68-(1) 疫災
「たっ、大変です! 市中に大量のアウターが!」
異変はちょうどその時に起こった。知れ渡ることとなった。
地下司令室。次の一手を話し合っていた睦月達対策チームの面々に、制御卓に張り付き市
中の監視を続けていた職員らが、弾かれように振り返って叫んだ。睦月達も一斉にハッとな
って顔を上げ、制御卓上部のディスプレイ群へと駆け寄る。
「矢継ぎ早か! 確かに、後手に回ってるのは俺達の方だけどよ……」
「っていうか、何なのよこいつら!? どうしてこんなになるまで気付けなかったの!?」
「それは……我々も」
「気付けなかったというよりは、システムが感知した瞬間、猛スピードで膨れ上がったとい
う方が正確ではないかと……」
大型ディスプレイ数枚をぶち抜く形で映し出されたのは、白昼堂々逃げ惑う人々を襲う、
言うなれば“蚊人間”のような異形、アウター達だった。仁や宙、面々が何故直前まで把握
できなかったのかと問い詰めたが、当の職員達もそう困惑した返答を寄越すのみだった。
いや、それ以上に睦月達を驚愕させ、戸惑わせたことがある。
この突如現れた蚊人間のアウター達は、明らかに生身の人間をベースにした姿であるよう
に見えたからだ。人体の一部が蟲の皮膚や管の繋がった肉腫へと変じ、理性を失い凶暴化し
た上で、更に近場の第三者を襲っては彼・彼女らを同様の姿に“感染”させている。
十中八九、システムの感知を上回るスピードで増殖した原因はこれだ。そのさまは、さな
ながら性質の悪いゾンビ映画でも見させられているかのようだ。
「何なの……あれ?」
「まるで文武祭の時の奴らみたいだ。でもあいつらは、確かに僕達で倒した筈……」
『いえ。外見的特徴が違います。それにあの時は、大元の一体からひたすら“分裂”して数
を増やしていたに過ぎません。何より人間を直接変貌させるような個体は、今まで存在して
いなかった』
思わず口元に手を当てて絶句している海沙と、以前苦戦したパンデミック達を思い出して
眉根を寄せる睦月。だが主のそんな推測を、デバイスの中のパンドラは即座に修正する。監
視映像が届けてくる現場の様子が事実ならば、これまで遭遇してきた個体とは明らかに一線
を画すパターン、特性を獲得した例だと言える。
『それに……。個々の変貌に差異があって判別し辛いですが、寧ろあの外見的特徴は、以前
ガネットが倒した筈の個体に似ています』
「あの子が?」
「というと、梅津大臣を狙って、筑紫氏に化けていた……?」
「おいおいおい。またかよ。どんだけ不死身がいるってんだ、連中には!?」
ともかく急いで助けに……! パンドラの指摘に香月や冴島、再び仁が焦りと苛立ちを隠
せずに吠え、他の隊士達も眺めているばかりではいられないと急ぎ出動しようとする。
「──待て。これは陽動だ」
しかしそんな面々を、他でもない皆人が鶴の一声で留まらせる。
最初睦月を始めとした一同は、怪訝な表情を見せて振り向いていた。それまでじっと黙り
込んだまま、ディスプレイ越しの現場を見つめていた彼が、再度チームの皆を見渡してから
告げる。
「少なくとも、あの個体が暴れ始めたのは偶然ではないだろう。諸々の状況、タイミングか
らして“蝕卓”が指示を出しているとみて間違いない」
「だったら!」
「落ち着け。何も手を出すなとは言っていない。ただ敵も、藤城・七波両名を狙っているだ
ろう。そうなれば俺達も防衛に戦力を回さざるを得ない。加えて市中にああして被害を広げ
るように動かしているということは、戦力そのものを分散させたいという思惑があると考え
るのが妥当だ。何より今この時点で、奴らはほぼ間違いなくこちらを“観て”いる」
『……』
じれったく進み出る睦月に、もう一度釘を。
皆人は気持ち遠巻きに俯瞰している黒斗を含めた面々に自身の推理を明かし、衝動的に動
いてしまえば相手の思う壺だと説いた。数で押してくるタイプの敵に、真正面からぶつかる
のは得策とは言えない。何より映像を見るに、相手は襲った無関係の人間を同胞に変えてし
まう能力まで持っている。悪手一つでこちらの戦力までもが奪われかねないのは、火を見る
よりも明らかだった。
(こちらを攻勢に出させない。そして睦月達が躊躇うであろうと踏んだ上での人選と、おそ
らくは時間稼ぎを含めての両名放置……)
時期は定かではないが、奴らの中に、相当厄介な策士がいる。
「……だとしたら妙ですね。まだ速報レベルですが、その敵本丸──ポートランドのH&D
社も、アウター達に襲撃されているようです」
「は?」
「それは今、現在進行形で?」
「ええ……」
ただ不思議なことに、その間も情報収集に尽力していた職員により、こちらへ仕掛けてき
ている筈の“蝕卓”──隠れ蓑としてのH&D東アジア支社もまた、時を前後してアウター
絡みの事件に巻き込まれている最中らしいと判った。
仁らがきょとんと真顔で目を見開き、冴島が一応といった風に訊ね返す。職員曰く、詳報
はまだ出ていないとのことだが、そうなると自分達が相対しようとしている目下の状況が矛
盾する。
黒斗がじっと何かを考え込むように、数拍虚空に顰めっ面を向けてから言った。
「……関連性は分からないが、全くの無関係ではないだろうな。少なくともお前達が考えて
いるほど、組織は一枚岩ではない」
「ま、まあ、それは……」
「こうして黒斗さんが居ますしねえ」
「あ、そっか。自作自演の可能性もありますもんね」
「ええ……? 何でそんな面倒臭──いや、なくはないのか……」
「ともかく、先ずは藤城・七波両宅の警備組と連絡を取り、守りを固める。連携のラインを
絶たれて各個撃破されてしまうのが一番拙い。総員、出撃するぞ」
『応!』
「なら私は、淡雪の下に向かわせてもらう。お前達の仲間が詰めているとはいえ、事は一刻
を争う──」
「待て。直接転移は使うな。睦月、お前達も。同じ箇所から一斉に出るな。各所へ“点在”
するように地上へ出るんだ。奴らはこちらの出方を待っている。一ヶ所から出て行けば、こ
の司令室を特定されるおそれがある」
皆人は面々に指示を出しつつ、そう展開時のルートにも注文を付けた。黒斗がおもむろに
力場を出そうとし、睦月達も同じ出口に向けて駆け出そうとするのを呼び止め、悪手となり
得る挙動を潰す。
「……。なるほど」
最初に“陽動”と表現したのはそのためだ。そもそも敵がこのような大規模な展開をして
きたのは、焦って飛び出した動きの分布を観察する為。明確な反応を検出できればしめたも
の、そうでなくとも対策チームの初動がどんなものかを測れる絶好のチャンスとなる訳だ。
黒斗が掌で練ろうとしていた力場を取り消し、睦月達もコクコクと頷いた。
だとすれば……。各隊が司令室内の複数の出入口と方向を見遣り、脳内の地図上で何処か
らが一番適度に近道になるかを引っ張り出す。真っ直ぐに向かってはバレてしまう。かと言
って迂回し過ぎては元も子もない。その辺りは、制御卓を担う職員達の得意とするところだ。
「藤城・七波両宅への防衛・合流班と、主要なアウター達が集中する地区の制圧班、及び裏
で指揮を執っている敵の捜索・排除の三班に大きく分ける。特に今回の敵は、人体を直接蝕
むことができる能力の持ち主だ。現地には原則、同期したコンシェルのみで対処する」
『了解!』
睦月と黒斗に関しては、変身時の外殻に頼らざるを得ないが……。皆人の指示で、面々は
改めて動き出した。調律リアナイザを片手に、それぞれ振り分けられた方面へ銃口を。撃ち
出した各々のコンシェルに意識を同期させ、制御卓の職員達がシュミレートさせた迂回路を
頭に叩き込んだ上で駆け出してゆく。
「睦月」
状況、開始。
だがちょうどその最中、同じく駆け出そうする睦月を、不意に母・香月が呼び止め──。




