66-(1) 腐った眼では
件の騒乱は、飛鳥崎の広域走査に掛る攻防と同じ日に起きた。およそ殆どの人間が寝静ま
った頃、首都集積都市の各所において、アウター達と結託した桜田議員及びその取り巻きが
蜂起したのである。政界で通称・桜田派と称される、反“三巨頭”の強硬派達だ。
「行っけぇぇぇーッ!!」
標的の一つ、都内の一等地に建つ小松邸。
夜闇に乗じて警備を打ち破り、通信越しの桜田はアウター達に突入を命じた。念の為ヴァ
イラスらの一部やR・モス、H・モスキートといった火力の多くは、政府側の後詰めが追い
ついて来た時用に待機させておく。
邸内は予想していた以上に静かだった。明かりも一切が消え失せていたが、元より人外の
存在たる一行に夜目の心配など無い。
まさか、奴は既に逃げ出した後……? 桜田に一抹の可能性が浮かぶ。
いや、そうさせない為に此処や首相公邸、私邸と内務省舎を同時攻撃──連携を取らせる
暇を与えず速攻で落とすという作戦を採ったのだ。何より、あの男は病を患って以降、満足
に動き回ることもできなくなっている。性分からしても、一目散に逃げるよりも立ち向かっ
てくる筈だ。
事実、彼のそんな読みは間違いではなかった。一行が小松邸に突入して程なく、廊下を直
進していると、夜闇の一角にまとまった人の気配を察知したからだ。
間取りから参照するに、中庭を挟んだ応接室。アウター達はぐんとこれを通り抜け、進路
を九十度変更。「見つけたぞ!」眼前に迫った扉を蹴破りながら、遂に標的の人物へと到達
する。
『……』
はたして、彼は桜田達と真正面から向かい合うように陣取っていった。応接室の上座、そ
の暗がりと黒革のソファに、僅かな蝋燭の明かりだけを目の前に灯して座っている。傍らに
は同じく、険しい表情をした静江夫人と、背後で不安そうに身を寄せ合って震えている真由
子や使用人達の姿もある。
かつての“三巨頭”筆頭、“鬼”の小松こと小松雅臣その人である。
「その声は……。お前か、桜田」
「ああ。貴様らに引導を渡しに来た」
病と老い。とうに現役を退いて久しいにも拘らず、その静かな威圧感と眼差しは並の人間
を躊躇わせるには尚も十分だった。或いは今、自分達の置かれた現状が現状なだけに、そう
した気色を纏わざるを得なくとも不思議ではない。
開口一番、たっぷりと間を置いた睥睨の後、雅臣は静かに問うた。桜田も桜田で、自身の
圧倒的武力の差からそう勝ち誇ったように応じる。最早彼ないし“三巨頭”に対する害意す
らも隠さない。
「引導か。何故こんな、大それた真似を」
「何故? 貴様らがこの国を、滅茶苦茶にした元凶だからだろうがッ!!」
桜田はぶち切れる。あくまでとぼける──軽いジャブ程度の言葉だと頭では解っていたも
のの、彼は己の“義憤”を抑え切れなかった。ギチリ……。爪先や得物に力を込め直す背後
のアウター達と共に、直後彼はこの老人への断罪と罵倒をぶちまける。
「半世紀以上前、貴様らは全国の集積都市化を始めとした大改革を強引に進めた。それは後
に、この国における“新時代”の幕開けと呼ばれて今に至るが……詰まる所その実態は、貴
様ら三人の系譜による世襲政治でしかない!」
何よりも、格差の露骨な拡大と容認──集積都市化による人々の分断を後押しし、あまつ
さえ議論の分かれる海外人材の誘致も積極的に行っていった。桜田曰く、それは「国民」を
優先せず切り捨て、実益ばかりを求めた「売国奴」の所業だと。
「都市内と都市外の確執、人心の荒廃、己の利益にしがみ付いて人々を食い潰す悪……。今
やこの国は、一部の持てる者だけが残りの全てを牛耳る社会と化してしまった。適切な規制
や抑止策を打っていれば止められたものを、貴様らはことごとく無視し続けたのだ!」
「……それは、今も昔もあったろうよ」
ただ、対する雅臣は何処か遠い眼をしながら言う。ある程度桜田一派の暴走は予想してい
たのかもしれない。
「そりゃあ確かに、あの頃は俺達も若かった。世の中を変える為に、生き急いだって部分は
あるがよ……」
雅臣自身も、自分達が目指した改革、その急進性は認めていた。やがて“鬼”の異名で呼
ばれるようになったのも、そうした辣腕が故であることは議論を待たない。だが……。
「そうでもしなきゃ、他にこの国が助かる道なんてねえと思ったんだよ」
旧時代末期にどん詰まりとなった、各国の覇権主義の台頭。曰く、当時の海外強国らの同
化策に呑み込まれぬ為にも、国内の政治・経済の立て直しは急務だった。最早強引な手段で
もって“乱雑”をシステマティックに統一でもしなければ、到底襲い掛かる巨大な渦には間
に合わなかったと。尚も敵愾心を剥き出しにしている桜田をじっと見つめ返し、雅臣はふう
と大きく天井を仰ぎながら息を吐く。
「……民を、国を守れるのは国しかない」
豊かさの果て、多様性を追い求めることが、国としての人々の単位を弱める皮肉。
雅臣らは前者の理想に溺れ死に、歴史を絶やすことはしたくなかった。たとえ自分が悪者
になろうとも、国民が幸せであり続けられる為なら全てを捧げてやると思っていた。当時は
本気でそう信じていた。
「桜田……。お前はどうだ?」
「何?」
雅臣は問う。
「大義有りと叫んだところで、その手段を国民を脅かす怪物どもに──電脳生命体に求めて
手を染めた時点で、私心が勝ってるんじゃねえのか? 結局お前がやりたいのは民を幸福に
することじゃあなく、俺達が憎いってだけの椅子取りゲームじゃねえのか?」
まあ当時の俺達も、あんまり他人のことは言えねえかもだが……。
苛烈だった、若かりし現役時代。現在の、大病を経て多少丸くなった引退後。
かつての己を顧みながら、雅臣が向ける眼差し。それは一見とても哀しそうで、一方で尚
も譲れない信念を抱き続けている漢のそれだった。自らの正当性、義憤を当の政敵から否定
され、桜田は深く深く眉間に皺を寄せる。あくまで“上から目線”で語ってこようとする彼
に、募る憎しみは最高潮に達する。
「ったく。酷ぇ顔してやがる……。お前、最近自分を鏡で見たか? 今のお前はまるで、死
人みたいに“濁った眼”だぞ?」
「……??」
だというのに、当の雅臣や静江夫人、真由子達までもがこちらを気色の悪い何かとしてば
かり見てくる。桜田は思わず混乱していた。
何を言っている? 自分は通信越しでアウター達を指示していて、現場には居ない。己の
の邸宅で駒を動かし、今夜政権の転覆と新時代なるものの呪縛から人々を解放しようとして
いるのに。
雅臣らの前にいる“身体”はヴァイラスであって、自分ではないのに……。
『──』
彼は気付いてすらいなかったのだ。自身、アウターもとい背後の“蝕卓”達と関わってゆ
く中で、自らもヴァイラスに感染。呑まれ同化し、既に成り代わられていたことに。今の自
分は、大物議員・桜田匡輔だと思い込んでいる、いち個体──。
「ッ!? 何だ!」
だがちょうど、そんな時だったのである。不意に雅臣から突き付けられた指摘。その揺さ
ぶりにピクリとも動けなくなっていた最中に、ザザザと通信経由で報告が入り始めた。此処
小松邸と同じく、各所で一斉に襲撃を敢行していたアウターや部下達である。
『き、緊急事態です!』
『首相公邸、私邸、省庁舎に展開中の部隊へ反撃あり! 急速に兵力が消滅しています!』
「何……だと? 警備の連中は無効化した筈だろう!?」
『そ、それが、急に敵が……』
『あ、赤い守護騎士のような者が、何人も──ガァッ!!』
「っ?!」
目の前の雅臣らもそこそこに、慌てて各部隊との連絡を取ろうとする桜田。
だがその間も、襲撃先の各所は次々に謎の反撃に遭い、アウター達が斃されているようだ
った。酷いノイズと共に聞こえる爆散音。気付けばそれらと同様の騒ぎが小松邸の外からも
聞こえ始めている。「赤い、守護騎士……?」激しく動揺する彼に、雅臣はフッと嗤う。
「総員、陣形を崩すな! 必ず数で囲め!」
「敵個体の特殊能力に注意しろ! 対策は情報通りに!」
その正体は、名付けて“近衛騎士”──量産型ガネットを専用のリアナイザで装着した政
府側のエージェント達だった。元々姉妹機というのもあり、造形は確かに睦月とパンドラの
それとよく似ている。違いと言えば基調とする色と、より量産し易くする為の機体装飾の簡
素化ぐらいだ。
エネルギー出力を、本家・守護騎士の半分ほどに落とすことで、装着可能者を増やした政
府の対電脳生命体用新兵器。元々は睦月が正式な装着者となる前、香月が苦肉の打開策とし
てやろうとしていた“没案”だった。但しそれでも、適合者となれる人材は依然限られるの
だが。
「くっそぉぉぉーッ!!」
桜田が剥き出しの苛立ちを露わにする。加えて雅臣曰く、最初の警備要員ですら彼らの投
入を前提とした“囮”だったと語る。
「……もし一人でも攻撃を受ければ、すぐに各所の本隊に連絡が飛ぶよう準備を整えてあっ
たんだよ。お前ら“内通者”を、まとめて炙り出す為にな」
ヴァイラスの、感染を介した自己複製。モスの反射皮膜と、モスキートの超音波による攻
撃能力。先に囮役で攻撃を受けてくれたからこそ、これらへの対策も速やかに整えられた。
元よりガネットの持つ特殊な炎撃は、感染をプログラムごと焼き払えるし、モスの反射す
る羽や皮膜には無闇に攻撃は撃たない。一点に火力を集中させて、耐え切れず薄くなった所
を叩く。モスキートの超音波も、変身前にノイズキャンセリング付きの通信機を装備して臨
めば無効化できる。
「おかしいとは思わなかったのか? 何でお前らが攻め込んで来てるのに、俺達が部屋の中
で固まってたのか」
「お前らを“収める”為だよ。さっきまでのやり取りは全部、記録させてもらった。お前ら
を含めて一つ二つ下の世代は、回線イコール無線っていう先入観を持っちまってるからな。
時にはこういう、アナログな作戦の方が、よほど確実って訳だ」
『……』
加えて桜田、否もといヴァイラスはそこでようやく気付く。不敵に笑った雅臣の手元、肘
掛けの中にカメラのレンズらしき物が仕込まれていることに。
暗くて見えなかった──というのは言い訳にはならないだろう。そもそもこの男は、自分
達が突入してくるのを見込んで、座る位置から何からを全てこれらの死角になるよう整えて
いたのだ。掌に握った杖やサイドテーブル、その脚の裏側から床下へと延びるケーブル。本
人の言葉通りなら、それは間違いなく“有線”用のそれだ。
「なら、梅津や貴様の息子が飛鳥崎に向かったのも……」
「ああ。お前らみたいな奴らを炙り出すのを兼ねて送り出した。何処かで関係者の動向が抜
かれてるとなれば、これほどのチャンスはねえからな。必ず動くと踏んでた。……まあ、最
初は竹市の倅にも動いてもらおうかと考えたんだが、流石に露骨過ぎて勘付かれると梅津に
止められた。実際、面白いぐらい引っ掛かる按配になっただろう?」
「ぐぬっ……!」
形成は完全に逆転。いや、そもそも今宵の奇襲自体が政府側によって誘われ(しくまれ)
ていたのだ。桜田達は、まんまとその術中に嵌まった格好となる。
赤い近衛騎士姿のエージェント達は、小松邸前を含むアウターらを次々と破壊していった。
皮膜を全開にし必死に耐えるモスを、数人での多方向射撃の必殺モードから一転、その隙に
斬撃の必殺を差し込んで撃破。逃げようとすモスキートも、やはり多人数でのナックルモー
ドの止め──エネルギー杭を打ち込んでからの、時間差跳躍キックによって爆散。沈める。
本隊であるところの桜田達も、直後迷彩機能で伏せられていた彼らに囲まれ、取り押さえら
れた。
「くっ、くそぉ!」
「は……離せぇーッ!!」
かくして桜田派による深夜のクーデターは、未遂のままに終わったのである。




