ランの敗戦
夜に緊急召還を受けて次の朝には戦争に出かけると言う狂気の沙汰が下された。
と言うか、既に準備が整ってたと言う光景に怒りは何処かへと消え去って逆に冷静になれた。
それを指名されたノヴァエス当主はいつもの澄ました顔で平然と承知し、ノヴァエスの兵士と軍の部下、そして学院生を連れて先方として出かける事となった。
ガーランド捕虜の惨い亡骸を作り上げたレオンハルトは当主の任命式に向けて財力に難が出て、今行けばむざむざ兵が死に行く物だと代わりに出てほしい。すぐに工面して向かうから頼むと泣きながらの説得と言う大根役者も大概にしろと言う演技力に南の四公リズルラントと東南のキュプロクスに嵌められる形で推し進められるのだったが、それでも一日で出兵できるとは我ながら見事だなと自分に呆れるアルトゥールがいた。
脳裏には屋敷にだまして残してきた子供の顔を思い出すも、かつて半殺しにしたのちに温情を掛けた従兄弟殿が素直に俺の命令を聞いて無事脱出させてくれることを祈りつつちらりと部隊の顔ぶれを見る。
妖精騎士団からブレッドが自ら作戦参謀役を買ってついてきたのだ。
復活してから何度か戦争に赴いたものの、出立の日はいつも一瞬だが死んだ顔をするのを今回も見逃さない。
怖いなら本部に居てもいいのにと、ブレッドの優秀な知能の価値を考えればその方が良いのだろうが、人がいいのか優しいのか、勝つ見込みのない仕組まれた戦争に何もわざわざ付き合うことないのにと思うもと言えば「だからついてきた」とぶっきらぼうな返答をするのだろうと想像して小さく笑う。
それよりも学院生の中に相性の最悪なアレグローザの息子共がいる。
ブレッドより二つ年上の義兄と同じ年の義弟。
二人がニヤニヤとした顔でブレッドを眺めているのを見て、この二人もレオンハルトの入れ知恵が入ってるのだろうと考える。
頭が痛いな。
ジルが俺を見て少し眉間を狭めるも、心配する事じゃないと笑みを浮かべて何でもないと言う。
そう言えば準備があるからと部下達に指示を出す姿を眺めながら同期の学院生になった縁で随分と長い付き合いになっている男の後ろ姿に溜息を落とす。
何も律儀にこんな事に付き合うことないのにと、学院で初めて声をかけた日の事を思い出す。
浮浪者の子供が学院にやって来た。
それは後にブレッドが7才で学院の扉を叩いた時ほどではないがそれなりにその年の話題になった。
毎日どんな目にあってるか想像しかつかないが、どんな晴れの日もずぶ濡れとなっていて、思わず顔を顰めるような悪臭を放っていた。
顔にはあざがあり、見えない所にもあるのは容易に想像がつく。
そしてまたある日は顔色悪く倒れる日もしょっちゅうだったが、誰も医務室へとは連れて行く事はしなかった。
教科書も持ち物もいつもボロボロで、でも毎日のように学院に来て、教室の一室で誰の目にも留まらない様に今にも死にそうな顔で静かにひっそりと呼吸をしていた。
そんな日も夏の良い天気なのに一人大雨の中をやって来たと言うような姿をしていた男についに俺は声をかけてしまった。
同じ学年だからとか、同じクラスだからとか、毎日よく生きてるなとか、死んだ瞳を正面から見下ろせば、小さく怯えるものの総てを諦め去った男は惰性に時間を過ごしていると俺は理解する。
「よくもまあ、懲りずに学院に来るな?」
「俺はどの四公八家にも属してないから……
こうしないと軍に入れそうもないから……」
この国に生まれた民ではあれど国が保護する民ではない浮浪者と言う立場を口にした声を耳にして、初めて彼の声を聞いた気がした。
落ち着いた声はどこか心地よく、耳触りも悪くない。
これなら男共がほかっておくわけないよなと納得しながら、俺が声をかけているのがよほど面白いのか周囲が遠巻きに囲んで興味深げに眺めているのを俺は楽しくなり
「よし、決めた。
とりあえず、今日は帰ろう。行くぞ」
「は?」
まるで野良猫か野良犬を拾ったかのように俺はジルベールを引きずってノヴァエスの王都の屋敷に連れて帰り、当時まだ執事だったバレットに命じて逃げようとするジルベールを石鹸で泡まるけの刑に処し、その頃はまだ俺より小さかった為に俺のお古を人形のように着せ替え遊びをして、嫌味のように新たに制服を誂え、これ見よがしに教科書一式をそろえ直し、ハサミを携えた理容師に身なりを変えさせ、執事見習いとして屋敷の一室に押し込む頃には俺に何をさせたいのだと涙ながらに訴える男に「とりあえず黙って俺に着いて来い。後はそれから考えよう」と俺は笑い飛ばした。
翌日から首に紐でもついているのではないかと言うように俺の一歩後ろを歩く男に、別の意味で誰も声を掛けられなくなり、日々不快に思っていた存在の立ち位置一つ変えただけで日々が面白くなった。
それからの付き合いだよなーと眺めていれば銀の髪を持つ男はかつては後輩であり、同期の仲間でもある男の元へと足を運ぶのだった。
「ブレッド、何考えているか当てて見ましょうか?」
やがて出立の時間になって馬に乗り揺られながら隣を並んで馬を歩かせるジルに視線を一瞬送るも溜息を吐きながら
「判りきった答えを聞く趣味はないさ」
肩を竦めながらも先頭で馬を歩かせてるアルトの背中を見ながら
「私は恩人であるアルトだけは戦場で散らせないとヴィンシャーに誓いました。
ティルシャルと最後まで守ると決めてます」
照りつける日差しの中ぽっくりぽっくりと馬の蹄の音を聞きながら大層な誓いを天気の話題でもするかのような暢気な口調に、周囲にいたノヴァエスの兵も、アルトの部下もぎょっとした顔でジルを眺める中
「悪いが俺は生き延びてアルトの世話をする事にしてるんだ。
5年前の礼をしないといけないからな」
「うーん。そうきましたか。それも見物ですね。
服引っぺがして蛆虫をピンセットでつまんで」
「あれは今思い出しても痛かったなぁ」
「あの時改めてあなたが子供だった事を思いださせられましたよ」
「なんでそう思ったんだよ?」
「毛が生えてない所に」
「成長期遅かったから……」
「2年ほどお会いしなかったら視線がほぼ同じになってて、ちょっと会ってないつもりがトラウマも全て克服して……
ああ、所であの時の薬の感謝の手紙はいい加減書きましたか?」
「出掛けに王都の屋敷の方に渡してくれって一筆書いてきたが、ちゃんと渡るだろうか」
「従兄弟殿もおいででしたか?」
「そりゃこの時期居るに決まってる。
一応学院の生徒だ。後方の騎馬隊の中に姿を見たな」
「大変ですね学院の生徒さんも。
見習いとは言え戦争に駆り出されるのですから」
「その点アルトは見事だったな。
学院を辞めさせて見習いでもなくなったから戦争に参加する理由はもうない」
「ええ、あの子には貴方以上に思い入れを入れてましたから」
「今頃泣いてないと良いな」
「泣いてるでしょうね。
あの子は私と違って優しいから」
周囲にいるノヴァエスの兵から誰ともなく鼻をすする音を落としていた。
短かったとはいえ、ノヴァエスの兵の強化の為にあの小さな子供は何度も訓練に参加してくれたのだ。
ノヴァエスの兵とも知り合いとなり、滅多に笑わないアルトから笑顔を引き出した小さな子供に誰もがその光景を微笑ましく眺めていた日を思い出す。
「ですが、いつまでも思い出に浸ってるわけにはいきません。
もうすぐガーランドとの接触ポイントに入ります。
森の中に隠れたガーランド兵と遭遇するかもしれませんので、全員周囲に気を配るように」
ジルの一声に続く兵士の返事が周囲に響く中、先頭を行くアルトが持つ槍が止まれの合図を出した。
副隊長でもあるジルは作戦参謀としてこの隊につけられたブレッドを連れて先頭へと向かう。
そうすれば、そこには一本の棍を横に伸ばし、行く手を立ち塞ぐように立っていた少年がいた。
息を切らし、そして見覚えのある騎乗型の妖精が隣に寄り添っていた。たしかアルトの従者の妖精だったなとぼんやりと思い出しながら
「ラン……」
ブレッドがその名前を呼ぶ。
その声を合図にランは妖精の首筋を撫でれば、すぐに森の中に消えて行ってしまう姿をブレッドは見送った。
「なぜここにいる。
逃げろと言ったはずだ」
ぽろぽろと涙を零しながら、でもアルトを見上げるランは泣きながら声を上げる。
「アルトが死に行くのに、何で黙って逃げる事が出来るんだよ!」
その言葉に誰もが息を呑みこむ。
「俺は死ぬ事が前提なのか?」
おどけて聞くアルトにランは確信を込めて頷く。
「先方の、しかも捨て石にされる部隊の隊長が生きて帰れる事はない!
生きて帰れたとしてもだ!
責任を取ってアルトは殺される、それを僕は何もできないまま見過ごせないよ!」
「一緒に死ぬ事が何かだと言うのならうぬぼれるのもいい加減にしろ」
「逃げる事が出来る」
「ランが、このフリュゲールに着た様に俺にも逃げろと言うのか?
馬鹿にするな!
これでもフリュゲールの八家ノヴァエス当主だ!
後ろに続く部下を捨てて逃げると言う選択は俺には一切ない!」
その勢いに言葉を失くすランだが、それでも道を譲らないと言うように棍を横に伸ばしたまま通せんぼをする中、アルトは溜息を零してランと名を呼ぶ。
アルトの当主としての宿命に反論もできないでいるランは名を呼ばれても顔を上げれずにいれば
「俺はお前に感謝している」
先程までとは比べ物にならない優しい声が周囲に響き渡った。
「お前がノヴァエスに来てくれてから俺の周囲は色々な変化がもたらされた。
屋敷にはいつも誰かの笑い声が響くようになったし、妖精達ものびのびと表情豊かになった。
兵達の戦力も随分と底上げされたし、つまらない顔をしている使用人達もお前の面倒にいつも走り回るようになっていた。
死んだ目をしているジルが声を出して笑っているのを見た時は自分の目を疑ったし、問題児のブレッドが朝から起きて三食規則正しく食事をしている、ベットで寝ている、毎日家に帰ると言う当たり前の事をきちんとしている奇跡がずっと続いたし、俺も静まりかえった屋敷でお前に名前を呼んでもらって他愛もない話をしてもらう毎日が殊の外心地よかった」
途中ジルとブレッドに「おい」と突っ込まれるも、華麗にスルーして話を1人続ける。
「何よりお前は俺をいつもアルトと呼び続けてくれた。
これには本当に救われた。
アルトゥールと言う名前は親を遠くの地に封じ、次期当主の候補者を殺してその座を奪った呪われた名前と言う者も少ないのに、お前はいつだって親しげに、こんな時だって俺をただ一人の人物として相対してくれている。
そう言うふうに俺を呼んでくれる人がこの後居なくなろうとも、ラン。
お前だけがいつもそう呼んでくれた。
俺には十分すぎる宝だ」
そこまで言って馬の腹を前に進めと合図を出すように蹴る。
涙を流して、もうかける言葉も探し出せなく項垂れるように立ちすくむランの横を通り過ぎながら
「最後に会えてよかった。
願わくばずっと元気でいてくれ」
すれ違いざまに残された言葉に手にしていた棍を遂に落とした。
力ではなく言葉で打ち負かされたランはアルトの後に続いたジルに手を引かれて移動する。
「同じく会えて良かったです。
貴方に出会えた事で家族と言う物が悪い物でもないという事を知り、私も随分救われました」
お元気でと言葉を残してアルトに続けば他の兵士もどこか鼻をすすりながら続いて歩みを始める。
そんな中ブレッドはランの横に馬を寄せて
「こうなる事はウェルキィの一件が無くても時間の問題だったんだ。
ランが気に病む事はない。
お前は物が知りたくてこの国に来たんだ。
戦争に巻き込まれるいわれはない」
声を殺ししゃくりあげて涙を零すランにブレッドは馬から降りて、その小さな頭を抱き寄せる。
それでも嗚咽を殺して涙を流す子供を不憫だと思いながらあやせば、同じ学院だった院生が目の前を通り過ぎていく。
無事戦争を回避できたランを羨ましそうに見る目。
お前のせいで戦争になったと見る者の目。
無事脱出してと希望を向ける目。
どうか生き延びてと知った顔が覚えた名が訴える目を向けられる中、ランはついに泣き声をあげてブレッドにしがみついた。
そして最後尾の部隊が通り過ぎた所でブレッドはランを引き離し
「じゃあ、俺も行く。アルト達が何しでかすかわからないからちゃんと見てないとな」
そう言って笑って見せる中それでもランはブレッドの隊服の裾を握りしめ
「ブレッドに出会わなかったら僕はきっと生きていなかった!
この命は助けたブレッドの物だ!」
「それはどうだろう。シュネルも居ただろうし、妖精達がお前をほかっておかないだろう」
「だけど!」
「俺はランに出会えた事が一番の喜びだ。
家族なんて母さんしかいないと思っていたが、ランが弟だったら、ランが弟で居てくれたから少しはまっとうな人間になれた。
そんな兄の願いはただ何処かで無事生きてほしい、それだけだ」
「ブレッド!」
「約束だ」
その言葉を最後にランの手を振りはらって馬に飛び乗り先頭を目指して走り去り、やがて遠のく隊列を見送りながら一人残されたランの影から一人の男が現れた。
「気は済んだか?」
風になびく地にまで着こうとする長い髪が揺らめく中、その一束を握りしめて
「僕は……」
言いかけて俯くも、長い時間をかけて涙に濡れた顔を手の甲で拭い
「僕はそれでもブレッドとアルトとジルに死んでなんか欲しくない!
一人でもこの戦争を止めてやる!
だから!」
「力を貸してほしい?」
「違う!力を貸せ!
僕は、戦争なんてまっぴらだけど、それ以上に大切な家族が死ぬのをだまって見てられないんだ!
だから、僕は剣を取る!
総てを敵にしても、たった一人でも大切な人を守りたいんだ!」
「我々が力を貸す理由にならんな」
「シュネルの地をガーランドの武力で荒らさせない、それだけで充分だろ!」
「確かに」
「僕は決めた。
例えこの手をまた血で染めようとも、どれだけの人の恨みを買おうとも、人殺しとさげすまれ化け物と罵られてもそれでも僕はあの三人には生きてほしいと願わずにはいられない。
結果、この地を去る事になっても、二度と三人に会う事が叶わなくても彼らが生きている、それだけが僕の望みだ!それで充分なんだ!」
長い髪を握りしめ、泣きながら決意を決めるランの頭を撫でながら困ったように
「ランが決めたなら我々は着いて行くだけだ。
だが良いのか?お前だけが一人この地を去ってまた彷徨う事になっても」
びくりと肩が震える。
つらく苦しくも生まれ育った国を1人離れる事になったあの寂しさを思い出すも、髪を握る手にさらに力を入れて
「僕にはシュネルがいる。フェルスも君もいる。みんないる。
だから大丈夫。僕がほんの少しがまんすればいいだけだ。
この国を荒らす敵を打ち、大切な友を守る為に僕は精霊騎士の剣を取る」
シュネル
名前を呼べばどこからともなく赤い鳥が飛んできた。
ピーピュルルルー
こんな時だと言うのに聞き惚れそうな綺麗な鳴き声に耳を傾けながら
「もう決めた。僕を止められないよ」
『知ってる。お前はただ愛した家族を守りたいだけなのだから』
「その中にシュネル達もいる」
「知ってる。お前の愛に我々は守られているのだから』
「だから」
『止める理由はない』
「なら」
『急ごう』
「場所は……」
『ノヴァエスとアレグローザに流れ込む川。
水と共にガーランドはやってくる』
「阻止したい」
『ヴェラートが監視している。心配する事はない』
「ならアウリールは隠れてて」
『私は共に行こう』
「ありがとう」
『我らは盟約に従い常に一つだ。
例え総てを失う事になっても前を進む限り我らはお前の力としてどこまでも共に行こう。
それが絶望にしか辿り着く途だとしても』
そう言ってランの肩にその羽を休める。
「アウリール、先回りをしたい。みんなの足取りを調べて。こんな事になった原因も調べて」
「承知」
その言葉を最後にその姿はランの影の中に吸い込まれるように溶けた。
「総てを敵に回しても僕は戦うよ」
『その決意があるなら行こう』
それがどんな傲慢で独りよがりな決意だとしても、決めた覚悟は誰にも止められず、そして決意を認めるしかないランの覚悟に止める事も出来ず、大切な家族が去っていた道を追いかけるように駆け出した足にシュネルは瞳を閉じる。
幸せと程遠い所にいたこの子供がやっと手に入れた平穏が続きますようにと祈るのだった。




