プロローグ
朝もやのけぶる埠頭で、僕は友人であるクラウスを介抱しつつ海を眺めていました。
彼は若くして海軍少佐を任官している友人で、言いかえてみれば悪友というやつです。
飲み会でもめったに酔いつぶれることのない彼がかなりぐったりして海風にあたっているのは、それなりに訳があります。
ちなみにただいまの時刻は午前四時。非常に寒いです。
お互いに疲労困憊ながら、一仕事終えた達成感と本日午前九時から予定されている会議へ出席しなければならないという義務感を頼りに意識を保っています。
「エギュビー、最終報告資料についてもなんとか終わったってことでいいんだよな」
深い隈の浮かんだ表情で再度の確認をクラウスがしてきます。今日すでに三度目でしょうか。
陽気なデスマーチ中の僕たちにとって、ようやっとこの日々から開放されるのだという達成感はえてして一抹の不安を生じさせるものなのです。
各種試験において、早めに問題を解き終わりそれからは答案を裏返して目を瞑っていた学生が試験終了五分前になると、本当に見落としがないか確認し直してしまう心境と似ているかもしれませんね。
「終わったって事でOKです。ただ、報告が終わった後に高官たちに回す精算関係の収支報告書とその費用精算の稟議書草案、君の部下が持ってきたやつ目を通しといてください」
僕はエギュベル・オードヴィ。国連高等契約弁務官事務所登録の契約士です。今現在は隣のご友人が所属する国家スフラーヘンハーフェ共和国と顧問契約をしています。
契約士というのは、弁護士や会計士、魔術師といった特殊技能保持者と並ぶ職業です。
とはいえ非常になり手が少なく、自国の勢力拡大に熱心な列強ひしめくこの大陸でもまず三桁の人数まではいないと推定されていますが、国連口頭契約弁務官事務所は正確な数を公表していません。
ちなみに契約士になるための難易度が高いのは、要求されるごく一部の特殊スキル以外はほかの職業を代替できることと相関関係があるといえるでしょう。
契約士につけた場合に、魔術師や法律家の方のかなりの範囲の業務を代行可能です。
その分勉強することも広範囲にわたるので、キャリアパス的には現役の契約士に弟子としてついて必要なスキルを学んで継ぐなんてことが多いのです。
今回僕は、海軍基地で使役されている精霊や幻想種の海獣との契約改定案件のためにここにいます。
国から給与や福利厚生を含む高待遇を与えられている代わりに発生する義務というやつで、言ってみれば国仕えなのですが、案外これを嫌って国の顧問契約士になる人は少なかったりします。
契約士は元々かなり自由な人、趣味人が多いですが、定数よりも少ない人間とこちらの都合は斟酌してくれずに容赦なく発生する案件の組み合わせはなかなか破壊的です。
この国は豊富な資金をもっていて給与の遅延などもなく金払いもいい一方で、容赦なくこき使うことでも著名でして、今回も例に漏れずハードワークになりました。
今回の案件を例にとると、与えられた時間は二ヵ月。人員は、友人の海軍少佐を筆頭に事務方三十名程です。プロジェクトの諸費用として八千万フローリンまでは僕の権限で経費で落とせることになりました。
ちなみに契約改定に臨むのは、種族がばらばらな精霊や幻想種族の皆さん約二百名。
それぞれ、契約条項がばらばらでして、彼等彼女等との契約書類自体も旧い様式の物が大半でなかには事故等で紛失している契約書もあるなどさんざんでした。
古いものは新しい書式に改めると同時に、ヒアリングを行って契約式と呼ばれる精霊種や幻想種との魔術契約内容をまとめなければなりません。
予算はそれなりにあれど明らかに人数と時間が足りない状況でした。
そのため、この案件の助っ人として懇意にしている法律事務所、つまりローファームから労働法や召喚契約法に詳しいエース級弁護士の派遣を依頼しました。エース級にもなると人月単価で数千万フローリンは軽くいくので、エース級一人とベテラン複数名、それから人月単価の安い新人から三年目くらいまでの人間十名前後をセット価格で多少安くしてもらい三つの事務所から派遣してもらいました。
時間もなかったので、速攻でタイマテ契約を結びました。
きちんというのであれば、タイムアンドマテリアル契約というやつです。複数事務所からサービス割り引きこみの見積書の概算と対応可能な主要弁護士のリストと過去案件を取りよせてから、三日以内でなんとかかき集めました。
やはりこういう場合の常で、以前仕事をご一緒した方々中心に以前の貸しを返していただく形で無茶振りに答えてもらいます。
七十~八十名規模のプロジェクト規模まで膨れ上がりますと、進捗管理などのマネジメントや購買調達の専用人材が必要になり、事務方をさらに数名増やしてもらいました。
その他に筆記具や紙の補充といったステーショナリー管理やら、アポイントメント管理などにさらに事務方についてもらうことにより、やっと体制が整います。
そうそうコックも忘れてはいけません。二十四時間体制で各国の温かい料理をサーブできるように五名ほど雇い、港町なので輸入物の新鮮な果物や、シナモンや砂糖をたっぷり使ったスイーツ類などの買い付けも行っていました。
甘い物はギスギスした状況を救ってくれます。なによりブドウ糖大事。
苦労したのは事務所間の仕事の作法の違いでしたが、基本的に軍部の遣り方にある程度合わせてもらう方向で調整し切り抜ける方向でなんとかしました。事務方の軍人さん方には苦労をかけましたが、短期間で組織風土を混ぜるのは難しいですし、仕方ないと割り切ってそこは仕事をします。
その成果もあって、なんとか上層部に引き渡すプレゼン資料と、基地の文書管理官に引き渡す契約書類などもろもろが整い、後は最終報告と査閲を待つばかりとなりました。
僕たちが抜け出してきた会議室では、二十人くらいの人間たちが死屍累々、床や机に突っ伏して眠りこけていることでしょう。
「エギュ、今回のケースでは世話になったな。また、何かあったら頼むぜ」
「こちらこそ、今度はもう少し余裕がある案件を望みますけどね」
僕たちはしっかりと握手を交わしました。
仮眠をとったら、最終報告会です。
はじめまして、こんにちは、こんばんは。
この物語は日々の徒然をほのぼのとした物語に流用してみようと生み出されたものです。
不定期更新になってしまうかもしれませんが、分かりやすく読みやすい物語を目指していきますので、どうぞよろしくお願いします。