11-(2) 追跡者たち
作戦決行は、その日の放課後──夕暮れ時だった。出発前に一度ザァッと雨が降り出し、
中止しようかと話し合い始めていたが、幸い通り雨だったようで半刻もすれば止んだ。
これから日没にかけて。
海沙の話の通りだとすれば、件のストーカーが現れたのはこの時間帯である。
睦月達五人は一旦帰宅して支度を整え、それぞれに街の一角へと現地集合していた。犯人
が何時・何処から監視を始めているか分からない以上、用心に越した事はないという皆人の
発案である。
「じゃあ海沙。打ち合わせ通りにね」
「うん。頑張る……!」
連絡のやり取りは終始デバイスのチャット越しに。
海沙を一人往来の中に残し、睦月と宙、皆人、國子の四人はそんな彼女をやや離れた位置
の物陰から見守っている。
──では実際問題、どうやって犯人の尻尾を掴むか?
睦月らは話し合ったが、結局自分達が取れる現状唯一の手は海沙本人を泳がせてひたすら
相手の出現を待つあぶり出し──囮作戦くらいしかなかった。
無論、睦月は最初この案に反対したが、リスキーであることは言い出しっぺの宙を始め皆
が分かり切っていた事だった。何より、当の海沙本人がやる気を出してしまった以上、睦月
にもう思い止まらせる術はなかった。……おそらくだが、自分から相談をして巻き込んでし
まった以上、多少のリスクは自身が負うべきだとでも考えたのだろう。
(海沙……)
かくして、日暮れ時の繁華街にて囮作戦がスタートした。視界一杯に立ち並ぶ雑居ビルと
掲げられた看板の数々、眼下のアスファルト上を行き交う顔も知らない人達。
暫く、海沙はふらり外出していますという体で以って辺りをうろついていた。本屋や雑貨
屋などの前を通り掛かると、それっぽく立ち止まってショーウインドウ越しに中を覗いたり
看板を見上げたりして散策を満喫しているよう装う。
……それでも、睦月達にはやはり、そんな彼女の表情は普段よりも三割増しくらいには
おどおどしていて、不安そうに思えた。
ごめんね、海沙──。
それぞれが心の中で謝りながら、しかし彼女に近付いて来る怪しい人間を見逃すまいと、
一瞬たりともその後ろ姿から目を離さない。
「中々……出て来ないね」
「そりゃそうでしょうよ。向こうだって必死の筈だからね。根比べよ」
「警戒しているのかもしれませんね。日が落ちて、もっと人通りが減るのを待っている可能
性もあります」
「ああ。そもそも、今日中に出没するとは限らない」
「そりゃあ、そうだけど……」
海沙が歩いていく度に、たたと小走りで距離を保ちつつ物陰に隠れていきながら。
友人らの言葉に、睦月は湧き上がっては止まぬ不安を隠せなかった。かれこれ一時間以上
経ったが、未だ怪しい人影の一つも確認できない。
宙は元より粘るつもりでいた。國子は木刀入りの布包みを片手に、じっと油断ない眼差し
と思考を遣っている。皆人も、彼女の推測に概ね賛成だった。
「ま、今日が駄目なら明日、明日が駄目なら明後日よ。あたし達がいるって分かって海沙に
手出ししなくなったら儲けものだし、少なくともこのまま何も手を打たなきゃ状況は変わっ
てくれないでしょ」
「うん……」
睦月は思う。だが作戦はやっぱり止した方がいいんではないだろうか?
……いや。彼の脳裏にはずっと恐れが纏わり付いていた。そう勇ましく前向きに傍にいる
他ならぬ宙のことである。彼女は先日、クリスタル・アウターに狙われてあわや大惨事とな
る寸前であった。なのに今度は海沙が──もう一人の幼馴染までもが危険に晒されている。
相手からにしても、自分達からにしても、晒されるかもしれない……。それが酷く睦月の心
をざわめかせた。同時に、こんな理不尽で得体の知れない悪意に怒りすら覚える。
「……」
ギリッ。睦月は半ば無意識に奥歯を噛み締めていた。遠巻きの海沙を見つめる眼には次第
に鬼気にも似た気配が籠もる。
ただ皆人は、そんな親友の姿を密かに横目で見遣っていた。
やはりお前は恐ろしい。だがそれが、いつしか弱点になるかもしれない……。懸念も推測
もその淡々とした表情の中に押し込め、噤む。
「う~ん……。こりゃあ一度場所を変えた方がいいかもねぇ」
気付けば辺りは暗くなり始めていた。褪せた茜の空がどんどん闇色になる。
すると宙は埒が明かないといったように呟き、手元のデバイスを操作し始めた。睦月達が
覗き込む画面には打ち込まれるメッセージ。言わずもがな、送信先は海沙だ。
『もう少し場所を変えてみよっか? 適当な所で路地に入ってみて。私達も追う』
『了解。お願いします』
頷いたりして反応してしまったら勘付かれる。海沙は少しカチカチと俯き加減でデバイス
を操作した後、スィッと近くの路地を曲がっていった。睦月達も急いで後を追う。
(一歩入るだけでこんなに違うんだな……)
日没が近付いていることもあり、景色は途端一変した。
元より日当たりの良い場所ではないのだろう。歩を進めた路地裏は既に薄暗く、人気の無
さも相まって不気味に静まり返っていた。
コツ、コツ。海沙の靴音だけが妙にはっきりと聞こえる。背中から見ても不安そうだ。
明かりは辛うじてこの路地──ビル間を抜けた隣の通りから漏れ差している。早く抜けて
しまいたい。彼女の足が、気持ち早足になっているように見える。
「……?」
だが、その時だったのだ。じっと先を行く海沙の背を眺めていた睦月は、ふと彼女と自分
達の間に何者かが現れたのを見つけたのだった。
ピシャン。路地裏に残っていた僅かな水溜りが、誰もいない筈なのに跳ねた。
ドクンッ。睦月の全身の神経が一瞬にして昂ぶる。誰かが、いる──。
「後ろだ、海沙!」
「──っ!?」
故に刹那、咄嗟に叫んでいた。海沙が驚いた顔でこちらを振り返り、同時、確かに何者か
の動揺する呼吸がか弱く、肌に伝播した。
拙い……! 真っ先に睦月が駆け出していた。更にそのすぐ後ろを國子が木刀を布包みか
ら解きながらこれに続く。
いつの間に自分達の間に? だが考えている暇などなかった。
海沙が危ない。ただそれだけで睦月の身体は予めインプットされたかのように動き、手を
伸ばす。……空を切った。しかし海沙へと伸ばした手は迫っていた何かを捉えることは出来
ず、代わりに次の瞬間、はたと足元に感じた衝撃につんのめって倒れ込んでいた。
「ふっ──!」
そこへ國子の一閃が描かれた。見えない。だが、間違いなく何かが今ここにいる……。
しかしその一撃も、次の瞬間には虚しく空を切るだけだった。
一瞬にして収縮した全身と体感時間。海沙がへたっと、ようやくその場に尻餅をついた。
顔が酷く青褪めて腰が抜けてしまっている。その真前には転んだ睦月と、一閃した木刀をす
ぐさま構え直して辺りの気配を探っている國子の姿があった。「海沙!」「青野!」やや遅
れて宙と皆人も追いついて来る。
「大丈夫!? 何かされた? 怪我はない?」
「ううん、それは。でも、でも……怖かった……ッ!」
駆けつけて抱き寄せてくる親友の顔。それを見てやっと海沙はこの囚われた恐怖心を実感
できたらしい。宙に抱きついてわんわんと泣き始める海沙。身体を起こし、辺りを見渡しな
がら彼女達を見つめて混乱している睦月。
気配は──消えていた。國子が暫く殺気を漂わせて警戒していたが、ややあって構えを解
くと眉根を寄せたままで立ち尽くす。
「……まさか本当に“見えない犯人”だったとはな」
「うん。こんなの、普通じゃあり得ないよ」
そっと近付いてくる皆人。ぼそっと、幼馴染達には聞こえないように声を潜めて呟きを返
す睦月。二人は國子とも一度顔を見合わせ、神妙な面持ちになる。
つまりは、そういうことなのか……。
「……うん?」
しかし更に次の瞬間だったのである。一体何処に……? そう何となく辺りを改めて見渡
し始めた睦月と皆人の目が、向かいの物陰からこちらを覗いている人影を認めたのだ。
「っ! あいつ──!」
「國子、天ヶ洲と青野を頼む!」
咄嗟に二人は駆け出していた。対する物陰の相手も、そのさまにビクッと身体を震わせ、
逃げ出す。
「待てェェ~ッ!!」
「逃がすかっ!」
『さっきの見えない犯人、アウターの反応でした。間違いありません! という事は……』
裏路地を抜け、隣の表通りを抜け、更に右へ左へ。
睦月と皆人は逃すまいと必死になってこの覗き見をしていた人影を追った。ひい、ひい。
日没と半端なネオンではっきりとは見えないが、どうやら相手もあまり俊足という訳ではな
いらしい。
「どっ……せい! 捕まえた!」
「ひぃっ!?」
故に暫くして、睦月はこの人物に追いつき、飛び掛った。数区画分先の路地裏で倒れ込み
もつれ合うようにして格闘した挙句、遂にこの犯人は睦月に仰向けになって手足を押さえら
れ、身動きが取れなくなってしまう。
「もう逃がさないぞ、ストーカー! よくも海沙を!」
「おい。落ち着け、睦月。そいつの顔……よく見てみろ」
「えっ?」
だが興奮する睦月とは裏腹に、追いついて来た皆人は既に冷静に戻っていた。そう友に指
摘され、睦月はぱちくりと目を瞬いてから向き直り、自身が組み伏せた当の相手を見る。
「……大江君?」
それは何も見も知らぬ人間ではなかったのだ。
大江仁。ちょっと小太りでいわゆるオタクな、睦月達のクラスメートである。故に睦月は
戸惑っていた。酷く頭の中が混乱する。何故彼が、こんな事を……?
「いでで……。は、離してくれよぉ。ス、ストーカーじゃない。俺じゃない……」
「えっ?」
「だが大江。お前はさっき、俺達を見ていたろう? 何故あそこにいた?」
「そっ、それは……」
とてもじゃないが荒事に長けているとは思えない。
仁は横長の身体をじたばたとさせ、必死に無実を訴えようとしていた。しかし次の瞬間に
はじっと疑惑の眼で見下ろされる皆人に問い質され、言葉を濁してしまう。
「……その鞄、検めさせて貰うぞ」
あっ。ちょっ──!? 仁が同意する暇もないまま、皆人は隣に落ちていた彼のリュック
を拾い上げた。手こそ離せど、睦月は彼にマウントを取ったままこれを見上げている。
「ほう? これは」
「リアナイザ、だね……」
そしてガサゴソ。中を弄って出て来たのは……TA専用の拳銃型出力装置、リアナイザ
だった。
確定と言ってしまってもよかった。睦月と皆人は、互いにどちらからとでもなくじとっと
ゆっくりとこの容疑者を見下ろす。
「な、何だよ! リアナイザを持ってちゃ悪いのかよ!? 俺だってTAプレイヤーなんだ
から当たり前だろ!? 大体、お前ら──」
だがそんな最中だった。はたと上着のポケットから着信音が鳴り、睦月がもぞもぞとデバ
イスを取り出す。
宙だった。そう言えば陰山さんに任せっきりになってしまってたな……。急ぎ画面をタッ
プして通話に応じる。
『もしもし? 今どの辺? 犯人は?』
「あ、うん。何とか捕まえたよ。えっと、今は北園町の──ぐっ!?」
しかしそれが気の緩みとなった。電話に集中し、近場の標識に視線を上げた隙を突いて、
直後仁が睦月のマウントから抜け出したのだ。
わたわた。睦月も皆人も、電話の方に視線を向けてしまっていたため、反応が遅れた。仁
は覚束ないながらもそのまま地面を転がり、起き上がると、ひぃひぃッ! と情けない悲鳴
を上げながら逃げ去ってしまう。
『……睦月?』
「ご、ごめん! 逃げられちゃった。すぐに後を──」
「いや。もういい。誰かは確かめたんだ。それよりも一旦國子達と合流しよう。青野の事も
心配だしな」
「……そうだね」
ぽかんとし、しかし再び聞こえてきた宙の声に我に返って睦月は立ち上がろうとする。だ
がそれを皆人は落ち着いた声で制した。海沙が心配──サァッと頭に上っていた熱が一気に
冷めていく心地がする。口惜しかったが、睦月はきゅっと唇を結んで頷いた。
「──」
そんな、リアナイザを鞄に押し込みながら来た道を引き返していく二人を、近くのビルの
屋上から見下ろしている人影に、終ぞ彼らは気付かぬまま。




