10-(3) 正義を名乗る者
「──ですからぁ、本当に何も覚えてないんですってばぁ~……」
学園の応接室。そこで宙は、朝から所轄の捜査員達から事情聴取を受けていた。
しかしその成果は依然として芳しくない。当の彼女が、肝心の襲撃時のことを何一つ覚え
ていないと繰り返すからだ。
捜査員達は、同席していた学園長や海沙はほとほと困り果てていた。
曰く、放課後ゲーム仲間達とTAを遊んで彼らを見送った後、気付けば自分が保健室で寝
かされていたのだとのこと。
海沙は事件当日、帰り道にその事を聞いて何となくこうなることは予想していたものの、
対する大人達は知らぬ存ぜずでは済ませてくれない。埒の明かなさに苛立ちを通り越して徒
労感漂う捜査員らとは対照的に、学園長の機嫌はどんどん降下していく。
「あれだけの被害があったんだぞ? 何も覚えていないなんて事などあるものか。一体いつ
まではぐらかす気だ! 私達を舐めているのか!?」
「いや、そんなつもりはないんですって~……。本当にすっぽり記憶がないんですよぉ」
「大体、ゲーム機の持ち込みも校則違反だぞ? そっちの方も然るべき対処をしなければな
らんが……今はそれよりも事件の方が先だ」
「それなんですがね、学園長。TAをやっていたという証言は一応他の者が裏を取りに行っ
ています。先日対戦したという男子生徒らを確保、話を聞いている所です」
「……ぬう。我が校は、国立の教育機関だぞ……」
なので気付けば捜査員達が、この学園長を宥めるように話題を逸らしているという奇妙な
構図になっていた。それでも知らされたその話すら、厳格な学園像を胸に抱いて誉れとして
いるらしい彼には心好からぬものであったのだが。
どうしたものか。そわそわと、不安げにこの宙をしばしば見遣っている海沙。
宙自身も、少なからず戸惑っているようだった。たとえ一時ではあれ、自分が何処にいて
何をしていたのか、そんな当たり前の事が自分の意思に反して見当たらない。そのショック
が、尋問に涙目になるそのひょうきんさの裏に隠れているようにもみえる。
「──失礼するぞ」
そんな時だった。ふと部屋の扉が軽くノックされ、直後黒スーツの一団が入ってきた。
白鳥とその取り巻きの刑事達だった。所轄の、末端の捜査員らはその面子を見てにわかに
緊張し、慌てて表情を作り変えて敬礼する。
ちらり。されど当の白鳥らは、そんな彼らの様子などさして重要でもないといった風に一
瞥するだけで、そのまま横を素通りして宙の対座へと陣取り出す。
「聴取は進んでいるか?」
「はっ。そ、それが、当人が憶えていないの一点張りでして……」
「ほう?」
『──っ?!』
捜査員達の慌てる様子からも察せたが、この男らはこれまでの警察関係者とは別格の者達
のようだと宙や海沙は息を呑む。暫しじっと蛇に睨まれたようになり、しかしややあって彼
はスーツの胸元から警察手帳を取り出してみせる。
「飛鳥崎中央署の白鳥という。事情の深刻さに鑑み、今回の事件の指揮を執る事になった。
さて……もう一度聞かせて貰えるかな? 私は、あまり効率の悪い事は嫌いでね」
そんな、有無を言わせぬ眼力。要するに多少脅してでも証言を引き出そうと腹だ。
だが、そう言われても肝心の宙はやはり何も覚えていない。先程から必死に頭の中の記憶
を引っ張り出しては探しているのに、どの引き出しもまるでくり抜かれたかのように空っぽ
なのだ。
「う、うぁ……」
「本当に、犯人は見ていないんだな?」
「は、はひっ……」
「ほっ、本当です! ソラちゃんは何も悪くありません!」
だから次の瞬間、自分ではなく海沙が声を荒げた事に、内心宙は驚いていた。
相手の威圧感に喉が詰まった感じになりながらも、涙目になって必死に弁護してくれよう
としている親友の姿には、正直感激の念すらある。
「ソラちゃんは被害者です! 私達が駆けつけた時、ソラちゃんは物陰に倒れて気を失って
いました。でも周りには穴ぼこがいっぱい空いていて……覗いてみたら結晶みたいな、綺麗
な石がめり込んでて……。先に来てる刑事さん達も確認してる筈です。確かめてください。
私も何が何だか分からないですけど……ソラちゃんじゃありません! 信じてください!」
海沙……。ようやくポツリ、宙がそんな親友の横顔を見遣って呟いていた。
学園長や周りの捜査員らも驚いている。又聞き、これまでの様子から大人しい性格の子だ
とばかり思っていたのだが。
取り巻きの一人が捜査員らに振り返り、目で合図する。その話は本当か? という質問だ
ろう。彼らは互いに顔を見合わせ、同僚達の話していたその一致を確認し、コクコクとこの
取り巻きに頷き返している。
「……少なくとも嘘を言っている訳ではないようですね」
気持ち学園長への当てつけに。冷や汗の出ている彼を一瞥し、白鳥は立ち上がった。取り
巻き達もこれに倣い、一瞬場の空気が気持ち緩む感じがする。
「これは私の推測でしかありませんが、彼女は襲撃直後の衝撃をもろに受けたか、犯人に当
身でも喰らったのかもしれませんね。だから犯行──今回の破壊活動の実際を見てもいない
し、知る由もない」
「はあ……」
「ですが、そうだとすると犯人は何故その時、その場で辺りを蜂の巣にしたんでしょう?
理由もですが、手段も現状さっぱり──」
「それを調べるのが我々の仕事ではないですか? 市民を、不安がらせないように」
はいィ!! ぴしゃりと遮り、睨み返された白鳥の視線に、思わず口を挟んだ捜査員達が
竦み上がった。ぽかんと、宙達が一部始終を見ている。
「それでは、我々はこれで……。ご協力感謝します」
そしてもう一度彼女らを一瞥した後、白鳥達はそのまま踵を返すと部屋を後にしていく。
「ご安心を。我々はいつでも善良なる市民の味方です」
(……む?)
ちょうど、入れ替わりに近かった。白鳥達が応接室を出、ゼロ棟を出ようとしていた時、
そこには宙らの様子を見に来た國子が歩いて来ていた。
向こうからやって来る男達──おそらく警察関係者を認め、静かに眉間に皺を寄せている
國子。その横を一瞬、一瞬だけちらと肩越しに底知れぬ眼で見つめた白鳥とその取り巻き達
が、特に言葉を交わす事もなく通り過ぎていく。
「ん~……っ。ああ~、終わった~っ!」
そして応接室を訪れると、どうやら聴取はちょうど終了した所のようだった。
時刻は昼。お腹も減ってきた頃だ。
結局いい所は白鳥達に持っていかれ、学園長らの機嫌も取らされての骨折り損よろしくの
捜査員らが引き上げていく中、ある意味元気そうな宙と苦笑いの海沙、二人の学友を見つけ
て國子は声を掛ける。
「聴取、終わったようですね」
「おっ? 國っち」「陰山さん……」
「様子を見に来ました。どうですか、進展はありましたか?」
「うーん……全然。いくら聞かれたって綺麗さっぱり覚えてないもんは覚えてないんだって
ばさ~」
「そうだね。私もさっき一緒に刑事さん達にお話ししたんだけど、もしかしたら襲われた直
後に気絶したせいじゃないかって」
「……ふむ」
國子のそれとない問い。それは実は守護騎士のことや晶、アウターについて記憶が残って
いないかという確認でもあったのだが。
宙は、必死になってフォローしてくれた海沙の肩に、がしりと腕を回して笑っている。意
図を悟って海沙は恥ずかしそうにしていた。
(刑事。さっきすれ違った方達ですか……)
窓の外から渡り廊下を歩いていく後ろ姿が、まだ微かに見える。
根拠はない。ただ國子は油断ならない者達だと感じたのだった。
「……ともかく、天ヶ洲さんの記憶が頼れないとなれば、彼らも別の目撃者を探すしかない
でしょうね」
「そうだねぇ」
「でも何でソラちゃんだったんだろう? 偶然なのかな? それともソラちゃんだと分かっ
てて襲ったのかな? もしそうだったら安心して学校にも来れないよ……」
「……それは私達の仕事ではありませんよ。青野さんも、あまり気に病まれませんように」
だから本人以上に、心配で心配で思考が巡っている海沙を見て、國子は話題を逸らそうと
した。これ以上彼女らに、アウター絡みでの深入りはさせない為だ。
「う~ん……。でも案外怪物だったりしてね? ほら、最近何かと噂になってるしさー」
『──』
なのにだ。なのに当の宙本人はそんな事を言って笑っている。
海沙と國子は心なしか顔を引き攣らせていた。前者はそんな冗談を言っている場合じゃな
いだろうという唖然で、後者は言わずもがな、冷や汗である。
「あくまで噂、でしょう?」
「あはは。そりゃそうだよー、ネットなんて半分は作り話なんだから。……でももし海沙が
言うように、恨まれているかもしれない人間なら、いるんだろうけどね」
え? 海沙当人が小さく戸惑う中、宙はそれまで手の中で転がしていたデバイスの画面を
見せてきた。女子水泳部のグループチャットだ。しかしその文面は彼女の端末からは閲覧で
きないように為っている。いわゆるブロック状態だ。
「へへ……。追い出されちった」
「お、追い出されたって……」
「まぁ仕方ないんじゃない? 結局あの後部には顔出せなかったしさー。聞いたよ? 部長
カンカンだったんだって?」
「うん。でも……」
「でもも何もないんだろうなあ、あの真面目っ娘さんは。そりゃ大会が近い上に休校にもな
れば堪忍袋の緒も切れるわさ」
あははは。宙は笑っている。
海沙は戸惑いを隠し切れずに國子を見ていた。ちらと見返し、しかし努めてその瞳は優し
く慰めるように。当人も汲み取ったのか、コクンと頷き返してくる。
「……ま、それにしてもごめんね。よく分かんないけど、色々心配掛けちゃって。國っちも
学園が休みになったのにわざわざ来てくれてさ?」
「そ、そんな。ソラちゃんが無事でいてくれたら、それで……」
「ええ。皆人様の命ですから」
それに──。國子はだから正直、自分がここまで口を滑らせるとは思っていなかった。
ここまで来て話題は逸らせたのかもしれない。だけどもたった四年、されど四年一緒に共
にいただけでこの自分という鉄の女はだいぶ“解かされて”いたようだ。
「友を助けるのに、理由など要りませんよ」
「陰山さん……」「國っち……」
「……。皆人様にとって、睦月さんとお二人は大切なご友人です。その大切な方々である貴
女達を放ってはおけません」
「……そっか」「ふふっ」
わざとらしく咳払い。忠義を理由に理論立てて、補足をば。
だが二人は笑っていた。これまで見た事もないくらいニヤニヤと、ほんのり照れたように
頬を赤く染めて上品に。
國子は黙っていた。自分も、何だかんだで心配だったのだなと自覚する。
「とりあえず出よっか。学食は閉まってるし、何処かでお昼にしよ?」
「お。いいねー」
「了解しました。お供します」
「──」
「? どうかしましたか、警視?」
「……。いや、何でもない」
三人連れ立って部屋を出て行く。
そんな窓越しの姿を、階下の遠巻きから白鳥が見つめ返していた事には気付かずに。




