8-(0) 緊急事態(エマージェンシー)
「……な、何なんだ? あいつは……?」
目の前で変身した肥満の大男は、見上げるほど巨大なアウターになっていた。
巨大で分厚い顎。大樽のようなその身体。
だが何よりも睦月達の視線を捉えて離さなかったのは、唾液をぼたぼたと垂らしながら開
かれた、その奥底すら見えぬ口である。顔面の半分以上を占めるそれは、ずらり上下に恐ろ
しく分厚く頑丈そうな歯を並べて自分達を“喰う”気満々でいた。
『全員今すぐ逃げろ! 作戦は中止だ!』
この敵の出現──潜入に気付かれてしまった事態に、司令室で作戦の成否を待っていた皆
人らが叫ぶ。慌てて“同期”を解き、意識を倉庫群に戻した隊員の一人から
飛んできた報告に、一同の表情がにわかに緊張と焦燥で歪み始める。
『……やはり、H&D社が敵の──』
『第二班と三班はすぐにポートランドへ! 睦月と國子達を回収する!』
再び“同期”し、戻って来たこの隊員から撤退命令を聞く。
勿論、これを受けて睦月達は慌てて逃げ出そうとした。まさかサーモグラフでもなく匂い
でこちらの存在がバレるとは予想もしていなかった。こうなった以上、最早ダズルや朧丸の
ステルス能力は意味を成さない。
「くっ……! こんな……」
「ど、同期を? しかし、それでは睦月さんが──」
しかし巨漢のアウターはこの見えぬ睦月達を逃がさなかった。
次の瞬間、迫ってきたのは、その巨体には似合わぬ猛烈な速さの突進。
視界一杯に大きく開かれた口と大顎が見えた。一瞬、体感時間がぐんとスローになる。
轟。巨漢の大顎がそれまで睦月達の立っていた床に突き刺さった。吹き飛ばされて方々に
一同は転がり、負ったダメージで迷彩効果が解けてしまう。
「あっ、ぐぅ……!」
「……嘘だろ? 床に、穴が……」
「皆さん。無事……ですか?」
舞い上がる大量の粉塵と煙。睦月達はボロボロになりながらも互いによろめき、立ち上が
り、仲間の無事を確認しようとする。
起き上がったこの巨漢のアウターを中心に、硬いコンクリ敷きである筈の地面がざっくり
と抉られたように無くなっていた。
「ひー、ふー、みー……ホントだ。何時の間にやら団体さんのお出ましだ」
そしてそんな様子を、もう一人の荒くれ風の男がステルスの解けた睦月達を視認し、フッ
と邪悪にほくそ笑みながら眺めている。
「……くっ」
転がった地面に、ぐぐっと手をつく睦月。
H&D社への潜入調査は、今まさに最大のピンチを迎えた。




