすれば……)

全身を脱力感が襲い、頭を掻き毟る手もするりと落ちる。

とさ、と手がシーツを叩く。

すぅっと意識が遠くなり、見ている景色が何処かへと流れてゆく。

……そういえば、頭の中でわんわんと響くこの言葉は一体何なんだろう。聞き覚えのある声だけど、どうにも上手く思い出せない。というか、そもそもこれは言葉なのだろうか。ただ単に意味の無い音がさざめいているだけなのかも──


『──返せ』


「、ッ」

ゾグン、と心臓が突き上げられる。

いつの間にか俺の目は天井の一点に縫い付けられていた。

「、ッはァ、ぁッ…」

凍りついていた横隔膜が自分の仕事を思い出したかのように動き出す。俺の身体を一番奥から叩く鼓動はかつてないくらいに激しくなり、へばりつく喉の奥からは乾いた息だけがひゅうひゅうと流れ出す。

(──ああ、そうか)

ようやく、俺は悟った。


──赦しなど、無いのだと。


飛鳥の無邪気な目から逃げ続け、その目が届かないのをいいことに「プロデューサー(飛鳥の求める姿)」を偽り続け。

自分のために飛鳥を裏切ったそんな俺に、逝くべき煉獄など無いのだと。

「あ……はは……」

何かを諦めたかのような、そんな笑いがこみ上げてきた。

「ふは、あはは……」

小さく掠れるような声で哄笑しながら、両の瞼からは涙が零れ。

「く、あ……ははっ」

──グズグズと、みっともなく泣きながら笑っていた。


笑いが引くと、ぐったりとせる俺の中にはセカイを泥の様に覆う「虚無」が漂い始めた。

「……」

ぼんやりとドアを見つめ、何を感じるでもなく寝転がる。

瞬きすら煩わしく思えるような「静かな絶望」に身を預ける。

姿勢を変えようかとも思ったがそれも出来ず、呼吸すらだんだんと浅くなり。

まるで臨終を迎える病人のように、ただ俺は半ば腐ったカラダをナニカに委ねるだけだった。

こうして見ていると、世界なんてものは酷く退屈なものだ。興味を引くような輝きなんてものは無く、目を見張る眩さなぞは絵空事でしかない。スタート地点からどちらの方向へ進もうともその先には荒れ果てた原野があるだけで、地平の果てに海なんて無い。足元に広がる無味乾燥な砂漠にうんざりしても、進むその先はまた砂漠。

──こんな世界……

思わずそう呟いてしまうくらいに、今の俺にとってこの世界は平坦でモノトーンなものに見えていた。

(──飛鳥は)

ふと、俺の頭を一つの思いがよぎる。

(飛鳥は、こんなセカイを見ていたのかな……)

ひょっとしたらこれは独りよがりなシンパシーなのかもしれない。そうでなくても、これは少なくとも他人のセカイを勝手に枠に嵌める「定義の押し付け」だ。よりにもよって俺がこんなことをしていると知ったら飛鳥はどう思うだろうか──そう訴える声が、俺の内側から突き刺さる。

しかし、思わずにはいられない。

もしかしたら飛鳥も似たようなセカイを見ていたのかもしれない、と。

「……飛鳥」

思わず、その名前を口に出す。

ぼんやりと揺蕩う意識にさざなみが立つ。何故だか無性に飛鳥の心のうちが気になって仕方なくなった。

今の状態じゃまともなコミュニケーションはとれないのは解っている。しかし、分からずにいるのはとてももどかしくて。

──いても立ってもいられなくなった俺は、いつの間にか、またあの時のようにドアの前に佇んでいた。

「……」

じっと、ドアノブを見詰める。

この間は得体の知れない焦燥に駆られていたが、今はそんなものは無い。むしろ逆、飛鳥に対する忌避感が強く心に根付いている。いつ飛鳥に拒絶されるかわからない、そんな恐怖が俺の中に楔として突き刺さっていた。

するべきことは至って単純。ドアを開け、飛鳥に声をかけ、答えを聞く。答えがなければそのまま引き返す。それだけだ。

だが、何故か俺の体は錆び付いた歯車のように頑なに動こうとしなかった。

(……やっぱり、やめておこうか……)

執拗に俺の体をいましめる力に抗えぬまま、時間が経った。

──結局、俺はドアノブに手をかけることすら出来ぬまま引き返すことにした。

相変わらず、情けない。こんな奴が本当に飛鳥の担当プロデューサーだったのか、と自分でも幻滅する。

俯き頭を抱え、俺は飛鳥の部屋に背を向ける。

今日のところは部屋に戻って横になろう。ここ暫くマトモに寝れていないこともあるから、気が済むまで眠ろう。

そんなことを考え歩きだそうとした、その時。

「──」

──飛鳥の部屋から、何か嫌な音が聞こえた。

「、ッ!?飛鳥!!?」

反射的に。

それが飛鳥の苦悶の声だと気付いた瞬間、俺はドアを蹴破るような勢いで飛鳥の部屋へと突進していた。

あれだけ大きかった壁があっさり越えられてしまったことに気をかける余裕も無く。部屋に入った俺がそこで見たものは──





《同日同時刻 セカイの内側》

──一体、何回同じ問を繰り返しただろうか。

何故。

何故。

何故。

何故、こうなってしまったのか。

窓の外、どこまでも遠く広がる闇を見詰めながら、ボクは呪い続けた。プロデューサーに見初められ、共に歩むことになってしまった自分の運命を。そして、彼の翼を折ってしまった自分の失態と不幸を。

いくら責めても責め足りない。ボクが犯した罪は、ちょっとやそっとでは消えないのだから。

大切なヒトのこの先の人生──およそ50年はあるであろうその人生をボク一人の不注意で台無しにするなんて、到底許される罪状じゃあない。


マトモに物を考えられなくなって何日経っただろうか。狂った時間感覚と麻痺した五感では自分の意識の覚醒と休止すら認識しにくくなり、必然的にいつ何が起こったかなど記憶に残らなくなる。

しかし、一つだけ明確に覚えていることがある。

ある早朝、部屋に彼がやってきたことだ。

具体的に何があったかは覚えていない。しかし彼がボクに何かを語りかけたことと──それと、何故か彼がとても悲痛な顔をしていたことははっきりと覚えていた。

あの時ボクは何を語ったのだろうか。……覚えているのは、その後ちらと見やったら腕の傷が増えていた事だけだ。そうなるくらいにはやり切れなくて辛いことが起こったということなのだろうけれど、ボクは何も思い出せずにいる。

──ひどい顔だった。

ボクが彼と関係を持って以来1度も見たことが無いくらいの、酷く歪んだ表情だった。それこそ、一体何を言われればそんな表情が出来るのかもわからないくらいに。

セカイから裏切られた経験のある人間なら、誰でも悲痛と悲嘆は感じることが出来る。しかし彼の表情はそんなものには収まらない何かが塗り込められていた。

──では、その「何か」を生みだしたのは誰だろうか?

──言うまでもなく、ボクだ。

つまりは、平たく言ってしまえば「彼はボクのせいで苦しんでいる」ということだ。

さて。

では。

人を苦しめたボクが負うべき罰は?

それもまた、言うまでもない事だ。


あまねく罪には罰を」。こんなふうにしか考えられなくなったボクは、そしてそれを自分にのみ押し付けるボクは、きっと「狂っている」と評価されるような存在なのだろう。人間は誰しも自分の安全と庇護を求めるものであり、家族ですらない他人のためにそれをうち捨てるものは恐らく少数。ましてや「他人を傷付けた行為ひとつひとつを血であがなう」など正気の者には出来まい。

傍から見れば、こんなものは酷く痛々しい信念だろう。ボク自身もそう思うのだから、きっとそうなのだ。しかしボクにとっては、これは「自らに架した贖罪しょくざい」であり「罪に対する当然の意識」であり。言ってしまえば当然の行為(自明の理)なのだ。

当然、躊躇いはある。痛いのは嫌だし、下手をすれば死ぬかもしれないという本能的な恐怖もある。けれど時間が経つにつれ、その手の感情は段々と麻痺してゆく。その結果が今のボクであり、その末路が今のボクなのだ。

──「末路」。そう、「末路」だ。

たかだか14歳(・・・・・・)の道化がこれ(・・・・・・)だけのものを(・・・・・・)背負えるだろ(・・・・・・)うか(・・)

無理、だろう。

そうだ、無理なんだ。

ではその無理を押し通そうとすれば?

当然、崩壊を迎える。

では、自傷癖を持っ(・・・・・・)た人間がこの(・・・・・・)崩壊を迎えれば(・・・・・・・)






さしゅっ。






ぽたっ。




ぽたたっ。






「──ひ、がぁ、……ッ」









《セカイの外側》

「飛鳥!!?」

開け放ったドアのその先には、腕を押さえて痛みに耐える飛鳥の姿があった。

綺麗な白い肌の表面には幾つもの傷跡が刻まれ、その表情はまるで雷に打たれたように引き攣り。腕から血を流しながら澱んだ瞳を思い切り見開くその様子は、まるで悪霊や邪気に憑依されたようなグロテスクな姿だった。

「はァ、ぁ、ぎ……」

「飛鳥、大丈夫か!?しっかりしろ!!」

血がどくどくと流れ出る手首を押さえながら体を跳ねさせる飛鳥。幸運にも(・・・・)飛鳥は下半身の自由が利かない。駆け寄り、肩を揺さぶって声をかけることは簡単だった。

ちらと横目で見れば、飛鳥の右手側少し離れたところに血のついたカッターが跳ね飛ばされている。恐らく荷解にほどきに使ったままサイドテーブルの引き出しに放置していたものだろう。何故放置したまま忘れていたのか、と自分を責めたくなったが、今はそんな場合ではない。

血が流れ出ている傷は左手首の小指側、親指の先くらいの長さにつけられた切り傷だ。血の出方からして太い血管は傷つけていないようだが、それでもそれなりの深さはあるようで楽観は出来ない量の血が流れ出ている。

「くそっ、まずは止血か……」

手近なもので止血に使えるものを求め、クローゼットを開く。数ヶ月ぶりに日の目を見た飛鳥の私服たちに胸が締め付けられるが、思い直して手を動かした。

「これなら……──借りるぞ、飛鳥」

手に取ったのは、飛鳥が愛用していた革のチョーカー。ベルト式なので、固定を考えなければ引っ張るだけでうまく締め付けることが出来るだろう。

「飛鳥、少し辛抱してくれ……っ」

傷口を押さえる飛鳥の手を剥がし、チョーカーを巻き付けて思い切りベルトを引く。

「い、あ…!?」

ギリギリと音をあげるチョーカーに締め付けられ、飛鳥は苦悶の声を漏らす。

「すまない飛鳥……でもッ」

奥歯を砕かんばかりに食いしばり、手を緩めまいと力を込める。

ベルトの角が手に食い込み、飛鳥の腕を押さえる腕もふるふると震え。

──辛かった。

肉体的なものはもちろん、精神的にもかなり堪えた。

痛みに苦悶するその姿もさることながら、「何故ここまで苦しまねばならなかったのか」と考えてしまうことが何よりも辛かった。

飛鳥が苦しむ原因なんて、俺以外にある筈も無いのだから。

必死に白い肌を締め付けながら、俺は飛鳥の腕を音もなく伝うあかい流れから目を離せなかった。

その血が流れているのは何故か。飛鳥がその血を流さねばならなくなったのは何故なのか。そもそも、その血は流す必要があったものなのか。

──そんなことを白く飛んだ頭で繰り返しているうちに、俺の意識は飛鳥の血に奪われていた。

(俺は、飛鳥がこんな状態だったと気付けていなかったのか……!?)

滴る汗が視界を塞ぎ、ベルトを握る手が引き裂かれそうなほどに痛む。

(俺は一体何を見ていた!?飛鳥が「壊れかけている」ことくらい解っていただろう!!?)

視界が歪む。眼以外の部分から感覚が消え、右も下も上も左もわからなくなる。

(何故──何故、何故俺はこうも……ッッ!!!)

俺の見る世界が、緋色を残して融けてゆく。頭の中も緋色に塗り潰され、堰を切ったように緋色の濁流が


「ぷろでゅ、さぁ」




「飛鳥、?」




ふっ、と。

微かに、しかし確かに響いたその言葉に、俺の世界が一瞬で真白に塗り替えられる。


振り向けば、そこには少女がいた。

壁に背を預け脂汗に顔を濡らしながらも、その少女はなは確かにこちらに向けて笑いかけていた。


──いや。萎れたその姿のまま、泣いていた。



「──ごめんな、さ……──」


絶え絶えに紡がれたその言葉を、俺は最後まで聞くことは出来なかった。

耐えきれなかった。

──気付けば、俺は明るい茶髪を腕に抱いていた。


「──ごめんな、飛鳥……」


自然とそんな言葉が流れ出ていた。




「……、ぐすっ、ぅぁぁあ……」


押し殺された嗚咽とどくどくという鼓動。間違えようのない飛鳥の響きを感じ、俺は深く息を吐いた。

「本当に、ごめんな……」

すぐ近くで啜り泣く飛鳥にそう囁く。

この言葉は一体何を思って囁いたものなのか。一体何が俺にこの言葉を囁かせたのか。俺には全くわからない。

一体何に対しての謝罪なのかもわからない。ともすれば誰に対しての謝罪かもわからなくなるくらいだ。

けれど、俺──もしくは飛鳥にとって、この言葉は自然と口をついて出た言葉だ。この一言が俺たちの中で蟠るナニカを吐き出させる鍵になるのかもしれない。

未だ何も解決せず、何も進展せずにいる俺たち。飛鳥の嗚咽は未だに悲嘆と絶望に塗れたままで。

「あぁぁぁぁ、ひぐっ、ぁあぁぁぁ……ぷろでゅーさぁ……」

──けれど、こうやって再び飛鳥と向き合える距離に立てた。今は、それだけが救いなのかもしれない。



(後編へ)

数ヶ月かけた挙句の一万文字。

次回はいつになるか分かりませんが、命と引換にでも完結させてみせます。


……次回で完結出来るでしょうか。不安です。

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