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サハラ・セレクタブル  作者: 長岡壱月
Episode-68.Rebellion/なら我々は、叩き潰そう
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68-(7) 詰み(チェックメイト)

 睦月が敗北したことで、事態の収拾は最早絶望的だと思われていた。事実“蚊人間”化し

た人々の数は膨れ上がり、飛鳥崎市中から市外へと溢れ始めてすらいたからだ。

 だがしかし……そんな中で予想外の“救世主”が現れる。全身を揃いの分厚い防護服で包

み、左上腕にH&D社のロゴを付けた、同社所属の特殊部隊だった。背中には大きなタンク

を背負い、ノズルで繋がった専用の噴霧器を装備している。

「皆さん落ち着いて! 電脳生命体に侵された人々は、元に戻せます!」

「彼らから離れて! 我々の後ろに!」

 まるで軍隊の如く隊伍を整えた隊員達は、各所に駆け付けたかと思うと、逃げ惑う人々を

避難させながら“蚊人間”の群れと対峙。背中のタンクに詰めていたと思しき鈍色の細かな

粉末剤チャフを放出して浴びせ、蟲の肉塊等に蝕まれていた彼・彼女らから、その異形部分を完全

に消し去ってみせたのだった。

 意識を手放して昏倒し、暫く倒れていた当の元“蚊人間”達が、次第に正気を取り戻して

一人また一人むくりと起き上がる。「あれ? ここは……?」「私、今まで何を……?」困

惑する当人らではあったが、一部始終を見ていた周りの人々はにわかに歓喜の声を上げた。

襲われたらお終いだと思っていた“蚊人間”化を、治してしまう方法があったのだから。

「や、やった! やったぞ!」

「これで知り合いも助かるんだ……諦めなくていいんだ……!」

「……。それに比べて、有志連合や当局ときたら」

 次第に広がってゆく人々の希望と、収束へと向かってゆく混乱パニック

 ただ一方で、今回の騒動に有効打を打てなかった対策チームや当局、ひいては政府に不信

感を抱く者達が顕在化し始めたのも事実だった。特殊部隊員達が各所で適宜散開し、噴霧器

粉末剤チャフをばら撒く。元に戻ってゆく友人や家族。それぞれが大切な人と抱擁を交わし、嬉

し涙を流してゆく中で、隊員達は自らの所属とそのアピールを欠かさなかった。

「皆さんもう大丈夫です! 我々はハピネスアンドインダストリ社の者です!」

「中央署の一件以来、当社は電脳生命体を無効化する研究を続けてまいりました! それこ

そがこの、電子粉末剤チャフなのです!」


「──あんなモン、盛大な自作自演マッチポンプだろうが! 大元の“蚊人間”が手下なんだから、ワク

チン的な何かが作ってあってもおかしくはねえ!」

「ええ。だけど殆どの国民は、H&D社と“蝕卓ファミリー”がイコールだとは知らないから……」

 地下司令室コンソール。撤退せざるを得なくなった皆人以下対策チームの面々は、その後市中に現れ

た謎の特殊部隊、及びH&D社からの公式声明などを大型ディスプレイ群に映しながら事の

顛末を見つめていた。仁が激しい憤りをもってテーブルを叩き、國子も冷静且つ悔しげに唇

を結んでいる。珍しく疲弊した表情かおをしている。

 ……俺達は敗けたんだ。

 真相を知っているからこその、もどかしさや苛立ち、防げなかった自身への怒り。

 端からこの展開に持ってゆく為の一連の布陣、根回しなのだとしたら、とんでもない詐欺

師だ。あの濃錆のアウターとの直接対決という意味は勿論、情報戦でも自分達は奴らに大敗

を喫した。今も各メディアはこぞって、東アジア支社長キャロラインと、急遽リモートで参

加したという体を取っているリチャードCEOとの共同記者会見を中継している。

 曰く、彼らは時を前後して支社ビルに攻め込んできた電脳生命体達も撃退、鎮圧。今後も

より強力にこの“禁制”存在達に対抗してゆくと明言した。即ちその強気と人々の支持は、

翻って政府や自分達対策チームへの批判にも挿げ替わる。

「しれっと、演壇の前に例の新型デバイスを置いているね。宣伝と刷り込みもばっちりか」

「それだけじゃない。俺達が対応に追われている中、浅霧化成の研究施設ラボも襲撃を受けたそ

うだ。あそこに冷凍保存して封じていた、あの継ぎ接ぎだらけのアウターを奪われてしまっ

た……」

『連中が騒ぎを起こした理由の一つは、それでしょうな。こちらはともかく、化成側の警備

が動き出すのを観察し、保管場所を探り当てたと。尤もそれよりも前に、大よそ隠された先

はあそこだと、目星は付けていたのでしょうが……』

 冴島が会見映像から視線を外し、ぽつりと言う。皆人も内心酷く頭を抱えているのは間違

いではないだろうに、努めていつもの淡々とした面持ちでそうぼやいた。急遽通信越しに会

議へ加わった、父・皆継以下チームのスポンサー企業重鎮達も、根こそぎ今回の一件で痛い

所を突かれてしまったと苦虫を嚙み潰している。

 推測の通り、市中の映像ログから“蚊人間”の親玉は別に居たことが判った。というより

も、件の研究施設ラボ襲撃を主導したのがこの個体だったからだ。つまり先刻睦月らが発見し、

強襲しながら実は化けていたあいつは、始めから囮役だったということになる。或いは陣取

っていたあの屋上から、保存場所を絞る任務もこなしていたか。

「これから俺達は、どうすれば良い? 状況は益々奴らの有利に働き、寧ろ追い詰められて

しまったのはこっちだ」

『──』

 皆人が顔を掌で覆い、絶望する。黒斗も背中を壁に預けたまま、沈痛な面持ちで黙り込む

対策チーム一同を見つめている。


(お兄様……おばさま……)

 健臣や真弥、政府側の一行は、冴島隊の助けもあって何とか街を脱出することができた。

だが首都東京へと急ぐその車中で、一連のニュースやH&D社の記者会見を見、気が気でな

らない。窓から覗く、街のあちこちら上がる煙に、真弥は終始暗澹とした気持ちに押し潰さ

れそうになっている。


「畜生め、どいつもこいつも掌返しやがって……。騙されてんだぞ? いや、それは元から

ではあったか」

 筧ら獅子騎士トリニティも、一旦戦いを終えて変身を解除し、人々の熱狂から意識的にも物理的にも

距離を置いて身を隠しながらごちていた。二見も由香も。正直歯痒い。奴らの、H&D社の

本性さえ明るみになれば変わるというのに……。赤桐以下、中央署対策課の面々も、また当

局への突き上げが増すのかと思うと憂鬱でならない。


 何より──重傷を負った睦月だった。黒斗の咄嗟の機転、転送によって辛うじて脱出はで

きたものの、地下司令室コンソールの医務室に運ばれて緊急手術を経た後も一向に意識が戻る様子はな

い。ぐるぐるに包帯を巻かれ、まるで糸が切れたかのような寝顔。幾つもの機械に繋がれた

まま、只々断続的にその駆動音ばかりが虚しい合唱を続けている。

「…………」

 彼の眠るベットの傍らで、母・香月がその手を取ったまま祈るように跪き、じっと俯いた

まま動かなかった。すんでの所で同期を解除、帰還した海沙らも、騒動中守ってもらってい

た隊士達経由で報告を受けて飛んで来た青野家・天ヶ洲家の両親らも、変わり果てた彼の姿

に激しいショックを受けてぐったりとしていた。立ち尽くしていた。沈痛、悲痛を通り越し

て涙も出ない。

 特に香月に関しては、自らが息子を守護騎士ヴァンガードとして戦わせてきた経緯もあり、その自責の

念は凄まじいものがあった。安易に涙することも、泣いて喚き散らすことすらも温い──赦

されぬ逃げことだと、歯軋りが割れてしまいそうなほどに己を抑え、じっと握っていた。不確か

で見込みの無い奇跡に縋っていた。

(マスター……)

 枕元のサイドテーブルに置かれた、EXリアナイザとデバイスの中のパンドラが、今にも

泣き出しそうに画面の中から面々を見ている。液晶の境界に張り付いて、叶うものなら今す

ぐにでも寄り添いたい。助けたい。だが只のプログラムには、それは出来ない。

 睦月は尚も眠り続けていた。

 腹を始め、血汚れが尚も染みた包帯に垣間見える重症すがた。アウター対策チーム及びその周辺

は、これまでに類を見なかったほどの敗北と、窮地に立たされている。

                                  -Episode END-

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