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サハラ・セレクタブル  作者: 長岡壱月
Episode-66.Because/貴女への小夜曲(セレナード)
511/526

66-(7) 喪失

 同日の午後、報道経由で予告のあった政府側の会見が全国にテレビ中継された。場所はは

っきりとは分からない。ただ、背後に国旗を含めた普段の室内装飾が映っていたことから、

官邸ないし代替可能な施設の内部であることが窺える。

『大変長らくお待たせしました。内閣総理大臣、竹市薫です。本日は国民の皆さんに、重要

なお知らせがあります』

 画面の向こうに現れたのは、三巨頭の一人“仏”の竹市の息子で、現首相の薫。艶黒で埃

一つないスーツに身を包み、その甘いマスクに少なからぬ神妙な面持ちを宿しながら、彼は

リアルタイム他で試聴している人々に向けて語り始めた。言わずもがな……昨夜起こったと

されるクーデターについての声明である。

『既に各所報道で漏れ聞こえておりますように、本日深夜、公邸及び私竹市の私邸、小松邸

と公安内務省庁舎を狙った武装集団の襲撃がありました。電脳生命達に魂を売り、私どもを

排除しようとした、桜田匡輔議員主導のクーデターでした。……ですが、どうかご安心くだ

さい。蜂起は既に鎮圧され、関わった人物は当局によって拘束されました。警備担当者らに

幾人かの犠牲は出てしまいましたが、小松や梅津、標的となった者は皆無事です。此度は我

が党より、このような暴挙に出る者を出してしまい、誠に申し訳ございません──』

 淡々と、ほぼカンペに目を落とす様子も見受けられず、直後深々と頭を下げる竹市。

 たっぷりと十数秒。おそらくは国内外で、多くの人々がその顛末と謝罪に驚いていたであ

ろう中、彼は更に特大の情報ネタを公開し始める。

『……こちらは小松邸に襲撃があった際、小松雅臣元総理が犯人グループと対峙した一部始

終を記録したものです。ご本人より我々に、国民の皆さんの速やかな安心の為、提供があり

ました』

 それはクーデター未遂時の、雅臣が桜田もといヴァイラスと問答を繰り広げていた際の音

声と映像。竹市の口上で会見映像が切り替わり、あの時撮られていた内容がほぼ丸々再生さ

れた。犯人たる桜田一派の動機、それに応答する雅臣自身の肉声と回顧。かつて“鬼”と仇

名された彼の、大病を経た、若かりし日への自認と本心の弁だった。


“たとえ自分が悪者になろうとも、国民が幸せであり続けられる為なら全てを捧げる”

 桜田がいつの間にか、自分でも気付かない内に、他でもない電脳生命体に成り代わられた

いたのではないか? という疑惑。


 ただ……映像ではエージェント達が現場に駆けつけたところは映し出されていても、直後

近衛騎士ニアガードへ変身して以降は、意図的に切り取られていた。雅臣達のやり取りも囮云々、兵

を伏せていた云々はカットされ、最後は桜田達が取り押さえられたらしい激しい声や物音だ

けが映されていた。

 包み隠さずにとは言え、敵を欺いた新兵器の詳細までも馬鹿正直に開陳すべきではないと

判断──機密情報化したのだろう。或いはそのような埒外の技術、武力があることを海外各

国に知られてしまえば、要らぬ刺激や軋轢を生みかねない。

 竹市は暫く、一連の証拠となるこの映像音声を再生した後、改めて自身の映る会見画面に

戻って言う。

『今回は幸いにも、国家の存続に関わるような被害は最小限に抑えることができました。し

かし此度、桜田議員らを唆し、電脳生命体を貸し与えたと思しき組織は未だ生きています。

今も尚、この社会の裏側に巣食っているのです。今回の一件は紛れもなく、国民生活の安寧

と、民主主義の根幹を揺るがす挑戦であると言えるでしょう』

『我々は断固として、このような暴挙を許さない。断固として、戦い抜く所存です──』


「──はあっ、はあっ、はあッ!!」

 人々の戸惑いと注目の影で、電脳生命体もといアウターにまつわる事態は着実に大きな節

目を迎えようとしていた。

 クーデター未遂から一夜、複雑に入り組む飛鳥崎の路地裏を、当局の追撃から命辛々逃れ

た桜田が駆けていた。本来なら自身の邸宅でふんぞり返り、政界再編の舵取りをする予定だ

った本人である。しかしそんな彼の野望は雅臣の機転──端から囮すら用意して待ち構えら

れていた政府側によってことごとく打ち砕かれ、ボロボロの汚れだらけになりながら、部下

一人無い敗走に追い遣られていた。

 どうっと躓き、古びたアスファルトの地面を転がる這う這うの体。

 だが企みが失敗したショックよりも、桜田はある疑念に何もかもが判らなくなっていた。

不安と恐怖で押し潰されそうだった。

(私が……私が……電脳生命体バケモノ? そんな筈は。だって私は、当局やつらが押し掛けてくるまで、

実際に屋敷で作戦の指揮を……)

 他らぬ小松邸で、雅臣に指摘された言葉が、彼の脳裏で過呼吸になるほど繰り返される。

 恐る恐ると見ろした自身の両掌。嗚呼、そうだ。感覚的に判る。あの赤い奴ら、雅臣達が

近衛騎士ニアガードと呼んでいた奴らに確保されてしまった時、自分はさも“あの場にいた”ような共

感覚に陥っていた。

 ヒトじゃない?

 見つめる掌。あちこち爛れて、今や崩れかけた己の身体。異形の肉体。

「私は、何時から……? 私は……私はァァァ゛ーッ!!」

 自覚に至ってしまったが故の発狂。自らが最早“偽物”だということ。

 かくして大物議員、桜田匡輔は自壊したしんだ。ヴァイラス・アウター。肉体こそ上皮が抉れる

ほど隆々だが、顔面は蚊を思わせる異形そのもの。他者に感染し、自らの分身を増やしてゆ

くこの個体は、されど己がその一つに過ぎないという事実を忘れ去っていた。耐えられなか

ったのだ。


 日はゆっくりと暮れてゆく。今日も変わらず沈んでゆく。

『──』

 飛鳥崎の街の至る所、何処からか、その日一体また一体と人間態のアウター達が姿を見せ

ては合流していた。蝕卓ファミリーより下された“召集”。或いはその動きに託け、プライドが彼らを

行進させている。

 さも己の軍のように。とあるビルの屋上から、プライドはこのさまを不敵な笑みで見下ろ

していたが、一方で傍らの勇は内心強く憂慮していた。不安のような何か。ある種の予感が

漫然として意識に靄を掛からせ、彼は所在なく街の月夜を仰ぐ。


『──約束は、守ってもらうぞ』

 黒斗はかつて、淡雪あるじに嘘を吐いた。思えばそれが全ての始まりだった。

 自らの起源、自分達に課された使命と運命。それでも彼女の平穏を守りたいと、彼はある

時かねてから接触を図ってきていた“蝕卓ファミリー”と交渉。彼女に手を出さない、身の安全を条件

に、自身の“七席”入りを呑んだのだった。

『勿論サ、ユートピア。いや、今ハ牧野黒斗と名乗っているんだったカ』

 街の暗がり。そこで相対していたのは白衣の男、シンだった。背後には人間態のラースと

グリード、グラトニー。あくまで護衛だと言いつつ、実質はこちらに対する脅しに他ならな

いじゃないかと、黒斗は内心終始警戒していた。

『いやア、めでたイめでたイ。これでようやく……六人目カ。思ったより掛かったねエ』

 ぺらぺらと、自分の所管分野になると急に饒舌になるシン。およそ他人が見れば、胡散臭

さが服を着て歩いているような人物だが、これでも自分達個体の基礎を作った男──いわば

父親のような存在だ。尤も誰一人、そのように思ってはいないだろうが。

『……』

 黒斗は終始、必要最低限の会話のみで押し黙っている。

 たとえ自分達が、平穏とは真逆の存在でも……。彼は願った、願ってしまった。彼女とい

う少女を、何としてでも守りたいが為に。

『君にはとても期待しているんダ。どうか、好く好く育ってくれヨ?』

『ようこそ、我が“蝕卓ファミリー”へ。“色欲ラスト”──』


「ご無事ですか、藤城先輩!?」

 ワスプの撃破後、居合わせた筧らとも一緒になり、睦月達はようやく黒斗の行き先──淡

雪が新たに移されたと思しき監禁場所へと辿り着いた。計測結果と筧の刑事時代の経験も合

わさり、特定作業は急ピッチで進んだが……結局到着した頃にはすっかり日が暮れてしまっ

た後だった。

 場所は、北部郊外のとある空き家。

 耳を澄ませる限り、敵が潜んでいるような感じはない。最初は警戒して慎重を期していた

が、意を決して一行は中へと突入を試みる。中に守備役らしき者は置かれておらず、居場所

を探し当てるのは容易だった。扉を押し退けて、遂に淡雪の背中を捉える。……だがそこで

一行がぶち当たったのは、思いも寄らぬ事態だった。

「ひっ──?!」

 ビクリと身体を強張らせ、おずおずとこちらを振り返って来る彼女。

 しかし様子がおかしい。明らかに急な物音、不躾に驚いたというだけではない怯えっぷり

だったからだ。大きな外傷もなく元気そうで安堵し、近寄ろうとする。寄ろうとして──事

の異質さに気付く。

「こ、来ないで!」

「えっ?」「ど、どうしちゃったんですか? 私達、助けに来たのに……」

「おい。そこでぐったりしてるの、黒斗さんじゃねえのか?」

「えっ?」「っていうか、まだあそこにも誰かいるな……。おっさん?」

「──っ!? お父さん!?」

「は? 由香ちゃんの……親父さん? 何でまた、こんなとこに……?」

 自分達が来たというのに、尚も酷く怯えている淡雪。加えて、何故か部屋に入ってすぐ横

の空間に、両膝を突いたまま項垂れている黒斗の姿があったのだ。他にも奥には、ぼうっと

座り込んだ中年男性が一人。その顔を見て、由香は激しく動揺していた。思わず叫び、二見

や睦月達が改めて目を丸くする。戸惑いのまま、一行はめいめいに彼女の下へと近寄ってい

った。

「おい、黒斗さん。どうしちゃったんだよ? そんな魂が抜けたみたいになっちまって。誰

かに襲われたのか? まだ敵が辺りにいるのか?」

「お父さん……どうして……」

「え? 由香ちゃんも何でか分かんないの? 一緒に住んでるじゃなかったの?」

「あ、えっと……。最近は筧さん達と一緒だったから……。お父さんも、求職活動で留守に

していることも多かったし……」

 黒斗をゆさゆさと揺さぶる、コンシェルに同期したままの隊士達や、同じく困惑して呟く

由香に問い返す宙。だが当の黒斗本人は酷く落ち込んでいて碌に反応すらせず、由香も由香

で歯切れの悪さを伴ったまま、暗に不仲が続いていたことを漏らす。

『マスター。妙ですよ』

「うん。先輩もこんなに怯えちゃって……。まるで僕達が判らないみたいじゃないか」

 パンドラにそう端的に言われて、睦月が、面々がハッとする。

 まさか……。本当に自分達のことを忘れている? 誘拐や連れ回しがあまりにショックだ

ったせいで、そこまで精神的にダメージを?

「ぼ、僕ですよ。佐原睦月です。この前の文武祭だって、一緒に──」

「しっ、知りません! 此処は……此処は何処なんですか!? 暫く前、あそこの人も急に

やって来て、何度も私のことを問い詰めて……!」

『──』

 睦月達は、半ば絶句して瞳を揺るがせていた。先ほどからずっと怯えている、まるで別人

のような反応を見せる淡雪と、おそらく同じようにして“拒絶”されたであろう黒斗を何度

も交互に見遣る。一方で由香も、思わぬ場所で再会した父・誠明に同様の質問を浴びせかけ

ていた。だが彼もまた、彼女からの問い掛けないし自己紹介にキョトンとしている。全く実

感が無いと言わんばかりに戸惑っている。

「君が……私の娘? 私に、娘なんていたのか?」

「──」

 三者三様の状況。睦月達は、目の前で起きている光景に言葉を失いながらも、認めざるを

得なかった。にわかに信じ難い現実を、受け止めなければならなかった。

「ね、ねえ、皆っち。まさかとは思うんだけど……」

「そのまさかだろうな。少なくとも、三人が三人とも演技をしているようには見えない」

 淡雪も誠明も、自分の記憶を失くしている?

                                  -Episode END-

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