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Star:Gazed  作者: 綾葉咲
1/4

前:「世界」と「セカイ」

自己解釈とこじつけの塊です。ご了承ください。


本番は後編です。

前編は導入としてご覧下さい。

ひとつの星が、瞬きを喪った。


















《7月28日》

つい先程まで熱狂に包まれていた会場を、無秩序なざわめきが満たしてゆく。


「──嘘、だろ」


ステージの上には、無残に崩れ去った舞台セットの残骸が飛び散っていた。


「あ、飛鳥……」


残骸の山があるのは、ステージの中央。


「飛鳥……ッッ」




──ちょうど、アイドル「二宮飛鳥」がいた場所だ。




「飛鳥ァァァァァァ!!!!」



嫌だ。


そんなこと、あっちゃいけない。


そんな思いを振り切るように、俺は舞台袖を駆け上がった。

きっと飛鳥は無事でいる。そう信じないと、頭がどうにかなってしまいそうだった。


必死に足を動かす今も、現実から目を逸らしたくて仕方がない。

けれど、プロデューサーとしての自責の念が、それを許さない。


逃げられたらどんなに楽か。

何も知らなかったふりができたら、どんなに楽か。


わかっていながらも、足が止まらない。

拍動の音が大きくなる。

ドグン、ドグンという音が耳元で響く。


勝手に動いていた足は、大きくなり続ける拍動は──



「飛鳥──、……ッ」



──瓦礫の下からじわじわと広がる血溜まりに、凍りついた。









《8月30日》

やかましくはない、さりとて静かでもないアラームに揺り起こされ、俺は眠りから覚めた。

重い上体を起こしてカーテンを開けると、地平線から昇って間もない太陽が外の世界を照らしているのが見えた。

未だ閉じようとする瞼をこじ開けるように照らしつける日差しを避け、俺はカーテンを閉じる。再び薄暗い空間に戻った部屋を見回すことも無く、俺はのそのそと部屋を出た。

しんと静まり返った廊下を歩き、リビングの扉を開く。何畳かは忘れてしまったが、そこそこの広さのあるリビングだ。1人で使うにはいささか広すぎる気もするのだが、「諸事情」によりこのリビングを使うのは俺1人だ。

ここに移り住んだ一ヶ月前から開かれることのないカーテンには目もくれず、比較的清潔に保たれたキッチンへ向かう。

冷蔵庫を覗き込み卵とベーコン、二三個のバターロールを取り出しキッチンへ並べる。ここ最近では食事を自分で作る機会に恵まれ、段々と料理が趣味「のようなもの」になりつつある。添加物の塊もといコンビニ弁当で食事を済ませていたかつてに比べれば、何倍も健康的な食習慣になっていると思う。

数十分の後、ベーコンエッグとバターロールの朝食が完成した。手早くペーパードリップのレギュラーコーヒーを淹れ、ミルクを適量加えてプレートへ乗せる。

俺はそのプレートをリビング真ん中のテーブル──ではなく、二階のある部屋へと運ぶ。

西向きに面した、六畳ほどの一間だ。

相変わらず暗いままの廊下を抜け、僅かに軋む階段をゆっくりと上がり目的の部屋へと辿り着く。

いつも通りに──「普段と同じように」押し開ける。


「──やぁ、おはよう」


「……ああ、おはよう」

「ごく自然な」やりとりに「安堵」しながら、俺は食事を彼女──少女「二宮飛鳥」へと渡した。

飛鳥は起こした上体を少し傾け、両の足の上にプレートをのせる。

「気分はどうだ……?」

「悪くないよ。幸いなことに怪我自体は致命的なモノじゃなかったし、刺さった骨組も急所を外していた。傷跡こそ残ったが、大したことはないよ」

「……そうか」

俺は何も「言えず」、ただ生返事を返すだけだった。

飛鳥本人もこのいらえが俺の求めるものでない事は分かっていたのだろう、それ以上は何も言うことなくコーヒーを啜った。

「……すまないね。わざわざ怪我の後の面倒を見てもらってしまって」

「……心配するな。担当プロデューサーとして、当然の仕事さ」

俺に向けた「謝罪」の言葉に、俺は「理由を添えた返答」をした。

ベッドの上の飛鳥は薄く笑い、まだ温かいパンをちぎる。

「それにしても、キミに料理のスキルがあったとはね……専業主夫にでもなるつもりかい?」

「一人暮らしを長いこと続けてれば、自然と料理もできるようになるさ。クオリティは別としてな」

「フフッ、そうか……これだけ上手であれば、ちょっとしたカフェくらいは開けると思うけどね」

「そうか?所詮は男の手料理だぞ」

「そんなことはないさ……手を抜かずきっちり作られた料理は、誰の目にも美味しいものさ」

「……光栄だ」

テーブルも使わず器用に食べる飛鳥を眺めながら、俺は一カ月前に思いを馳せる。

(……飛鳥……)

俺の知る、知っている筈の「二宮飛鳥」に、目の前にいる「二宮飛鳥」が重ならない。本当に「ただの少女」であるかのように振る舞う飛鳥の姿は、俺の目には「陽炎」のようにしか映らなかった。


 一カ月前、二宮飛鳥は「少女」となった。


「アイドル」ではなくなった。


「……プロデューサー?」

「、っ、何だ?」

思わず伏せていた目を上げ、声をかけてきた飛鳥の方を向く。

「……考え事かい?」

「……ああ、まぁな」

 曖昧な返答しかできない俺に、しかし飛鳥は笑いかけた。



「心配しないでくれよ……たかだか『足が動かなくなった』だけなんだから」



心臓を射抜かれたような、そんな痛みが走った。



「……ッ」

息を詰まらせる俺。

一ヶ月前のステージで、飛鳥は両足の自由を失った。


アイドルとしての生命を絶たれたのだ。


一番ショックである筈の飛鳥は、しかし窓の外へ目を向けながら語り掛ける。

「……プロデューサー、ボクがボクである証はこんなものじゃない。ボクの『存在証明』に、必ずしもこの足が必要な訳じゃない。そうだろう?」

こちらからは表情は窺えないが、声色は落ち着いている。

機材トラブルを予見出来なった俺を責めるでもなく、「悲劇的」と評するべき人生を送らなければならなくなった理不尽を嘆くでもなく。

飛鳥はただ、俺に言葉を投げかけるのだった。

「……」

「ボクは、キミがボクを『二宮飛鳥』と認識し続けている限りボクであり続けられる。それで充分さ」

俺は、飛鳥の顔を直視出来なかった。

自分を責め、糾弾する自分。被害者である筈なのに依然笑顔を向けてくる飛鳥。

いろいろな感情が俺の中で暴れ回り、「苦悶」として俺の心に蟠っていた。

「……そうだ。この家に、ラジオはあるかい?あれば持ってきてほしいんだが」

「……ラジオか。ポケットに入れるような小さいやつしか無いが、それでいいか?」

「構わないよ。……いい加減、変わり映えのしない世界を眺め続けるのは退屈だ」

「ああ……絵を描くんなら言ってくれ。鉛筆とスケッチブックくらいはあるから」

「ありがとう。そうさせてもらうよ」

心配性だな、とでも言いたげな飛鳥の瞳。その純粋な瞳に射竦められ、俺はどうすることも出来なくなった。

暫くの後、飛鳥は視線を外に向けた。飛鳥の目線から逃れ鎖が解かれたように感じた俺は、その場から逃げることにした。

「……何かあったら呼んでくれ」

「ああ、そうするよ。……良い一日を」

目も合わせられないまま、押し出されるように部屋を出る。

暖かかった部屋とは裏腹に、陽の当たらない廊下はひんやりと冷たかった。


「……『良い一日』、か」

ちくりと心を刺す言葉に、俺は顔を顰めた。






──その時の俺には、飛鳥の横顔が悲しげに歪んでいた事に気付くことが出来なかった。




《9月1日》

普段より少し早めの夕食を持って部屋に入ると、飛鳥は少し驚いたような顔をした。

「おや、帰っていたのか。随分と早いね」

この言葉に、俺は「しまった」と思った。

帰りが早いことへの言い訳を用意していなかったからだ。

「、ああ、まあな……この時期じゃああまり忙しくもないしな」

「……?」

俺のぎこちない返事を聞いて、飛鳥は少し微妙な表情をした。

「そうなのか……?今日が何日なのかは分からないが、プロダクションに忙しくない季節はあるのかい?」

カレンダーの無い部屋を見渡し、飛鳥はそう言う。

「……そりゃあ、あるさ」

俺の吐いた「嘘」を的確に突く飛鳥の何気ない一言に、俺の手は大きく震えた。

俺の不審な挙動には気付かなかったようで、飛鳥は夕方の音楽コーナーを流すラジオへと目を向ける。

「……そういうものか。芸能活動も商売だ、プロダクションにも『書き入れ時』というものがあっても不思議じゃないね」

「……まぁ、そういう事だ」

俺は名刺入れの「入っていた」内ポケットをさすりながら、そう答えた。

俺と飛鳥の間に、微妙な沈黙が流れる。不自然に静まり返った部屋に、食器の触れ合う硬質な響きだけが広がった。

沈黙を打ち破るべく話題転換を試みたのか、飛鳥は唐突に全く別の問いを投げかけた。


「……そういえば、蘭子や天才娘は元気かい?暫く顔を合わせていないから、気になってね」


「ッ、それは……」

俺は、即座に返答をすることが出来なかった。

ただ「元気だ」と答えるだけでよかったというのに。


初めて、飛鳥の表情が凍りついた。

「……まさか、プロデューサー」

「……」

飛鳥は、それだけで全てを察したようだった。

──俺が美城プロダクションの人間ではなくなっているという事実に、気付いたようだった。


「何故……何故キミが!?ケガをしたのはボクだ、何故キミまで巻き込まれる!!?」

「……『監督不行き届き』だそうだ。機材の不備に気付かなかったのは職務怠慢にあたると言われたよ」

「バカな、ステージセットの管理までキミに責任を問うというのか!?」

「本来なら別の責任者がいるよ。ただ、そいつはお偉いさんの息子だったようでな……出世に関わるってことで、俺に責任転嫁をしてきたんだろう」

「理不尽な……」

「ありふれた話さ。下っ端の首一つで大物の首を繋ぐ……組織なんて、そんなものだ」

怒りに眉を震わせ唇を噛む飛鳥。

その怒りは不条理を押し通したプロダクションに向けたものなのか、はたまたずっと黙っていた俺へのものなのか。伏せられた飛鳥の顔からは、それを窺い知ることは出来なかった。


暫くの沈黙の後、飛鳥はか細い声でこう切り出した。

「──ボクのせいだ」

ぎょっとした。

全く予想だにしなかった台詞だったというのもある。しかし、俺が本当に驚いたのは「声の平坦さ」だ。

「全て、ボクが悪いんだ……」

自らを呪うような、全ての原因となった「二宮飛鳥」に怨恨をぶつけるような、そんな声。

「待、っ──」

「全てッ!!ボクのせいだッッ!!!」

待て、とは言えなかった。

飛鳥の口から溢れ出す感情の重さや、俺の未だ知らぬ声色。

違和感や罪悪感に押さえつけられた口は、簡単な一単語さえ発してくれなかった。

「あの場でボクがあそこにいなければ、あの場でボクが油断していなければ、そもそもボクがあの場にいなければッッ!!!!」

頭を抱え絶叫する飛鳥。

「──、やめろ、飛鳥」

「ボクがアイドルになんてなっていなければ、ボクが怪我なんてしていなければ!!!」

「やめてくれ」

「何故ボクなんかがアイドルになった、何故ボクが見初められてしまった、何故──ッ」

「やめろッッ!!!」

思わず迸った叫びに、飛鳥は肩を跳ねさせた。

慟哭どうこくが、絶える。

悲嘆に歪む瞳を未だ落としたまま、飛鳥はぽつりと呟いた。

「……すまない、プロデューサー…」

飛鳥の紡ぎ出した「すまない」という言葉には、きっと言葉以上の──取り乱したことへの謝罪以上の意味が込められているのだろう。しかし飛鳥の意味するところを推察でしか知り得ない俺は、字面以上の意図は汲み取れなかった。

汲み取ろうとしなかった。

「……構わないよ。近所迷惑にしたくもなかったしな」

俺が吐いたセリフは、誰の目にも明らかな惚けた台詞。本来ならば糾弾されるべき無礼極まりない台詞だ。

無礼を働かれた飛鳥は、しかし短くいらえを返すのみだった。

「……ありがとう」

余裕のなさの表れなのか、はたまた失望を湛えたものなのか。至極あっさりとした言葉をか細く吐き出した飛鳥は、それきり黙ってしまった。


その後俺が部屋を出るまで、飛鳥の視線は足にかけられた布団に縫い止められたままだった。

彫像と化したかのように、何も言わず。

──灰色のセカイを瞳に写したまま、そこに佇んでいた。






《9月2日AM02:20 セカイの内側から》

ボクは、「ボクがボクである理由」を求めて生きてきた。眼下で揺蕩う人々を哀れみながら、ひたすらに「いかり」を求めて藻掻き続けた。

ボクには生きている意味がある。ボクの一挙一動には価値がある。──そう信じるだけの根拠を求めて続けてたんだ。


だって、そうだろう。なぜボクが「二宮飛鳥」という名と共に剣山刀樹のこの世界に産み落とされのか、納得が出来なければ死んでも死にきれない。

目的も分からないまま行動を強要される……これほど辛いことは無いだろう?




「剣山刀樹」──ボクにとって、この世界は地獄と表するに足るものだった。有りもしない虚構[シアワセ]を求めて、壁の如く聳える岩肌をよじ登り。知りもしない理想郷[しあわせ]の為に、身を裂く白刃に身を晒す。そんな馬鹿げた風景が当たり前の、「地獄」だった。

ハイリスク・ノーリターン。

ボクのセカイには、これが世界の真理として映っていた。

そんな世界を嫌ったボクは、次第に「揺蕩う」彼らを──誘蛾灯に引き寄せられる羽虫の如く死地に飛び込む彼らを「愚かだ」と考えるようになった。

「無為な行為に傷付きたおれるなんて、何て愚劣なやつらなんだ」、と。

──それはきっと、苦痛を嫌がる子供の駄々でしかなかったのだろう。ボクにしてみれば、目的の無い努力など毛の先程の価値もない。ただの徒労なんだ。

けれど、同時に「愚かでありたくない」などという矮小なプライドも持っていた。

全てに対して斜に構え、小さなレジスタンスとして振る舞う。「反抗」「孤立」を通して、自分の優位性を示そうとしたんだ。

その結果が、かつてのボクだ。

藻掻く事を忌避した結果ボクの中には「空虚」のみが残り、愚直に藻掻き続けた彼らの中に宿る「何か」を知ることなく数年を過ごした。

数年──たかが数年だ。

けれど、ボクにとってこの「数年分のギャップ」というものは耐え難い劣等感の源となった。

「愚かだと思っていたやつらに『愚かだ』と見下される」……ボクにとって、これ以上の屈辱は無かった。

無論、実際に「バカめ」と言われることは無かった。けれど、多感なボクは「見下されている」と信じて疑わなかった。

虚構の(ありもしない)劣等感に苛まれ、その劣等感は次第に自己嫌悪に変わり。


──知らず知らずのうちに、ボクの手首は傷だらけになっていた。

初めはただの八つ当たりのつもりだった。自覚のある──「自覚だけがある」自分の劣等ぶりに掻き立てられた苛立ちを、何処かに吐き出したかっただけだった。

最初のうちこそモノにあたって満足していた。けれど次第に物足りなくなり、目に付く範囲に壊せるものは無くなってしまい──気が付いたら、左腕に走る何条もの傷跡から赤々とした血が流れていた。


当時のボクにとって、「自傷」という行為は画期的だった。

何一つ壊すこともなく誰一人傷つけることもなく、全ての元凶である本人に怒りをぶつけることができるのだから。

この行為に味を占めたボクは、日課の如く自らの腕を裂くようになった。煩悶に耐えきれなくなる度にカッターや剃刀を取り出し、自らの腕に刃を喰い込ませていた。

何時からか、何時の間にか、ボクは痛みを感じることに歓びを感じ始めた。

「ボクはここにいる」「ボクはここで生きている」という事を認識できる事に気付いてしまったからだ。

一体何を目指して何を成すためにこの世に送り出されたのか、そんなことは解らなかった。けれど、ボクが人間であるための最後の砦──「ボクが『二宮飛鳥』という人間である」という実感を守ることができた。

見咎められたかった、というのもある。

エクステを使い始めたのもこの頃だ。きっと、目立つエクステと不自然な傷跡を見てもらって心配されたかったんだろう。



しかし、自らを傷つける日々はそう長くは続かなかった。


「──こんにちは。少し、話を聞いてはもらえないかな?」


ボクのセカイを外から揺さぶる者が現れたからだ。

彼は、芸能に関心の薄かったボクでさえ名前を知る「美城プロダクション」の社員だった。何故ボクに目を付けたのか、何故ボクをアイドルとして育てようとしたのか。そこそこ名の売れたアイドルとして活動していた時期でも、それは分からなかった。

──ボクに分かったのは、彼にはボクのセカイをより豊かにするだけの力があったという事だけだ。

けど、ボクにとってはそれで充分だった。

ボクの求めていた「存在証明」。それを、今までとは違った形で成すことが出来るようになったからだ。

ボクを取り巻く観衆。彼らに向かって言葉を叩きつけ、情動を煽り、視線を釘付けにする。彼らのセカイを独占することが出来たんだ。

快感、とでも言うべきか。「存在証明」がこんなに充実感に満ちたモノだとは知らなかった。

彼との出会いを境に、ボクのセカイは大きく有り方を変えた。モノクロの世界が鮮やかに塗り替えられてゆくような、そんな感覚だった。


斯くしてボクの存在証明は健全なカタチへと変化を遂げ、物事はハッピーエンドへと繋がる──その筈だった。



ボクが「アイドル」という肩書きを失いさえしなければ。




酷い話だ。

手の届きかけた輝かしいセカイに、あと1歩の所で蹴落とされるのだから。


しかも。しかもだ。

「アイドル」という肩書きを失っただけなら、まだ救いがあっただろう。

けど、それに加えて「半身不随の社会的弱者」という立場にまで成り下がってしまったのだ。

……ナチス・ドイツの拷問を例に出すまでも無い。

ショックと落胆で、ボクの心はズタズタに引き裂かれた。


そんな苦境と言うも生温いその状況の中、それでもボクが耐えられたのは、ボクのセカイを変えてくれた彼──プロデューサーの支えがあったからだろう。

彼はボクの恩人であり、比翼であった。

そんな彼に支えられている以上は、ボクも悲しみに耐える必要がある。そう思えて仕方がなかった。

アイドルとしての価値を失ったボクに温情をかけてくれ、衣食住の全てを提供してくれる。ボクにはそれが罪悪感によるものと──彼なりの罪滅ぼしだと解ってはいたけれど、それでもボクは嬉しかった。多少会話にぎこちなさは残るけど、そんなものボクは気にしない。罪悪感なんて所詮は一時的な感情だし、彼のセカイは罪悪感ひとつで揺らぐほどヤワなものじゃないとも分かっていた。彼が今まで通りに──今まで通りの関係を続けようとしてくれていることは、他に彼ほどの理解者を持たないボクにとっては至上の喜びだった。

──まさか本当に「比翼」となってしまうとは思わなかったけれど。

堕ちゆくボクに引きずられ、対となる翼もまた地へと堕ちた。……こう表現すれば聞こえは良いが、実質はただの巻き添えだ。

愚かなボクの不覚のせいで、未だ輝きを放ち続ける星が光を失ったんだ。

責任を感じるな、という方が無理な話だ。


何とも愚かだ。信じられない程の馬鹿者だ。こんなにも色々なモノを与えてくれた彼にこんな仕打ちをしてしまうとは、ボクは何て恩知らずなんだ。



こうしてまた、ボクの自己嫌悪が首をもたげる。


そこから先は、簡単だった。

足が動かなかろうが、関係ない。


自分でも把握しきれない程の矛盾を抱え込み、しかしそれらを「断ち切る」ために。

窓から鋭角に差す月光に身を刺されながら、身を鎖す軛を振り払うために。


ボクは、進化樹きざはしを駆け下りる。




──自己顕示と自己陶酔(ナルシシズム)の塊、だって?


──大当たりさ。








《9月2日AM05:12セカイの外側から》

正直に言おう。

俺は飛鳥に依存していた。

年端も行かぬ少女に依存する三十路の男なんて、普通は気持ちが悪くて笑えもしない。

でも、事実だ。


すぐ近くで「二宮飛鳥」という少女を見守るようになってから、気付いたことがある。それは、彼女の脆さだ。

傍目に見れば気丈で一本立ちした少女だが、すぐ側に来て初めて彼女の危うさがわかる。ろくな装備も無しに冬山登山に挑むような、そんな危うさが。

「理解者」──きっと、飛鳥はそんな人間を求めていたのだろう。彼女の足場を見えざる手で支え、その背中に追い風を吹かせるような、そんな人間を欲していたんだろう。

だから、今回の事故で飛鳥が歩けなくなったと聞いた時、俺は怖気を誘われた。彼女の心が壊れてしまうんじゃないかと、本気で不安になった。

事故から3週間が経っても、飛鳥はまだ目覚めなかった。

保護者役としては情けないことに、俺はこのまま飛鳥が目覚めなければいいと思った。目覚めた瞬間から飛鳥は悲劇的な現実に向き合わなければならなくなり、やっと見つけた──そう言っていた──夢を叶えられる世界から弾き出されてしまった事実を受け止めなければならなくなるのだから。

飛鳥にそんな宣告をするのは、俺は嫌だった。

誰でも、他人の夢を砕くのは嫌な筈だ。


彼女はきっと、孤独だったのだろう。

どこか風変わりな価値観を持つ彼女は誰と交わることもなく、ただ1人で世界を生きていた。「中二病」という属性で表に出ているその価値観は、きっと他の誰にも理解し得なかったのだ。

必然的に飛鳥は「自分を理解してくれる誰か」「自分の考えていたものが間違っていなかったことの証明」を欲し、それらを得られない現実との間で煩悶する羽目になってしまったんだろう。

わからなくはない。思春期というものは多感な時期であり、「自分」というものが大きく揺らいでしまう時期でもある。そんな時期に自分の価値観が他人と大きく違う事に気づいてしまい、かつその「違った価値観」が受け入れられないものだと知ってしまったその瞬間から、きっとその人の価値観は根底から覆ってしまう可能性さえ出てくる。そうなれば、今度は「今まで自分が信じてきたものは何だったのか」という思いがちらつく。「セカイ」が崩れ去るのは、時間の問題だろう。

──そんな時に現れた、現れてしまったのが、俺だ。

今更言うまでもないが、俺はプロダクションのプロデューサーだ。アイドルひとりひとりの個性を見抜き、それらを磨いて全面に押し出し輝かせる。これが俺の生業なのだ。

飛鳥をアイドル候補生としてスカウトした後、当然の流れとして俺は飛鳥の属性──その風変わりな価値観を全面的に肯定した。

きっと飛鳥にとって、このことは衝撃だったろう。「どうせ自分のセカイを理解してくれる人なんかいない」、そう思っていたであろう飛鳥にとっては、俺は望外の霹靂だった筈だ。

実際俺は、飛鳥の価値観に理解を示すことができた。「この世界は何のために在る」「俺たちは何のために生きている」「自分のセカイを実現することが生きる目的なんじゃないか」。何ともスレた考えだが、その分この世界の真理を突いている。俺だってたまに「一体何のために生きているんだろう」と考えることはあるし、過労自殺なんて言葉もポピュラーになった今では考えたことのない人の方が少ないだろう。

けれど、人生の意義というものを見出せた人間は少ない。それだけ「人生」というものは複雑怪奇で入り組んだものになってしまったんだろう。

誰もが考えるのをやめてしまう「人生の意義とは何か」という疑問。その疑問をテーマにして解を求め続ける飛鳥は、俺の目から見れば酷く孤独で辛い戦いを生き抜いてきた戦士に見えた。

高潔で、神聖で、しかし悲劇的な美しい戦士に。

端的に言えば、惚れた。

一生を捧げてでも支えたいと思った。

ここが、俺の飛鳥への依存の始まりだ。


自分に出来なかったことを成してくれる、不完全な救世主メシア。惚れるなという方が無理な話だ。



思えば、飛鳥も俺に依存していたのかもしれない。

「プロデューサーがそう言うなら」「キミがそう思うなら」。飛鳥は盛んに俺の意向を問うていた。自分には歴とした「セカイ」がありながら、しかし「セカイ」の外側にいる俺に同調を求める。何とも矛盾した話ではあるが、彼女が「二宮飛鳥」として生きていくには必要な命綱なのだろう。

例えるなら、飛鳥は巣立ちを迎える前の小鳥なのかもしれない。

親鳥たる俺の一挙手一投足を観察し、手助けを得ながら世界へと羽ばたく。そんな存在なのかもしれない。

そうだとするならば、先ほど飛鳥が激昂した理由も分かる。

自分のせいで親鳥を堕としてしまった。──無愛想なペルソナに人一倍の優しさを隠した彼女は、きっとそう考えたのだろう。








そこまで考えた俺は、何故か嫌な予感がするのを感じた。

胸を締め付ける閉塞感。まるで、血の海の前に佇んだときのような気味の悪さを。



(中編へ)

未だ私は、言うべき言葉を持ち合わせておりません。

全てを語り終えたその時に、お話ししましょう。

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