8-(2) 邂逅
『マ、マスター。だ、大丈夫ですか?』
「何とか、ね。ギリギリって感じだけど……」
それから、どれだけの時間が経っただろう。
雷迅と迷彩のサポートコンシェルを駆使して、睦月は何とかH&D社の生産プラントから
脱出する事ができた。
ホログラム越しに、パンドラがそうやや緩めに両拳を握り、そわそわと心配している。
パワードスーツの変身は解かなかった。返事こそ苦笑を交えたものの、これまで経験した
事のないダメージを負った今、変身を解けば、生身の自分がどうなるか分からない。
昼間でありながら人気の無い、ポートランドの一角を歩く。しかしその自身の一歩一歩が
鉛のように重かった。右手の不自由は取れていた。どうやら視界からいなくなってしまえば
発動しない能力らしい。
本当に限界寸前だった。咄嗟の判断で通路側へ逃げていなければ、きっとあそこでやられ
てしまっていただろう。
『……すまない、睦月君。私の責任だ。これほど強力なアウターが行き来しているとは想定
もしていなかった』
生産プラントから離れた事で、再開していた司令室との通信。
インカム越しに皆継の消沈した声色が聞こえる。
いえ……。睦月は応える。その実、受け答えするだけの余裕すらない。
皆継と、他の加盟企業の幹部達が入れ替わり立ち代わり色々話していたが、もうあまり頭
には入って来なかった。記憶にあるのは、何度も必死になって自分の名を呼ぶ香月と、あくま
で冷静に同室を指揮し、気丈に最善手を打とうとする親友の発する言葉だけだった。
『おそらく、その二人が改造リアナイザを流通させていた犯人だろう。スカラベの一件で得
た証言と一致する。少なくとも、一連の事件に大きく関わっている者達の一員とみて間違い
なさそうだ』
曰く、先に離脱した國子以下リアナイザ隊は、すぐに駆けつけた別班達によって回収され
たという。しかし彼女らの受けたダメージは大きく、その大半がまだ意識を取り戻していな
い状況なのだそうだ。“同期”は自身のコンシェルを我が身のように操作できる反面、その
性質が同化に等しいがために、いざ大きなダメージを負ってしまえばこのようなリスクを被
る事になる。
『……つまり、幹部みたいな存在だったんでしょうか?』
「多分ね。こんなに強いアウター、初めてだし……」
『俺も睦月と同意見だ。受け取ったデータから観ても、この尋常でないエネルギー出力なら
ば合点がいく』
痛手だった。暫くはまともに実働部隊は機能しないだろう。
パンドラの呟きに、睦月と皆人も肯定を示す。失ったもの傷付いたものは多いが、これで
H&D社が限りなくクロである事が証明された。
『……すまなかった。こんな無茶をさせて』
「謝らないでよ。危険なのは分かってて承知したんだ。僕も、すぐに戻る」
「──いやいや、そうは問屋が卸さねぇよ?」
しかし、まさにそんな時だったのだ。傷付いた身体を引き摺り、睦月がこのままポートラ
ンドを出て迎えを待とうとしていたその矢先、再び聞いてはならぬ声を聞いたのだ。
「よう。何処いくんだ?」
「フヒヒっ。もっと、もっと喰わせろォ!」
「……」
「ほう? これが例の守護騎士……」
はたと区画の路地裏から睦月の前に現れたのは、あの荒くれ風の男と、丸々と太った巨漢
の男──人間態のグリードとグラトニー。
更に背後からは同じく、ジト目でこちらを見つめるゴスロリ服の少女と、静かにパワード
スーツ姿の睦月を観察する黒衣の眼鏡男性の二人が現れ、退路を塞いだ。
『どうした? 何があった!?』
「……拙い事になった」
『あ、あいつらが、仲間を連れて追って来たんですよ~!』
パンドラの、両頬を押さえて叫ぶ悲鳴に、司令室の一同から血の気が引いた。囲まれてい
る。睦月は腰のホルダーに引っ掛けていたEXリアナイザを抜き、じりっと前後を見返しな
がら、ピンチと疲弊に荒く肩で息をしている。
すぐ傍には水路が流れていた。コンクリで固められ、申し訳程度のフェンスが建てられた
排水用のそれである。
「……全く。面倒事を増やさないでよねぇ」
「んな事言われてもよぉ。忍び込んで来たのはこいつだぜ?」
「貴方達が手間取るからですよ。先に逃げたという者達も含め、早急に始末しなくては」
このゴスロリ服の少女が忌々しく、ねちねちと責めるように言い、次いで黒衣の男も一見
物腰穏やかながら、そう冷淡と眼鏡のブリッジを触っている。
『こ、こうなったら“アレ”を。で、でも、それじゃあマスターのお身体が……』
四対一。この二人もおそらく同じ幹部クラスなのだろう。惨敗した傍から、ここで真正面
から戦うなどという選択は既に睦月にはなかった。
……逃げるしかない。
再び、靴底に装備したままのライトニングを──。
「んっ」
だが次の瞬間だった。実に面倒臭そうに、ゴスロリ服の少女がパチンと指を鳴らしたその
直後、残り三人を除く辺り一帯がモノクロの世界に閉じ込められたのだ。
睦月が、パンドラが停まっている。
すぐ下を流れる水が、風に流れゆく薄雲が、空を飛ぶ鳥が。
全てが停まっていた。まるでこのモノクロに塗り潰されずに済んだグリード以下他の三人
だけが同じくそこに平然と立っており、ゆらりと残像を描きながら、彼女は微動だにしない
睦月の傍を通り過ぎるとその周囲に針や歯車──時計の部品を思わせる大小無数の投剣や鋸
を中空に呼び出し、固定する。
「……一丁前に逃げようとするんじゃないわよ。面倒臭い」
そして再び指が鳴らされた次の瞬間、世界は動き出した。
睦月がパンドラが、自分達に起こった事を理解する暇もなく、この針型の投剣や歯車型の
鋸は次々に襲い掛かり、はたして守護騎士は激しい火花を散らしてこの追い討ちを一身に浴
びるがままになった。
睦月ッ!! 司令室にいた皆人達さえも、この一瞬で何が起きたのか分からず、ただ画面
の向こうで激しく身体を跳ねさせる彼に悲鳴を上げる事しかできない。
「ぐっ……ガァァァァーッ!!」
されど一つ、運命の悪戯があった。再三の大ダメージに激しくよろめいた睦月は、あろう
事か側方のフェンスへと傾き、ぶつかったのである。
あっ……。グリード達が気付いた時にはもう遅かった。彼はダメージの勢いのまま、この
フェンスにぶち当たり、そのままへしゃげて壊れたそれと共にあっという間に用水路の中へ
と落ちていったのである。
「……あーれま。落ちちまった」
「落ちたねェ」
「……」
「スロース」
「し、仕方ないでしょ! こんな所まで逃げて来たあいつが悪いのよ! あーもう、手間ば
っかり! 何でそっちによろめくかなぁ!?」
大きな水音の後。再びしんと何事もなかったかのように収まった場。
四人はこのぶち抜かれた金網の下を覗き込み、元凶──ゴスロリ服の少女を見遣った。当
の彼女は顔を真っ赤にしながら、ぎゅっと胸元の継ぎ接ぎだらけのテディベアを抱え、半ば
ヤケクソ気味に叫んでいる。
「食べたかっタ……」
「仕方ない。もう少し人手を割きましょう。尤も無事では済まないでしょうがね」
そんな彼女にはあまり興味なさそうに、ぼうっと涎の垂れた口元を掻くグラトニー。
そして黒衣の男が、そう眼鏡の奥を光らせ、やれやれと小さく嘆息をつきながら一足先に
踵を返す。
「──……っ、ぁ……」
それから睦月は、抗う力もなく用水路を流され続けた。
辛うじて握り締めていたのは、沈みゆく水の中で、ほぼ本能的に自分の胸元に抱え続けた
パンドラ──彼女の宿ったEXリアナイザ。
銀色のそれは既に沈黙していた。故障。そんなフレーズも、朦朧とした意識の睦月にはも
う想起する事すら出来ない。
どうっ。ようやく水辺に上がり、半分身体を浸したままその場に倒れ込んだ。同時にデジ
タル記号の光輪が彼を包み、その姿を人間・佐原睦月に戻す。寄せては返す不透明な水が、
べたべたと彼の身体を次々に濡らした。
「……うん?」
それから、またどれだけの時間が経った頃だろう。
人工の岸辺に倒れ伏して動かなくなった睦月を頭上の道路から見つけ、そのコートを翻し
て、一人の男が──筧兵悟が、慌ててこちらへと駆け下り始めたのは。




