1-(5) 電脳の少女
「いらっしゃい、睦月。冴島君もご苦労さま」
母の新しい研究室は、地下フロアの一角に変わっていた。
同じく冴島がカードキーで扉を開けると、待っていましたと言わんばかりの笑顔で彼女が
そう二人を出迎えてくれる。
やや小柄な体に引っ掛けた白衣と着崩したシャツ。
飾り気のない、首筋から少し下まで伸びた髪。
佐原香月。睦月の母親で、腕利きのIT技術者である。
「いえ。これくらい……」
「元気そうでよかった。はい、これ。今月分の諸々」
早速部屋の中へ進んで睦月はキャリーバッグを開けると米やレトルト食品、日用品などを
広げてみせる。
室内は思っていた以上に大きく、何ヶ所か間仕切りこそあったが基本的に複数人が活動す
る事を想定した大部屋のようだ。冴島が睦月を連れて来た事で、こちらもやはり今や顔馴染
みとなった他の白衣の人達──母の同僚、チームの仲間達が次々に顔を出してきては歓迎し
てくれる。
「了解。いつもありがとね~」
「ううん。じゃあ、しまっておくね? ええと、冷蔵庫は、と……」
ややもすれば、香月は我が子を撫でくり回す──未だ子ども扱いしてくる癖がある。返す
言動ほど嫌ではなかったが、それでも気恥ずかしい。
睦月は苦笑いつつ、そう呟きながら部屋の壁際に置いてある冷蔵庫の方へとキャリーバッグ
を転がしながら歩いていく。
『……う~ん? 誰か、いるんですかぁ?』
ちょうど、そんな時だったのだ。
睦月の声や物音で気付いたのだろう。ふと何処からか半分寝惚けているような少女の声が
聞こえてきた。
冷蔵庫に米やら何やらを詰めている途中。睦月は頭に疑問符を浮かべて室内を見渡す。
だが当然ながら、ここにいる人達は皆研究者──大人である。見渡してみても声の主らし
き女の子の姿は何処にも見当たらない。
(し~っ! パンドラ、今は静かにしてて!)
すると、何やら香月らが慌てていた。
どうやらこちらにバレないよう、ひそひそ声で話しているようだったが、その相手が相手
だけにバレバレである。
──端末だった。母は何故か、ホルダーにセットしてあるデバイスの画面に向かってそう
語り掛けている。更にホルダーからは幾つかの配線が延びており、すぐ脇に置かれたデスク
トップPCと繋がっている。
『? 何を慌ててるんですか? そう言えば、さっきから未遭遇の生体反応がありますが』
「……母さん?」
「うっ」
ビクン。香月は、冴島ら白衣の研究仲間達は、途端に「拙い……」といった様子で硬直し
ていた。冷蔵庫に中身を移し終わり、睦月は立ち上がる。
先月の分、まだ残ってたな。忙しくてもちゃんと食べなきゃ駄目じゃない。
かといって持ってくる量を減らすと、それに甘えちゃうからなあ……。
ぼうっと、一方でそんな事を頭の片隅で動かしながら、母達の方へ近付いていく。
「あ、いやね? いくら息子とはいえ、私達にも守秘義務ってものがね……?」
『息子? えっ? じゃあそこにいるのは博士のご子息なんですか!?』
慌ててデバイスを隠そうとする香月。だが不用意に放ったそれは、デバイスから聞こえて
くるその少女の好奇心を刺激してしまったようである。
会わせてくださいよー! だ、駄目だって!
二人(という表現は正しいのか)の、傍から見れば奇妙なやり取りに、睦月も何だか興味
が沸いて来てひょいっと、彼女に回り込むようにしてこのデバイスの画面を覗き込む。
「お……」
『お?』
そこには、少女がいた。デバイスの画面の中に、これまた珍妙な格好をした女の子が浮か
んでいたのだ。
サイズが全然違うのではっきりとは言えないが、見た感じ十歳くらい。
空色のワンピースに白銀のおさげ髪、背中から生えている三対の金属の翼。
何というか、全体的に近未来といった感じである。両の手首・足首には何やら文様を刻ん
だ輪っかが嵌っているし、脇腹や目の下の頬、肩口など金属質の小さなフレームが何段か重
なってくっ付いている。
何より目を引いたのは、胸元に取り付けられた茜色の球体だ。
さっき聞こえてきた声が彼女のものだとすれば、成る程と思う。
その……上手く言えないけど、確かに太陽のように明るくて真っ直ぐな子だなと。
『お、おおー! もしかして、貴方が博士のご子息の睦月さんですか?』
「う……うん。そうだけど」
『やはりそうでしたか! いやいや、ちょうど調整中でうとうとしていたので気付かずにす
みません。私、佐原博士に作られた最新鋭コンシェル・パンドラと申しますです。睦月さん
の事は博士からよく聞かされております。よく出来たご子息のようで』
「は、はあ。恐縮……です?」
よく喋る子だなあ。睦月は思わず、そのテンションに押されていた。
見た目のサイバーな、神秘的な感じは海沙と被るのだが、いざ口を開いた時のテンション
は宙のそれと間違いなく同類である。
あわあわ……。香月達は取り囲むように慌てていた。さっき守秘義務がどうのと言ってい
たので、まだ外に漏れてはいけないのだろう。
「……母さん、この子」
「うん。まぁバレちゃったら仕方ないか……。そうだよ、この子はパンドラ。うちのチーム
で開発した、新しいタイプのコンシェルよ。調整中で寝てるから、あんたが来てても大丈夫
だろうと思ってたんだけどねぇ……」
ばつが悪そうにぽりぽりと頬を掻きながら、母は言った。だが睦月はそれで納得する。
何せ母は、何でもこの分野ではかなり有名なコンシェルの開発者であるらしい。一説には
彼女の登場で、コンシェル達のAIは五十年分の進歩を遂げたと言われるぐらいだ。
その仕事柄、研究漬けであまり家にも帰って来ないが、そうして偶に母の事を褒めちぎら
れると、内心息子としてはほっこりと嬉しくなる。
「そっか……。最近忙しいって言ってた母さん達の仕事って、この子の事だったんだ」
「まぁ、ね。プロジェクトの性質上、AIのレベルをかなり高くしてあるんだけど、聞いて
の通りとにかくくっちゃべる子になっちゃってねえ……」
「はは。だがまぁ、俺達自身は結構楽しいんだがな」
「そうそう。何か、子供が一人増えたみたいな感じがしてね」
あははは……。他の仲間達がそう言葉を継いで笑う。睦月もそれは感じていて、何だかい
いなあと思いつつ、この輪の中で佇む。
「それじゃあ、この子はまだ市場には出ないんですね。皆が見たらびっくりするだろうな」
「あー……。そりゃそうだろうけどな。だがそもそも量産の予定は無いんだ」
「あくまで研究目的、の為にチューニングされた特別なコンシェルだからね。さっきチーフ
が守秘義務云々って言っちゃってたのもそこなんだけど……」
「ああ、そうなんですか?」
「ええ。だから今はとりあえず、冴島君のデバイスに入って貰ってるわ」
なるほど。睦月は皆から事情を聞かされて頷いていた。
というか、守秘義務なのに話していいのだろうか? まぁ主任の息子だから見られたもの
は仕方ないから、特別にという事なのだろうけど……。実際当の母本人も、そう朗らかに苦
笑して手の中の彼女──パンドラと顔を見合わせている。
『私としては……不服なんですけどね』
「え?」
『だってそうじゃないですか。志郎は博士につく悪い虫なんです。博士に作って貰った私と
しては、そんな人をマスターとするのは、やっぱりヤです』
「……」
皆が、そして冴島が何とも言えない苦笑をして黙りこくっていた。香月が「こ、こら」と
窘めているが、睦月はむしろもっと別の事を考えていた。
(コンシェルが、マスターの選り好みをする……?)
これが最新鋭のAIだというのか。流石は母の謹製というべきか。
そもそも、コンシェルはデバイス内のシステムを統括し、その使い手をサポートする為に
作られたプログラム人格だ。故に前提として、自身──デバイスの所有者に服従、従順であ
る事が求められる。
だがこの子は違う。現在の所有者らしい冴島に対してはっきりとノーを表明している。
それだけで既に異質だ。普段自分が使っているコンシェルが無個性な汎用型だとはいえ、
彼女が非常に特殊な──それこそ人間のそれに限りなく近い複雑な思考を持っている事を示
す一例であるだろう。
(或いは……)
まさかとは思う。或いは、作者である母の本音が組み込まれているのか。
だがそんな仮説を、睦月はすぐに否定した。母の性格を考えれば、そんな回りくどい事は
しない筈だからだ。大体、彼からのアプローチは、今まで散々かわしてきたじゃないか。今
更そんな返答をするようなメリットは……見当たらない。
ぷくーっ。画面の中でパンドラはふくれっ面で両腕を組んでいた。それを香月や他の研究
仲間達がまぁまぁと、さも子供を宥めるように声を掛けている。
「……でも良かったよ。母さん達も、何だか楽しそうで」
「……。睦月……」
「じゃあ、そろそろ帰るね? 元気そうだったって、皆にも伝えとく。海沙達も、母さんに
宜しくって言ってた」
「ええ、ありがとう。こっちからも宜しく言っておいて。帰り道、気を付けてね?」
そうして暫く母子の対面を果たし、研究室を後にしようとした──その時だった。
『ッ!?』
轟音、振動。刹那、室内を揺るがす衝撃が睦月達を襲った。
思わず一同は手近な物にしがみ付き、踏ん張った。バラバラと小さな欠片が天井から零れ
落ちるのを見る。
「な、何?!」
「地震……じゃないよね?」
『施設内全域に緊急警報、緊急警報。侵入者が確認されました。セキュリティレベルをSに
変更します。関係者は総員、直ちに避難を開始してください──』
次いで研究所内に響き渡るのは、そんなアナウンス。
侵入者? 睦月はその不釣合いな響きに眉根を寄せたが、事実現在進行形で繰り返す上階
からの大きな振動と爆音に、ただ身を硬くする事しか出来ない。
「侵入者……まさか」
「……拙いぞ。皆、急いで避難路に! 研究データの確保も忘れるな!」
ばたばた。にわかに白衣の面々が慌しく走り回り始めた。機材から記憶用デバイスを抜き
取り、電源を落す。施設の関係上こうした事態に備えて訓練はしてあるらしく、彼らの動き
は中々に統一されている。
「──っ」
「さ、冴島君?」
「おい、馬鹿。止せ!」
『ちょっ……ちょっと、志郎ー!?』
しかしそんな中、冴島は思わぬ行動を取っていた。続く轟音に深く眉根を寄せると、突然
デスクの上に置かれたままだったデバイス──パンドラをもぎ取って一人、部屋を飛び出し
てしまったのである。
「くそっ! あいつ……まさか」
「そのまさかだろうよ。だが無茶だ、あれは未だ……」
「……ごめんね、睦月。まさかこんな……」
「? あの、一体何が──?」
「とにかく追うぞ! あいつを一人にさせちゃ拙い!」