12-(5) 陽動作戦
『ひ……ああぁぁぁーッ!?』
時を前後して、海沙と宙を送っていた車が突然何者かに襲撃されて横転していた。
まるで、ワイヤーにでも引っ掛けられたかのような……。
二人の叫びと、直後のズシンという轟音。無惨に大破し、きゅうと目を回している彼女達
の下へひたひたと、何者かがゆっくりと近寄ってくる気配がする。
「……」
ガサゴソと間近で音がし、海沙が持ち上げられていった。
するとどうだろう。まるでこの瞬間を待っていたかのように、車の──三条家の運転手が、
倒れ伏したその姿勢のままで自身のデバイス画面に表示されたアイコンの一つをタップ
する。
『──出たぞ! 南城区に向かっている!』
“用事”を済ませて地上に出ていた睦月と國子以下リアナイザ隊の面々は、はたと皆人か
ら届いた通信を受けると急ぎ駆け出していた。
言わずもがな、アウターだ。司令室から奴の出現が観測されたのだった。
「……これで良いですか? 司令」
『ああ。危ない役目、よくやってくれた。今度の給金はしっかり色をつけさせておく』
実はこの日海沙と宙を送った運転手は司令室の職員、つまりアウター対策チームのメン
バーだったのだ。
それには理由がある。二人が乗り込む前、彼はこっそり発信器を取り付けていた。これで
たとえ道中カメレオンに襲われても、彼女らの──海沙の行方はばっちり追える訳だ。
たとえ襲われても。
全ては皆人の計算の内だった。自分も、睦月も彼女の傍にいない状況は奴にとってこれと
ない好機となるだろう。なまじ一度、自分達を口封じに襲いながら失敗しているのだ。少な
からず犯人は──八代は焦っている筈だ。この隙を、奴らが見逃す筈はない。
(本当に出やがった。皆人の読み通り、だけど……)
最初、学園を出る前にこそっとこの作戦を聞かされた時、睦月はあまりよい顔はしなかっ
たし、出来なかった。
何故なら他でもない二度目の囮作戦だからだ。海沙のあんな怯えた姿を、もう一度目の当
たりにすること前提で動くなんて心が痛んだ。
それでも更に皆人は付け加える。何も追いかけているのは自分達だけじゃないと。
曰く、H&D社潜入時に出会った筧刑事が、ここ数日自分を嗅ぎ回っているのだという。
間違いなく怪しまれている。だから彼もまた振り切る必要があり、俺に一つ考えがあると
親友は言った。
……呑むしかなかった。この事件を少しでも早く解決する為にも、自分達の正体を暴かれ
る前に筧刑事を止める為にも。
「くっ……!」
いや、それよりも集中すべきは目の前だ。
急いで追いつかなければ。
何よりも先ず、海沙を助けなければ。
──そこは街の片隅に在る、とある貸し倉庫群だった。似通った建ち格好のこじんまりと
した倉庫が点々と並び、周囲はがらんとして雑多な廃材などが積み上げられている。
「ふひひっ……」
そこへ、透明化を解除してカメレオン・アウターが現れた。同じく彼の肩を取ってその恩
恵を受けていた召喚主・八代が、自身のリアナイザを片手にほくそ笑んでいる。
「……っ、むぐ……」
合鍵を使って倉庫の一つを開け、中に囚われていた仁を露わにする。
両手足を縛られ、口にガムテープをされ、背中が傷と共に大きく破れた姿。八代は彼が次
の瞬間、はたと目を見開いて必死にもがくのを哂いながら、べりっと乱暴にそのガムテープ
を剥がし取る。
「や、八代……。お前、お前何てことを……!」
二人(と一体)の間。そこには気を失って眠る海沙が地面に寝かされていた。
思わず自由になった口で仁は叫ぶ。だが八代はこちらをちらっと見遣っただけで笑ってす
らいた。まるで見せ付けるように、その腹に一発カメレオンに入れさせて黙らせ、彼はゆっ
りと海沙の足元まで近付いて息を荒げていく。
「真面目だなあ、お前は。目の前に海沙さんがいるんだぞ? 今ならやりたい放題だぞ?
何とも思わないのか? できないね。俺は、もう我慢できない。もうずっと見ているだけな
んて沢山だ! 俺が……俺が海沙さんを汚す。俺が海沙さんの初めてになるんだ……!」
はぁはぁ。八代はじゅるりと涎を拭いながら、鼻息の荒い、血走った眼でその手を伸ばそ
うとしていた。
止め──叫びかけて、もう一発仁はカメレオンから一発を貰う。狭い貸し倉庫(小)の中
で叩き付けられて意識を手放しかける。
……そういう事だったのか。だからお前は。
しかし今の自分には奴を止められない。手足を縛られて、あの時の緑色の化け物が下手に
抵抗をすれば殴る蹴るを繰り返す。
血走った眼の八代。その手が気を失ったままの海沙の胸元へと。
確かに俺は、彼女の何でもない。でもこんな穢され方、許せる訳がなかった。
叫ぼうとする。飛び出そうとする。
それでも殴られて、蹴られて、何て自分は──。
『ッ!?』
だがまさにその瞬間だったのである。
カシャリ。小さく、しかし間違いなくシャッター音がした。八代やカメレオンがその音に
敏感に目を見開いて振り向くと、そこにはハンディカメラを片手に國子が立っていた。その
隣には静かな怒気を孕んで、じっと睨むように睦月が立っている。
「観念してください。証拠はこの通り押さえました。もう逃げられませんよ」
「見つけたぞ、お前が八代だな? よくも海沙を……」
更に後ろからは、ぞろぞろと見覚えのないワイシャツ姿の面々。
リアナイザ隊だ。当然、八代はともかく仁が知っている筈もなく。
「さ、はら……」
「お前ら……。おい。カメレオン!」
か細く睦月の名を呼ぶ仁。一方で八代はあからさまに舌打ちをし、リアナイザごと右手を
振ってアウターをけしかけた。ぎゅんと振り向き、飛びかかってくるくすんだ緑色の異形。
思わず仁が「危ない!」と叫びそうになるが……。
『──』
刹那、左手に握り込んであったリアナイザを、國子が即座にこの中空のカメレオンへと照
準を合わし、朧丸を呼び出した。刀の一閃が宙を舞い、般若面の彼女のコンシェルはこれと
切り結んでどうっと地面に倒し、着地する。
「なっ……!? ま、まさか。お前らも」
「……どうなってんだ? 陰山のも、八代と同じ……」
それぞれに驚く八代と仁。寸前で致命傷は避けたのか、カメレオンは地面に膝をつきなが
らググッと身をよじらせている。
國子が促し、周囲を囲むリアナイザ隊の面々を動かし始めた。一方で睦月はその視線を八
代から仁に映し、そしてふいっと──妙に浮世離れしたように微笑みを向ける。
「もう大丈夫だからね。それと……疑ってごめん」
だがそんな穏やかな表情も、再び八代に視線が向くと敵意のそれへと戻った。
二人が目を丸くする。取り出したのは白いリアナイザ。デバイスを中にセットし、ホログ
ラム画面から例の操作を実行していく。
「八代直也……。お前は、僕の“敵”だ!」
『TRACE』『READY』
『OPERATE THE PANDORA』
その異質なリアナイザを高く掲げ、銃口から光球が飛び出る。また彼の身体にはデジタル
記号の光輪が周回し、併せて彼を瞬く間に異質の──白亜のパワードスーツに身を包んだ戦
士へと変貌させる。
「ッ!?」
「え……。えぇェェェーッ?!」
二人は驚愕していた。目の前に起きた事も勿論ながら、その姿が示す正体のは彼らもしば
しば耳にしてきたのだから。
「覚悟しろ、八代! 変態アウター!」
「っ……。ひ、怯むな! やれ!」
「ま、まさか。佐原が守護騎士だったなんて……」
切り結び始める睦月とカメレオン・アウター。先ずは互いに徒手拳闘の応酬を繰り返し、
相手のそれを交わしながら一撃二撃と睦月が着実に拳を蹴りを叩き込んでいく。
その隙に、朧丸とリアナイザ隊が八代に迫った。しかし身の危険を悟った彼は、咄嗟にま
だ地面に寝ていた海沙を担ぎ上げ、人質として逃げ出し始める。
「ご無事ですか? 背中の傷が特に酷いですね……すぐに医務班を手配します」
「あ、ああ。……なぁ陰山。お前ら、一体何者なんだ? あの化け物も、八代も一体……」
ならば追う者と救出する者。國子は前者を部下達に任せ、自身は倉庫(小)に縛りつけら
れていた仁を解きだした。
助かった……。感謝しながらも、だが激しく戸惑っている仁。
無理もないだろう。國子は背後で戦っている睦月とカメレオンを肩越しに一瞥し、言う。
「……私は皆人様の護衛役で、アウター対策チーム実働部門・リアナイザ隊隊長代理、陰山
國子です。睦月さんは我々と一緒に戦ってくれている最大にして唯一の戦力──仲間です」
あくまで素っ気無く簡潔に答え、彼女は一度じっと仁を見た。
何度か目を瞬き、仁はまだ唖然としている。すると國子は、数拍を空けると、今度は懐か
らまた新たなリアナイザを取り出して彼に差し出す。
「皆人様からです。疑ってすまないと」
「スラッシュ!」
『WEAPON CHANGE』
武装を切り替え、睦月は猛然と攻める。
元々透明化するくらいしか大きな能力を持っていなかったのかもしれない。カメレオンは
この猛攻にただ押され、何度も身体から火花を噴いて仰け反った。
背後、仁や國子の更に向こうでは、海沙を抱き寄せて盾にする八代がリアナイザ隊とその
コンシェル達に囲まれて必死の形相をしている。
「畜生……どいつもこいつも邪魔しやがって……。おい、カメレオン! 何ぼさっとしてや
がる!? 早く俺達を守れ!」
グヌヌとふらついた身体にそう激怒され、カメレオンは八代の方を見遣った。そうはさせ
ないと睦月は更に剣状のエネルギーを振りかざして迫るが、カメレオンは今度ばかりは大き
く跳躍してこれをかわし、空中から八代──リアナイザ隊の面々、ひいては彼が抱える海沙
へとその舌の一撃を伸ばす。
「海沙!」「海沙さん!」
故にそれはほぼ同時だった。睦月が飛び出し、これを救おうとしたように、仁もまた咄嗟
に返して貰ったばかりのリアナイザの引き金をひいていたのである。
「──ギュッ!?」
はたして……その舌は弾かれる。
仁は次の瞬間、我が目を疑った。自分の目の前で、カメレオンの攻撃をその大きな盾で防
御した白甲冑のコンシェルが立っていたのだから。
「……。本物になった」
グレートデューク。仁がTAで愛用している、防御特化型のコンシェルだ。
「え? 大江君のコンシェルが……?」
『ああ。あのリアナイザ、調律されてますね。どうやら坊ちゃん、返す前に正規品を改造さ
せてたみたいです』
思わず立ち止まっていた睦月に、パンドラが言う。
なるほど、そういう事か。これも彼の作戦の内なのだろうか。少し迷った。
でも、少なくとも彼は敵じゃない。同じ女性を守ろうとしている──仲間だ。
「か、陰山……?」
「我々からのプレゼントです。その力を悪用しないことを切に願います」
それが“償い”にもなるでしょうから──。最後に呟いた國子の言葉に、仁はハッとなっ
ていた。
まだ状況が飲み込み切れない。
だが今の自分なら、佐原達と一緒に、海沙さんを守れる……。
「っ、大江ぇぇ!!」
「──! 八代ォォ!!」
ガシンッ! 再びカメレオンとデュークの爪先と盾がぶつかった。されど体格の大きさと
自重の差なのか、程なくして盾ごとぐいぐい、デュークの方がこれを押し返していく。
「もう止めろ、八代。お前の企みはもう失敗してる! 大人しく罪を認めてそのコンシェル
を戻すんだ」
「五月蝿ぇ! ここでもリーダー気取りか、ああ!?」
「人として、だっ! 分かんねぇのか。俺達はオタクで、非モテで……。ただでさえ汚点を
出したら駄目なんだよ。ひっそりやらなきゃいけないんだ。そもそも、本当に手を出したら
ただの犯罪だろうが!」
叫ぶ。再び分厚い盾で弾き返し、仰け反った所をもう片方の手に握る突撃槍で突こうとする。
だがカメレオン──を操る八代はそのラグを見逃さなかった。今度はその舌をこの槍へと
伸ばして巻き付け、攻撃の手を封じたのだ。
「五月蝿い、五月蝿い五月蝿い五月蝿い! 何で俺達だけなんだ!? 何で俺達ばっかりが
我慢しなきゃならねぇんだ!? 俺達にだって好きなものがあるのに、何で俺達ばっかりが
好きだって言っちゃいけねぇんだよ?!」
そしておそらく、これが八代の動機であった。心の叫びだった。
睦月が國子が、リアナイザ隊の面々がはたと目を開いて押し黙る。
だから手に取ってしまったのだろう。その歪んだ想いに、つけ入れられて。
……馬鹿野郎。そして仁はただ、この変貌してしまった仲間に吐き捨てる。
「グェッ!?」
しかし吐露も虚しく、デュークの槍を封じるカメレオンの舌を、朧丸が霞む斬撃で以って
斬り捨てた。デュークがよろよろと自由になる。カメレオンが、あの時と同じように激痛に
悶えて地面に転がる。
「……だからといって、貴方がやったことが正当化される訳ではありませんよ? 学友を恐
怖に陥れた罪、しっかりと償って貰います」




