64-(4) 憤怒(ラース)
時を前後して、飛鳥崎市中。
路地の一角を歩いていた恵と耕士郎の前に姿を現したのは、人間態のラースだった。
一見すれば眼鏡を掛けた、神父姿の男性。しかしこれまで散々“蝕卓”の実情を“視て”
きた二人は、彼の正体を知っている。
「アイズとその繰り手、百瀬恵ですね?」
確認するような第一声。二人は彼が奥の暗がりから現れた瞬間、全身を強張らせて臨戦態
勢に入っていた。口調こそ丁寧だが、そこに友好的な気配は一ミリも感じられない。
「我々は先日より、市内外に潜伏している個体達全員に召集命令を掛けている最中です」
「ですが貴方達は……どうせ従う、協力する気はないのでしょう? 今この場で、処分させ
て貰います」
『──っ!?』
問答無用。ラースからの突然の宣告に、耕士郎は反射的に怪人態──全身に“眼”を備え
た、本来の姿となって対抗しようとする。ザッと片手で恵を制し、前に出、彼女を庇うよう
に立ちはだかる。
「コウシロー!」
そんな相棒の意図する所に勘付き、名を呼ぶ恵。だが当のアイズ本人は、正面のラースか
ら目を離す訳にはいかなかった。
……正直、まともにぶつかっても勝てる気はしない。自分にもっと戦闘力があれば、そう
いう能力も備えていれば、そもそも今まで逃げ隠れしながら暮らしてはいないのだから。
「まさか組織が、今まで貴方達が“覗き見”をしていたことを知らなかったとでも? 七波
由香の刺客として放ったストライク達、文武祭での妨害放送──貴方達の利敵行為は目に余
る。シンの温情がなければ、既に消されていてもおかしくはなかったのですよ」
淡々と事務的に、彼への処刑事由を語るラース。相手が変身、臨戦態勢に入っても動じる
様子は一切なく、或いは彼の戦闘能力がそれほど高くないことも把握済みな故の態度だった
のかもしれない。
「逃げろ、メグ!」
直後の出来事だった。アイズは周囲に浮遊させていた“眼”の一つを恵にくっ付けて発射
させると、遠く後方へと彼女を吹き飛ばし始めた。「!? 待っ──」拒むように伸ばそう
とした手。されどその姿はどんどん加速し、あっという間に見えなくなる。
恵は即座に理解していた。してしまっていた。だからこそ、涙が零れた。
彼は、伯父は、自分を庇って死ぬ心算だ……。
「……この期に及んで、まだ用済みの繰り手を庇いますか。まったく、貴方達は何時もそう
だ」
チッと、珍しく小さな舌打ちをするラース。眼鏡の下から耕士郎ことアイズを睨み付ける
その眼光には、沸々と静かに湧き上がる“怒り”が宿っているように見える。
「本来の使命を忘れ、ヒトを真似るだけ真似て好き勝手! ミイラ取りがミイラになり、余
計なことばかり学ぶ! あまつさえ我々の──組織の邪魔をする!」
彼の“怒り”の源泉は、はたしてそこだった。自分達には、人間には相応の秩序というも
のがある。たとえ個を潰すとしても、それらは守られるべきだ。ラースはそう考えていた。
逸脱することで生じる混乱、その害の方がよほど大きいと、知識としても経験としても知っ
ていたからだ。
「……貴方もですよ、アイズ。原典の百瀬耕士郎は知ろうとし過ぎた。貴方は、奴の要らぬ
部分も継いでしまっている」
ピッ! アイズを指差し、ラースは言う。人間だった方の耕士郎は始末したと、相手も既
に分かっているだろうから、余計な隠匿は要らない。只々自分に歯向かってくる同胞に、そ
の不毛と不条理を説くだけだ。
「ジャーナリズムと言えば聞こえは良いですが、結局は情報を吹き込んで搔き乱すだけの害
悪です。各々が取捨選択をし、理知的を保つ──惑わされないほど、人間という種は利口に
は出来ていないのですよ」
そんな者達の真似をする個体らも然り。
多数の“眼”を浮かせて相対しているアイズへ当て付けるように、ラースはありったけの
罵倒を浴びせる。侮辱する。或いはそうして彼の暴発を狙っているのか。言って、赤銅の肌
を持った三面六臂の武僧──怪人態、リベンジ・アウターへと変身しながら続ける。
「知っていますか? この国には“知らぬが仏”という言葉がある。知らなければ、もう少
し長生きも出来たでしょうに」
「……」
だがそんな、彼なりの並び立てた皮肉の数々も、対するアイズにはどう映っていたのだろ
う? 少なくとも黙り込んだのは、ぐうの音も出ないといった理由からではないように見え
た。暫く細めていた目、眼差しが、寧ろそんな彼を“憐れ”むように捉えている。
「そうやって人間を見下しているから、あいつに見限られようとしてるんじゃないのか?」
静かに目を見開いたラース、怪人態の阿修羅。
以後、互いに言葉を交わすことはなく途切れたが、両者は殺気を纏いながらぐぐっと全身
に力を込めていた。口上はもう良い──最後は力ずくで、望む姿に矯正してやろう。
(……ありがとうな、メグ。短い時間だったが、俺は百瀬耕士郎として、この命を全う出来
そうだ)
直後、睨み合いからの動。
振りかざす掌から生成される反射壁、一斉に光量を湛えての攻撃に転じる無数の“眼”。
ダンッと激しく地面を蹴り、ラースとアイズは直接ぶつかり合い──。
「うっ!?」
ややあって、恵を低空飛行で浮かばせながら運んでいた“眼”が、フウッと塵に還るよう
に掻き消えた。突然加速度と支えを失った彼女は、そのまま転がり落ちるようにして裏路地
のアスファルトに滑り込んだ。擦れた痛みと、それよりもこの現象が意味することを理解せ
ざるを得ず、只々嗚咽する。
「ああ゛……。あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛……ッ!!」




