其之二 精神の美
未来への桜歌第二話目。
翼と杏珠の兄妹のお話です。同時更新した明日ヒロもノイとマカの兄妹話。どっちもシスコンブラコンですね。二人があったら盛り上がるかもしれません。
そんな桜歌其之二をどうぞ!
冬馬の指が画面の上を滑る。妙な動きをして、画面に凄まじい指さばきで触れてゆく。
「ねぇ冬馬それ何が楽しいの?」
と問いかけてみるがイヤホンをしているので届かない。私はため息をついて、制服のスカートの裾をつかんでバサバサと仰いだ。ゲームセンターは苦手だ、ゲーム自体が得意でないしなによるうるさい。私はたいてい荷物を見守る係だ。しかし放課後のゲームセンターは人が多いので暑苦しい。そういうときスカートを煽りたくなるのだ。男連中にはわかりづらいだろうけどスカートって熱気を集めるから思った以上に熱い。
「杏珠。ちょっとそういうことやらないの」
私が再びスカートを仰いでいると厳しい声が飛んできて、思わず方をすくめる。顔を上げると猫のぬいぐるみを抱いた水藍さんが立っていた。私は膨れてみせる。
「だって熱いし、冬馬が音ゲーやってるのみても面白くないんだもん」
「だからってスカートで仰がないの。悪い男の人が杏珠の写真を撮ってるかもしれないんだよ」
「そしたらお兄ちゃんが抹殺すると思う」
私は素早く返した。水藍さんは頭を抱える。
「た、確かにそうだけど! ほらうちの制服でやるとイメージが、ね?」
そういわれると反論も難しい。私はしぶしぶ頷いて、冬馬に背を向けて水藍さんの持っているぬいぐるみに目を向けた。
「可愛いですね。唯さんが取ってくれたんですか?」
私は一緒にここへ来たもう一人名前、水藍さんの幼馴染の男先輩の名前をあげる。水藍さんは頷いた。
「うん、唯ああ見えて上手いから」
「いいなぁ。私もおにいちゃんがいたら取ってもらったのに」
私が足をバタつかせたときだった。水藍さんが眼を丸くして一点を指差した。
「ねえ杏珠。あれ翼さんじゃない?」
「え?」
思わずそちらを見た。私たちから数メートル離れた位置にあるUFOキャッチャーの筐体に赤い髪をした、端麗な顔立ちの男の人が立っている。間違いない、私のお兄ちゃんだ。だけど……その人は両端に女の人を連れていた。そしてどうやら彼女達にぬいぐるみをとって上げているらしい。じゃあお兄ちゃんじゃない。お兄ちゃんは女の子にモテるけど遊んだりしない、なぜなら私のことが大好きだから。だけれども、あんなにかっこ良い人は早々いない。私が悶々としていると、その疑問を解消するように彼と一緒にいた女の子がそれぞれ
「ありがとう翼君!」
「ありがとう十文字君!」
とご丁寧に苗字と名前をそれぞれ呼んだ。私はその苗字と名前を持つ人を兄のほかには高橋留美子の漫画でしか知らない。ましてやあの見た目で十文字翼など私のお兄ちゃんしかいない。私は荒々しく立ち上がると大股でそちらに近づいて「十文字翼」の肩を掴んだ。
「お兄ちゃん? これどういうこと?」
彼は振り返り、私の顔を見て端麗な顔をピカソの絵のように歪ませた。
「あ、杏珠?」
やっぱりお兄ちゃんだ。
◆
私の名前は十文字杏珠。柏井学園中等部の新二年生だ。童貞でヘタレで先輩の威厳など欠片もない春野冬馬と、頼れる生徒会長海堂水藍先輩に、彼女の幼馴染で天然毒舌の葉月唯先輩と生徒会を営んでいる。そしてなにより私には兄がいる。十文字翼。かっこよくて、天才肌で、なにより私のことが好きな自慢の兄。そんなお兄ちゃんはたった今ゲームセンターの外にあるベンチで小さくなっている。
「お兄ちゃん。あの女の子誰?」
私が声を荒げて問うとお兄ちゃんは小さな声で云った。
「だ、大学の友達だよ」
「なぁにそれぇ? お兄ちゃん高校時代女友達なんて作らなかったじゃない。私が一番って! それなのに作ったって事は私が一番じゃなくなったの?」
「うわぁヤンデレドラマCDみたいなこと云ってら」
冬馬が云った。唯さんが笑顔で云う。
「へぇ冬馬君は女の子にモテないからそういうの聞くんだね」
「ぶっ飛ばしていいっすかクソアホ毛先輩」
拳を握り締める冬馬を心の中であざ笑いながらも私はお兄ちゃんに詰め寄る。
「で、どうなの?」
「ええ、いや俺にとって杏珠がNO1だよ?」
「ふうん。でもさお兄ちゃん。あの女の子に、ぬいぐるみ二プレイでとってたよね? でも私のときは六回だった。どういうこと?」
「それは杏珠になら幾らでもお金をかけられる。だけどあんな表面上の付き合いな有象無象の女には金をかけたくないんだ。な?」
なるほど、私が頷きかけたときだった。とんとん、と肩を叩かれた。私が振り返るとそこに立っていたのはぞっとするような白い髪と、まるで死んでしまったような生気の薄い顔をした少年が立っていた。
「うわっ栞」
私の代わりに冬馬が絶叫した。彼、栞は表情一つ変えない。
栞は私のクラスメートだ。しかしクラスでは少し浮いた存在であまり学校にも来ていなかった。あるとき偶然私は彼と知り合って、それ以来私には少し心を開いたのか学校にも来るようになった。当然私にまとわりついている男、としてお兄ちゃんから敵視されているし、なぜか栞もお兄ちゃんを敵視している。
そんな栞が私にあるものを差し出した。
「杏珠、これ」
それをみて声を張り上げたのはお兄ちゃんだった。
「俺のスマフォ?」
確かに栞が差し出したそれはお兄ちゃんが愛用しているスマフォだった。私を象ったストラップと私の写真のスマフォカバーなのでよく判る。そして差し出されたのは『LINE』の友達欄であった。私の名前にお父様とお母様、それに使用人の翔さん。それから水藍さん、唯さん、冬馬の名前と学園長ルナが続いて……先日までならそれで終わりだった。冬馬と一緒にいる神様の華華は携帯を持っていないため連絡は冬馬伝だ。
しかしそこに女の名前が二人増えていた。栞はスマフォをお兄ちゃんに優しく手渡す。
「ポケットは良く確認したほうが良いですよ」
と云い残して彼はスタスタと去っていった。お兄ちゃんは魂の抜けたような顔をしてこちらを見ている。私は笑顔を浮かべた。お兄ちゃんは少し安心したような顔をしたので私は続けた。
「家族や生徒会と同じくらい大事な人が出来るなんて良かったね。お幸せに!」
それを聴いた瞬間お兄ちゃんはベンチから落下してしまった。
◆
「いやぁ十文字兄妹も喧嘩するんだな」
帰り道、冬馬が述べた。私は口を尖らせる。
「初めてだよ。もう会話しないから最後だけどね!」
お兄ちゃんはベンチにおいてきた。そのうち家に帰るだろう。私がずっと大股なのを見て唯さんがさらりと云う。
「なんかあれだねぇ。ラブラブなカップルほど分かれた後はめちゃくちゃ嫌いあう感じ」
「唯空気読みなさい」
低い声で水藍さんが諭す。冬馬はものすごく面白いようで
「いやぁまさかあっこで栞が出てくるとはな。しかも杏珠の写真全削除+地面の写真を二百枚連射してパスワードつきの保存ロックかけた上にホーム画面を栞のめちゃくちゃウザ顔の自撮りときた」
「よくあんなに一斉嫌がらせできるよね」
唯さんまで苦笑いする。そして
「まあ栞君、杏珠ちゃんのことが好きだからお兄さんを排除したかったんだろうね」
といった。
私は思わず足を止めた。冬馬が
「おい言い方」
と突っ込み、水藍さんが
「もうちょっと空気を読みなさい、本当に」
と叱咤したが上手く頭に入らない。私はゆっくりと振り返る。
「……今栞が私を好きって云いました?」
皆同時に頷く。
「そりゃそうだろうなぁ。どうみても。俺でも判るぜ」
「冬馬君でもわかるくらいには判りやすいよねぇ」
「まったく青春って感じ。あんなひねくれ者の心動かす杏珠もすごいけど」
私の思考が停止した。
そんなこと考えたこともなかった。そうか、確かにありえない話ではないのかも。栞は私に会いに学校きてるって云ってたくらいだし。確かに、有り得るのかも知れない。ただ、私の中では大兄ちゃんという太陽のようなまぶしい存在がいたため、他の星に気を止めることなど無かった。でも……そういえば?
むくむくとわきあがってきた奇妙な感情。帰宅後、私はスマフォを取り出し栞にメッセージを送った。
「週末、遊びに行かない?」
◆
「お嬢、若旦那になんかいいました?」
そう問われたのは夕食の後、部屋のベッドでくつろいでいるときだった。相手は十文字家の使用人、翔さん。お兄ちゃんより少し年上程度の人で、私にとって使用人でありながら友人やもう一人のお兄ちゃんのような感覚だ。私は首を振った。
「嘘はつかないで。二人が別々に夕食を取るなんて初めて。俺が仕事で殆ど家を空けている旦那に雇われてここに来てから二人が一緒に飯をとらなかったことなんて初めてですから」
敬語とタメ口が入り混じった翔さんの口調は安心する。私は思わず頷いた。
「喧嘩したのおにいちゃんと」
「喧嘩。お二人もするんだねぇ喧嘩」
眼を丸くする翔さん。少し嬉しそうなのは気のせいだろうか。私はむくれてみせた。
「もう知らないからあの人。私彼氏も作るし」
「ええええ。嫁ぎ先を作るのは奥様が喜ばれるし、俺も個人としてお嬢の幸せは大歓迎なんだけど。若旦那自殺しちゃいますよ」
「すればいいの。先に女を作ったのはお兄ちゃんだもん。死んで、化けて出て冬馬に退治されれば良いの」
「お嬢!」
翔さんが怒鳴った。私は思わず肩を震わした。
「喧嘩しようと自由です。君達だって兄妹だ。だけど、命を軽んじるような発言は使用人として。代わりの親として見逃せない」
「ごめん、なさい」
慌てて謝る。翔さんは私の頭に手を置いて微笑する。
「まあいっぱい考えなさい。一つ云うとすれば若旦那は間違いなく君を大事に思っているよ。それこそ運命さえ変えてしまうほどにね」
「なにそれ」
「冗談さ」
茶目っ気たっぷりな翔さん。それから立ち上がり云う。
「とりあえずゆっくりお休み。お嬢」
私は頷く。やがて部屋の電気が消され、私は眠りの中に落ちていった。
◆
結局それから三日。私はお兄ちゃんと会話できなかった。家の廊下ですれ違っても無言で通り過ぎるか、わざとらしく「アー栞とのデート楽しみ」と叫ぶくらいでお兄ちゃんはなにも云ってこなかった。哀しそうな顔で。
そして週末が来た。約束どおり栞と出かける日。駅前で栞はいつも通り生気の薄い状態で舞っていた。が私が駆け寄るとほんのり顔に赤がさした。待った? と聞くと首を振った。今日はなかなかよそ行きの服を着ている。エメラルド・グリーンが映えるロングスカートに真っ白いプリーツ袖がウリの服。それからアナスイという水藍先輩が教えてくれたブランドのリングとネックレスをしてなかなか決めている。
栞が私を上から下まで見て、一言
「まあまあ似合ってんじゃん」
といった。よし大成功だ。
遊ぶといっても水族館や遊園地ではなく、町を見て周るだけだ。適当にブラついて、見たい店を見て周る。お腹がすいたらマックに入って二人で食べる。
「それにしても翼さんとは喧嘩したままなの?」
栞がマックシェイクをズソーっと鳴らしながら問いかけてきた。私は頷く。
「うん。お陰様で。栞がお兄ちゃんのろくでも無さを暴いてくれたお陰で、私はお兄ちゃんという呪縛から解放されたの。これからは普通の女のらしく恋をしたり友達作ったり、自由にいくるわ」
「それってお前の本心?」
栞は短く、だが的確に問いかけてきた。まるで綺麗にバッターのストライクゾーンに入るスライダーみたいに的確に。私は慌てて答える。
「本心に決まってるでしょ?」
「ふうん。お前さ」栞はそう切り出してからこう聞いてきた。「最近変な夢みてない?」
ドキリとした。どうして彼はここまで的確に、当ててくるのだろうか。
◆
「変な夢」はお兄ちゃんと喧嘩した数日前から見だした。
夢の視点は私だった。あくまでも、私。なぜだがそれは判る。だけれど……まるで私ではないみたいに。私でありながら「杏珠」と呼びたくなるような、そんな人の視点だった。そして杏珠は恨みの心を持っている。深い、海のように深い恨みを。
そして杏珠の恨みの対象の名前は「十文字翼」だった。杏珠は「十文字翼」を殺す手立てをはじめる。そこで杏珠が思い浮かべる「十文字翼」は他の誰、ましてや高橋留美子の「十文字翼」でもなく私の良く知っている「十文字翼」であった。ただその「十文字翼」は私の兄ではない、杏珠の兄だ。
自分でも良く判らないし、「十文字翼」がゲシュタルト崩壊してくるけど確かに夢の中で私はそういう感覚に陥る。そして殺しが実行される直前で目が覚める。
そしてこれを数日おきにみる。
誰にも云っていない。それなのに栞は今、私がこの変わった夢を見ていることを当ててみせた。
私がハンバーガーを口に運ぶことも忘れまじまじと栞を見ていると、栞は俯いた。
「やっぱり見てんだな?」
「うん」
私は思わず頷く。栞君はため息をついた。
「多分お前は夢の中の登場人物に感情移入してそれに操られている。それが翼さんへの怒りを増幅させている」
「じゃあこのお兄ちゃんへの怒りは私のじゃないの?」
栞はああ、と傅いた。
「だからやめろって。そうやって恨みの方へ転がるのは不味い」
「なにそれ!」
思わず立ち上がって叫んでいた。他の客の注目が集まる。
「栞がお兄ちゃんと喧嘩させたくせに。私が好きだから! なのに仲直りしろって! 結局わたしのこと誰も好きじゃないんでしょ? もう! 知らない!」
思い切り椅子を蹴っ飛ばし、店の外へと飛び出るその最中常に「杏珠」が耳元でささやいていたような気がする。そして私は店の外に出て、絶句した。いや、店の外に出たはずなのに全く違う場所にいた。辺りが真っ暗の闇の中。そしてどこかからか栞の声が聞こえたような気がして――次の瞬間私は闇に飲み込まれた。
★
俺は完全に終わった。
どう考えても終わった。いとしの妹に嫌われてしまった。俺の人生終わり。世界の終わりだ。部屋の隅で丸くなってもう二日がたった。時々トイレにたっても杏珠には無視される。
完全に終わった。
俺の名前は十文字翼。クールでかっこいい大学生。のはずだった。だが最愛の妹に嫌われてしまったのでどうでもよい。自己紹介さえしたくない。もう俺の名前がこれからウンポコチンポコマンとかでも良い。どうでも良い。全部。
俺が自暴自棄になっていると部屋の扉が開いた。入ってきたのは翔さんだった。
「若旦那、いじけてますねぇ」
からかうような口調の翔さんに眉をひそめながら俺は云う。
「当たり前だろ。俺は人生の全てを失ったといっても過言じゃない」
「なんで女の子友達なんて作ったんですか。お嬢怒るに決まってるでしょ?」
俺は思わず呻いた。鋭い指摘。なかなか痛い。
「俺だって別に作る気は無かった。だけど偶然話し合う女の子に話しかけられて、盛り上がって。ちょっと嬉しかった。俺、高校のころ生徒会以外の関わりなかったし」
「まあ男ならそうでしょうね。それでいいじゃないか」
さらっという翔さんに俺は目を丸くした。
「よくない!」
「落ち着いてください若旦那。そもそも言い方アレですけど二人ともいい年だ。そろそろ兄妹離れしても良いんじゃないですかね。すくなくともお嬢はその気みたいだよ」
「は? 杏珠が」
俺は床から転げ落ちそうになってから、床以上したが無いことに気が付いた。翔さんは頷く。
「ええ、栞君でしたっけ。明日デートするらしいです」
「クッソ。あのガキと? 杏珠本格的に俺がいらないのかよぅ」
「若旦那はどうなんすか」
「俺は、杏珠のが大事だ。杏珠に云われれば彼女たちとも縁くらい切れるし、それで大学四年間孤立でも構わない。でも杏珠はもう……」
それなら、と翔さんは俺の頭に手を置いた。
「じゃあ迷惑でもお嬢を大事にしてやってください。たとえお嬢にその気が無くても。迷惑がなんでい、くらいで」
俺がポカンとしていると翔さんは続けた。
「俺嫌いなんですよ。恋愛のドラマとか漫画で『相手のことを思って諦めるエンド』。お二人は恋愛ではないんだろうけど、愛は愛でしょ? 愛に言い訳したらいけません。貴方の、十文字翼を次期十文字家の立派な当主にする役目のある俺としては、貴方をそんな愛に中途半端な男にするわけにはいきませんからね」
俺は、小さくため息をついた。そしてスマフォを取り出す。あれ以来触ってないので未だに栞がホームだがそんなこと気にせずにLINEを起動し、俺は二人をブロックした。そして立ち上がって翔さんに云う。
「ありがと、翔さん」
◆
現在
「ってワケでデートを遠くから見てるんですか。悪趣味っすね」
冬馬君が俺をプルタブでも見るような目つきで身ながら云った。俺は手をひらつかせる。
「俺は杏珠の愛に生きるんだ。栞がなにかするなら地獄へ送る」
俺は振り返り、俺と冬馬君から少し距離を置いた位置にいる水藍ちゃんと唯君に呼びかけた。
「二人も協力してくれよ」
曖昧な笑みが返ってきた。
俺たちは現在杏珠と栞が並んで歩いている十メートル後ろを追っている。冬馬君について来た神様、華華が首をかしげる。
「なんで翼は杏珠をストーキングしてるんです?」
「そういう趣味になったんだよ」
嘘をついた冬馬君を軽く蹴ってから俺は二人が服屋に入ってゆくのを見届けた。俺は足を止める。
「あ、入らないんですね」
唯君が云ったので俺は頷く。
「店の中は一本道じゃないからな。鉢合わせしたら俺が終わる。本格的に」
「もう終わってると思うんだけどなぁ」
水藍ちゃんの容赦ない言葉が心に刺さるが俺はめげない。
じれったい時間が三十分ほど過ぎて、二人が店から出てきた。杏珠が袋を持っている。俺は耳をそばだてた。
「栞ありがと。まさか服かってくれるなんて」
「いいっつーの。寧ろ俺が選んだ服なんかでいいわけ?」
「いいの。なんかカップルっぽいじゃん?」
「かかかかかかかかか?」
壊れた玩具のような声を出して杏珠から顔を背ける栞に俺は脳内で筋肉バスターからのパロスペシャルをかけた。一方俺の仲間のはずの四人は完全にワイドショー好きのババアになっていた。
「栞もあんな顔するんだなぁ……」
「普段は無愛想だから意外なのです。ギャップ萌えなのです」
「可愛いところあるじゃないの。杏珠もまんざらじゃなさそうだし」
「良い雰囲気だねぇ」
俺は血の涙が出そうになった。俺だって最近は杏珠に服を選んでやってないのに、あの色白モヤシ野郎、許すまじ。
その後も二人は色々なところを周った。杏珠は終始笑顔だったし栞も時々笑っていた。傍から見ればよいカップルだ。絶対に許さない。
現在、俺たちはとあるビルの屋上にいた。なにもない更地のような屋上にいる理由はたった一つ。反対側の建物にあるマックに入った杏珠と栞を見張るため。双眼鏡を取り出した俺を見て水藍ちゃんが本気で警察に連絡しかけたのは内緒だ。
「まったく妹が男と食事しているところを盗み見るなんて最低ですよ」
水藍がののしる。俺は双眼鏡越しに二人を凝視しながら首を振った。
「これだけは店の前で待機と行かないのだ。食事ってのは男女の仲が一気に発展する。なにかあったら俺がここからモヤ栞を暗殺する」
「暗殺? そしてモヤ栞って」
呆れた声の冬馬君を背中に感じながら俺はしばらく見ていた。すると杏珠が突然乱暴に咳を立ち上がった。そして椅子を蹴り倒し、外へ向かって走り出した。俺は思わず歓喜の声をあげた。
「杏珠が逃げる! 栞の奴振られやがった!」
そう叫んで振り返ったときだった、冬馬君が凄まじい勢いでこちらに駆け寄ってきた。そして俺から双眼鏡を奪い取ると店から出てきた杏珠を見、絶叫した。
「最悪だ!」
「ど、どうしたんだいトーマ君」
俺が問う。冬馬君は頭を抱えた。
「くっそ、俺としたことが見逃していた。いつからだ」
「おい、トーマ君!」
俺が呼びかけると彼は、はっとして俺を見た。そしてこう告げた。
「不味いです。杏珠、いつの間にか……悪霊に憑かれています」
その言葉が終わった瞬間。黒い爆発が起こった。
◆
黒い風が走った。俺は思わず目を瞑る。そして目を開けるとそこには杏珠がいた。しかし杏珠の全身は黒い闇が波打っていた。そして背中からは黒い大きな翼が生えていた。そう、杏珠から翼が。駄洒落じゃなくて。黒い闇に身を包み、翼を広げたそ杏珠のその姿はまるで美しい悪魔だった。冬馬君が舌打ちをした。
「くっそ、悪霊に食われた遅かった……」
「食われたってどういう?」
唯君が問うと彼は答えた。
「悪霊化した霊は時々人間の心に入り込むんです。負の感情に。だいたいは自分が生前抱いていた感情に呼応するんですけど。とにかく翼さんと喧嘩して怒っていた杏珠はそれに漬け込まれてた。そして多分、今栞と喧嘩したことで完全に心が壊れて喰われたんだ」
「助ける手段は!」
俺は気が付くと冬馬君に詰め寄っていた。彼は冷静に答える。
「安心してください。桜花刀で切れば杏珠だけ助けられます。ただ問題は」
一瞬安堵した俺を彼はその言葉で突き放した。
「この屋上、なにもないから桜花刀を降臨させるものがないんですよね」
瞬間。黒い爆発が俺の頬を掠めた。みると杏珠が黒い腕をツタのように伸ばして俺に襲い掛かってきていたのだ。
「コロス」
ただそれだけ云うと再び黒いツタが襲い掛かってくる。俺は転がってそれを回避しながら冬馬君にささやいた。彼は眼を丸くする。
「そんなことしたら翼さんが!」
「いいからやれ。俺は杏珠のためなら何できる。愛に言い訳は無いからな。さあ、まずこれをつけろ」
俺は懐から手袋を取り出す。
「これをつけるとパンチ力が十倍になる。十文字特製だ」
冬馬君はため息をついて手袋をはめ云った。
「どうなっても知りませんよ!」
そして思い切り俺を殴った。凄まじい衝撃。まるでトラックにでもぶつかったみたいだった。俺は衝撃に従って杏珠めがけて飛んでゆく。杏珠が闇のツタをめぐらせ俺を攻撃するが俺の威力は落ちない。ツタは痛いが杏珠の攻撃だ。なんともない。そして俺の体が杏珠に激突する直前で華華が俺の元まで飛んできた。そして、触れた。冬馬君が叫ぶ。
「桜花刀!」
桜が舞った。俺の中に光が沸いてくるような気がする。俺はそのまま杏珠に飛び込み静かに抱きしめた。光と桜の花びらの渦が舞って杏珠を覆っていた闇が消え、杏珠はその場に崩れた。俺はそれを支える。冬馬君が頭を掻きながら近寄ってくる。
「全く、無理しますねアンタ本当。杏珠のためなら。……自分に桜花刀を降臨させるって、普通の人間なら魔力に耐えかねて体が引きちぎれて死んでますよ」
「はは、それは怖い」
俺は苦笑した。
それから俺の腕の中で寝息を立てている杏珠を見て云った。
「体が消し飛んでも杏珠を守るのが俺の愛だからな」
◆
この後杏珠と俺は仲直りした。俺を命がけで救ったことを冬馬君達が教えてくれたのだという。俺が大学の彼女達とも縁を切ったと聞いて杏珠は満足そうだった。
そういえば栞はどうしたのだろう。俺に云っておいてまだ時たま遊んでいるらしいが起こる気にもなれない。
全く悪魔みたいな子だよ。俺の天使は。
〈其之二 了〉