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サハラ・セレクタブル  作者: 長岡壱月
Episode-7.Seven/元凶を求めて
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7-(4) 香月(はは)の記憶

 そうして、どれくらい時間が経っただろう。

 夜もたっぷりと更け、宴(香月お帰りパーティー)はお開きとなった。一ヶ所に集ってい

た三つの家族はそれぞれの自宅に戻り、明日に備えて緩やかに沈んでいく一時を過ごす。

 海沙は少し緩めのお風呂に浸かってまったりうとうと。宙は既に寝間着になり、自室で雑

誌やテレビを観てごろごろしている。その階下では輝・翔子が宴の後片付けも終わりかけ、

定之と亜里沙は明日の勤務に備えていそいそと布団を敷き始めている。

「母さん。お風呂空いたよ」

「ええ、ありがと。蓋だけしておいて。まだ掛かるから」

 佐原家。久しぶりの母子おやこ一緒の夜。

 バスタオルを被りながら、睦月はそうホクホクとした身体で風呂場から出て来たが、香月

は尚もここに来てキッチンのテーブルでノートPCと幾つもの外付けHDDを繋ぎ、忙しな

く画面上を流れる無数の数列と格闘している。

 睦月はやれやれと思った。折角帰って来たんだから、今日くらい休んでもいいのに……。

 だがそれは無理な相談なのだとも知っているからこそ、彼は黙って苦笑いを零すだけで二

の句を引っ込めていた。彼女は十中八九、今度の作戦に備えて今動かせるコンシェル達を弄

っているのだろう。準備に少し日が要る、その間は休みだとはいっても、その作業の少なか

らずは母ら研究部門の仕事であるのだから。

「……おやすみ、母さん。あまり無理はしないでね」

「大丈夫よ。おやすみ、睦月。明日は私が朝ご飯作るから、そっちこそゆっくり休んでおき

なさい?」

 息子が階段を上っていく足音を聞く。その振り返りざま、表情が密かに曇っていたことを

香月は見逃さなかった。

 そっちこそ。

 親子なのに、どうにもお互い気を遣い過ぎる……。


 ──“彼”と付き合い始めて三年。自分が妊娠していると判った時、私は彼の下を離れて

この子を自分一人で育てると決めた。

 彼は狼狽していた。デキた事もそうだったけど、私が自分から別れようと言ってきた事に

二重のショックを受けたらしい。

 そうは言ってもね……。実際貴方と私じゃあ、夫婦として同じ舞台に立てないじゃない。

 彼には既に、親が決めた女性あいてがいた。それは付き合い始めて程なくしてから知った事だけ

れど、当の彼はそんな敷かれたレールにはかねてより否定的だった。

 でも、私は彼に諭した。こうなる事は何となく分かっていたんじゃないか?

 だって貴方は名実ともにいずれこの国を背負って立つ一族。だけど私はそういう小難しい

パワーゲームなんて何処吹く風の、研究すきなことに没頭してばかりのぐうたら者。

 務まる筈ないじゃない。

 似合う訳ないじゃない。政治家の妻なんて。

 自分でもそんな柄じゃないことはよーく知ってる。弁えてる。ただ私達は、お互いその志

と知性に惹かれ合って……恋に落ちた。だからこそ貴方が叶えたい理想を、他ならぬ私自身

の存在によって阻んでしまうことは絶対に避けたかった。

 いや、大丈夫だ。もうこの国には、た、多婚がある……!

 彼は言った。でも動揺で震えているのは私から見ても明らかだった。確かに貴方の家柄、

富ならばその相手フィアンセの次に収まる事も可能かもしれないけれど、どのみちいざこざの種になっ

てしまうだろうというのは目に見えている。

 だから私は言ってやった。言ってしまった。じゃあ貴方はその許婚ひとと私、両方を嫁にして

二人とも愛せる? ──いや、もう一人の彼女を優先できる……?

 彼は答えられなかった。変な所は鈍感で、でも頭は良いから、私の言わんとしていること

はすぐに理解出来たようだ。

 だけど……。食い下がろうとした彼を、私は止めた。

 分かってる。愛されてるわかってるからこそ、ここで区切らなきゃと思った。

 貴方は貴方が全力を出せる場所フィールドで頑張って。私も私が、全力を出せるそこで頑張るから。

この国を、豊かで幸せで、不幸の無い国にしたいから。そのおもいは今も貴方と同じだから。

 ……でも、その決断は結局私の我がままだったんだなって思う。

 だって生まれてきた子が、睦月が、あんなに深い苦しみを背負ってしまったのだもの。

 大人しくて手の掛からない子。だけどそれは本当表面的で、実際はずっと自分自身の存在

価値に疑問を持ち続けている、暗い闇を抱えてしまった子なんだ。

 罰なのかな、と思う。どれだけ私が彼から離れても、その罪は着実にその息子に蓄積され

ていったようなものなのだから。

 何時もニコニコして、母親わたしの事を気遣ってくれる。

 でもそうしてずっと笑い続けているっていうのは、本来異常なこと。何重にも何重にも、

一番奥の本音かんじょうを押し殺して生きているんだと理解した。

 母親だから何でも分かる、っていう訳じゃない。

 だけど……少なくともあの子は何処か“壊れて”いるように感じる。昔、海沙ちゃんと宙

ちゃんを野犬から守った時のように、あの子は時々誰かを守る為に自分の事なんて無意味な

くらいに余所に放り出すんだ。

 翔子さんから連絡を受け、慌てて当時の研究所ラボを飛び出した時、あの子は血塗れになって

こちらを見ていた。お母さん。にっこり笑って、自分のしたことを褒めて欲しいと言わんば

かりに駆け寄って来た。……そうだ。裏を返せば、そんな無茶でもしないと自分がここに生

きている事を認めて貰えないとでも信じているのだろう。

 悲しいし、叱りたくなる。

 そんなに自分を責めないで。そこまでして他人が傷付くのを止めようとしないで。

 独善的なのではとすら思った。だけどそこまで考えて、同時に私にはこの子をその生き方

において叱責する資格なんて無いんだと戒めた。

 彼と出会い、恋のままに肌を重ねたことも。

 彼を知り、自分側の理論でその下を去ったことも。

 この子の為だと思い、ずっと父親について知らせなかったことも。

 私こそが、偽善だ。これを独り善がりと言わずして何と言う。あの子を内側から狂わせた

のは、他ならぬ私ではないか。

 でも……もう事態は私にすら止められなくなっていた。研究の日々に忙殺され、益々一緒

にいてやれない時間ばかりが増える中で、よりにもよって睦月が対アウター用システムの装

着者になってしまったんだから。

 何故、こうなった? 何故この子の適合値が、こうも尋常じゃなく高いの……?

 まだ班長にも、皆人君や皆継社長にも話していない。何か理由がある筈だ。冴島君では不

十分で、睦月では十分過ぎるという事実に対する科学的根拠。

 おそらくはEXリアナイザ開発の原典となった改造リアナイザ──越境種アウター達の中に。あの

子の、私の所為で抱え込んでしまった“闇”とリンクする何かを。

 見つけなければならない。

 あの子を守りながら、あの子を解き放つ為の道標を──。


「……」

 作業が大きく一区切りしたのを幸いとし、香月は一度手を止めて休む事にした。ぐぐっと

椅子の上で背筋を伸ばし、そろりそろりと階段を上っていく。

「……Zzz」

 自室へやでは、既に息子は安らかな寝息を立てていた。僅かにドアを開け、その昔と変わらぬ

優しい寝顔にホッとする。

 だけども、あれは表面的なのだと、香月は思い直す。

 本人に直接質したことは無いけれど、ずっとこの子を観てきて、観られて気を遣われて、

他の子とちょっと──大分違うことは否応なく嗅ぎ取ってきたのだから。

 ただでさえ周りと隔たってしまった我が子。

 それに加え、今や息子は密かにこの飛鳥崎を、ひいては世界中に蔓延る電脳の怪物達と戦

う宿命を背負わされてしまったのだ。

 自ら望んだこと。そう言われてしまえば無碍に止めさせることも難しい。だがそもそも彼

がそんな無茶にのめり込んでいく理由は、もしかしなくても他に高適合者がいない──自分

にしか出来ないことだからではないのか? それが自分の、生きていてよいという証になる

とでも考えたんじゃないか?

 無茶苦茶だよ。歪んだ、自己犠牲だよ……。

 だけど自分にはきっとその心象を批判する資格はない。そんな心象を育ててしまったのは

きっと自分自身だ。どれだけ詫びても、もう完全には取り戻せない。償い切れない。

(私は……母親失格ね)

 ハの字になった眉。廊下から漏れる僅かな明かりの下、香月はドアの隙間から一見安らか

に眠る息子の横顔を眺めている。想い、心の中でかつて愛し合った人の名を呼んでいた。


 ねぇ、健臣たけおみ

 貴方は今、どんな想いで其処にいるの……?

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