7-(1) 容疑社H
翌日の司令室。
皆人に言われた通り、しかしこの歳でちゃんととしたスーツを持ってはいないため、睦月
は深い黒のジャケットとズボンの上下を持ち込んで来ていた。彼を始め、対策チームの面々
が同じように黒や紺のスーツに身を包んでいる。支度をするからお前も着替えてくれ──。
言われるがままに、睦月も金属製の立て板の向こうに移動し、それら格好に倣う。
「ねぇ皆人。一体何だっていうの?」
「ああ。お前に会わせたい人達がいるんだ。じきに分かる」
親友は、家柄もあって慣れたものなのか、びしりと高そうな黒スーツに身を包んでいた。
紫紺と横縞のネクタイをきゅっと締め、立て板越しの友にちらっと目を遣る。
「……」
『あのぅ、博士? 今調整する必要ってあるんですか……?』
その一方で、パンドラは香月らによってそのデバイスごとPCに繋がれ、新たなサポート
コンシェル達をインストールされていた。
ふよふよと画面上を漂いながら、パンドラが少々怪訝に小首を傾けている。今日は出動で
も訓練でもないらしい。なら、今急いで調整作業をする必要性はない筈なのだが。
「今は、ね。でもじきに必要になるかもしれない。戦力は多い方がいいでしょ? ……それ
に、本人が知らない内に仕込んでおいた方がいいから……」
だからそう、こなれて素早くキーボードを叩き、画面上の無数のプログラム列が流れてい
くのを瞳に映しながら呟く彼女のしようとしている事に、はたとパンドラは気付いた。
目を見開いて白銀の髪が気持ち逆立つ。カタン。最後に決定キーが押され、彼女の中に在
ったとある回路が開かれた。その意味を知っているからこそ、パンドラは機械の向こう側に
いる香月ら自身の生みの親達に不安な面持ちを隠せない。
『博士……。これは……』
「ええ。“例のロック”を解除したわ。正直気は進まないけど、これからの戦いでは必要に
なる力かもしれない」
香月のキーボードを叩く手が止まった。ヴヴヴと、静かな電子音だけが鳴っている。彼女
以下研究部門の面々が苦渋といった様子の結んだ唇でこちらを見ており、時折ちらちらと、
向こうで黒ジャケットに着替えている睦月や話をしている皆人を窺っていた。
「……本当の本当にどうしようもなくなった時に、あの子に知らせて。アウターと対峙して
いる時、一番近くにいる貴方が、あの子を守って……導いてあげて」
地上に出たメンバーは睦月と皆人、國子、そして香月と研究部門の班長の五人だ。
一行は司令室から出て周りの人気に気付かれぬよう、ややあって迎えに来た黒塗りの高級
車に乗り込んで一路今回の目的地へと向かった。
じきに分かる。
睦月は親友の言葉に押されたまま、半ば流されるように車内にいた。彼や母などは家柄や
仕事柄、もう慣れっこなのかもしれないが、やはりいち庶民である自分にはこの高級車という
時点でどうにも落ち着かない。
辿り着いた先は、飛鳥崎の南西にある、ポートランドを臨むオフィス街だった。そこから
とある大きなビルの裏手に回って車は横付けされ、一行は静かにアスファルトに降りる。
「……。ここって……」
見上げつつ、言葉が少なく。
間違いなかった。三条電機──皆人の一族が経営する大手企業の本社ビルである。
行くぞ? 皆人が先頭に立ち、面々がさっさと、さも周りに勘付かれないように足早に中
へと入っていく。画面内で同じくこのビルの果てを見上げていたパンドラを片手に、睦月は
慌ててその後を追う。
「いやまぁ、皆人の家がそうだってのは知ってるけどさ。……改めて、凄いんだね」
「……別に俺が偉い訳じゃない。グループを興して、ここまで大きくしたのは曾祖父さんと
祖父さん、親父だからな。俺じゃない」
歩きながら、入口の警備員らに敬礼され顔パスで通りながら。
この親友はそう、何度か聞いてきた口癖で以って何でもない風に言った。そしてふと、だ
からこそ司令室の室長の任を受けたのだとも呟いた。睦月は別の意味でふっと苦笑い、静か
に心の中にしまっておいた。
負い目……とでもいうのだろうか。
己がただ既に在った財で裕福であることに対する無力感。
だからこそ、そんな真面目な男だからこそ、自分は彼が大好きなんだと。
「……ここだ。親父達が待ってくれている」
幾つかの警備をパスし、上層直通の専用エレベーターに乗り込み、着いた先のとある扉の
前でようやく皆人は睦月達に振り返った。高価な木材と思しき大きな扉。そこには見間違え
る筈もなく『社長室』の文言が掛かっている。
ごくり……。睦月や、香月らが少なからず緊張していた。それをちらと横目で一瞥し、さ
れど特に慰めの言葉を贈る訳でもなく、皆人は次の瞬間扉をノックする。
「親父、俺だ。皆を連れて来た」
『ああ。予定通りだな。入ってくれ。こちらも全員、スタンバイ完了している』
ドアを開け、睦月ら一行は社長室へと入った。そこには真っ直ぐ正面に、これまた艶出し
が丹念に塗られた高級そうなデスクの上で腕を組んだ、ダンディな顎鬚の男性が座してこち
らを見ている。
──三条皆継。
皆人の父で、この国屈指の総合ITメーカー・三条電機グループの頂点に立つ人物だ。
周りには左右に席を並べた重役と思しき者達、更にはVR技術をふんだんに使った中空の
映像越しから、他にも見知らぬ幾人もの者達がずらりと並んで一斉にこちらに視線を向けて
きている。
「ようこそ。初めまして、だね? 佐原博士のご子息──佐原睦月君。先ずは挨拶といこう
か。私は三条皆継。知っていると思うがここの社長で、皆人の父だ。話はかねがね聞いてい
るよ。息子と親しくしてくれてありがとう」
「あっ、はっ、いえ! ここ、こちらこそお世話になって……! なって、ます……」
緊張するなという方が無理だろう。相手は息子の親友という事もあり、とても穏やかに接
してくれていたが、当の睦月はガチガチになって言葉を詰まらせていた。
香月が心配そうに、ちょっと恥ずかしそうにしている。まぁとにかく掛けてくれと言われた。
皆継と相対して用意されていた黒革のソファに座り、息を呑む。
「ふふ。そう緊張しなくてもいい。寧ろ頭を下げなければならないのはこちらなのだから。
礼を言わせて貰うよ。そして詫びたい。成り行きとはいえ、君を越境種との戦いに巻き込み、
あまつさえ装着者の任を押し付けてしまった」
「い、いえ……」
その言葉通り、皆継はデスクの上からではあるが一度深く頭を下げた。曰く今日は改めて
これまでの経過に対する御礼と謝罪を、直接会ってしたかったのが一つにあるのだそうだ。
皆人達からは聞いていたが、このアウター対策チームの総責任者として。
「予定では第七研究所の冴島君が装着者となる筈だった。しかし肝心の調整は難航し、実際
の運用も危うくなっていた。そんな時に現れた群を抜いた適合者に、私達も藁にも縋る思い
だったのかもしれん」
「……。でも、受けると決めたのは僕です。ご自分を責めないでください。えっと、その。
あの後何度か僕も行ってるんですが、冴島さんの具合はどうですか?」
「ああ。今は少しずつリハビリを始めているそうだよ。今日も向こうに設備を用意させて参
加して貰っている。ほら」
『やあ、睦月君。暫くぶり』
直々に謝罪されたが、睦月はその必要はないと考えた。代わりに皆継に問い、中空のホロ
グラム映像の中から病室より参加している冴島の顔がピックアップされた。入院服でこそあ
れ、包帯などは既に取れている。映像の向こうでフッと優しく手を振ってくれる彼に、睦月
は正直酷く安堵したものだ。
「……さて。そろそろ本題に入ろう」
皆継や皆人曰く、今日ここに集まっているのは全てアウター対策チームに参加している業
界関係者ばかりなのだそうだ。チームリーダーを務める三条電機を始め、国内大よその主要
IT企業の社長や幹部クラスがずらりと今回顔を揃えている。
知らされて、睦月は改めて緊張で身体が強張るのを感じた。それでも何とか受け答えする
事ができた、展開される話を自分なりに噛み砕く事ができたのは、他ならぬ皆継の醸し出す
友好的な──ただ問題の尻拭いをさせる駒ではない、対等な“仲間”として接してくれる気
配りがあってこそだった。
「佐原博士のご子息を、息子の友を巻き込むのは正直心苦しいのだが……改めて、これから
も私達と一緒に戦ってはくれまいか? 今まで以上に、全力で君をサポートする」
「はい。勿論です。僕にしかできない事なら、皆が危ない目に遭うなら、守らなきゃ」
これまで倒してきたアウターの散りざま、召喚主の末路。
それでも、そうした心苦しさを握り払っても、睦月は守りたかった。彼らの為してきた実
害と、母や海沙・宙、友らがもし巻き込まれたらという最悪を想い、言い聞かせるように。
「……ありがとう」
フッと皆継が微笑った。香月や班長らがそっと目を伏せている。
周りの重役達や、映像越しで参加している各社幹部クラス達はこのやり取りに不満──腰
が低過ぎるとでも思って心なし冷ややかだったが、彼はまるで気にしていなかった。一度静
かに息を吐き、気持ちを整え、そして続ける。
「睦月君は“H&D社”を知っているかね?」
「はい。名前くらいは……。外国のおっきなIT企業ですよね?」
「そうだ。正式名称はHappiness and Development Industry──“新時代”黎明期にその原
型が米国で誕生した、今や世界有数のマンモスグループだ。特にVR技術の世界シェアは群
を抜いている。……TAの製造・販売元だと言えば分かり易いかな?」
「──ッ!?」
「これまで私達は、君の協力もあり、幾らかのアウターを討伐してきた。だが奴らについて
調べれば調べるほど、それだけではこの戦いは決して終わらない事は明らかだ。皆人からも
聞いてる通り、人々に改造リアナイザを与えている存在がある。彼らと、その者達が属する
勢力を討たなければアウターは間違いなくこの先も無尽蔵に現れるだろう。睦月君。その時
君はどれだけ戦い、消耗してしまっているだろうか」
「……」
「今日君を呼んだのは他でもない。今回、私達は敵に対して打って出る。本来の流通元を考
えても、H&D社がこの問題を知らない筈はないんだ。だがあそこは相当な秘密主義でね、
グループの巨大さも相まって物証の一つも未だ掴めない。以前私達が連名で質問状を送った
のだが、その半月後、例の第七研究所襲撃があった」
「っ……」
「現状は限りなく黒。しかしこちらは完全に手詰まりだ。そこで君とリアナイザ隊に、今回
あるミッションを遂行して貰いたいと思う」
「僕達に……ですか?」
ごくり。睦月が息を呑んだ。背後左右に立つ國子や香月らも、既に内容は聞き及んでいる
のか、険しい表情を漏らす。
「対アウター装甲の能力を駆使してH&D社に潜入し、彼らがアウター出現に関わっている
証拠を見つけ出して確保して来て欲しい。もし改造リアナイザを作っている現場や、その証
拠を押さえることが出来れば我々の勝ちだ。知らないかもしれないが、彼らの東アジア支社
とその製造工場はこの飛鳥崎のポートランドにある。……もっと早く気付いて、警戒すべき
だったんだがな」
「……」
そう語る皆継の表情は、本当に悔しそうで哀しそうだった。
あからさまに感情を露わにする人ではない──その意味では皆人と同じでやっぱり親子な
んだなと思うと同時、睦月は彼の奥底にある情熱、正義感のようなものを感じた。
力になりたいと思えた。これが所謂、カリスマというものか。
「そもそもこれは不法侵入だし、ほぼ敵陣の真っ只中に飛び込むようなものだから、かなり
の危険を伴う筈だ。勿論私達としても全力でサポートさせて貰うつもりだが、君が賛成して
くれない場合はもっと他の方法を模索する用意がある。……どうだろうか?」
そっと頭を下げてくる皆継。遅れてどうにも渋々という感じのその他大勢。
睦月はすぐには声が出なかった。だがふいっと小さく頷く國子と視線を合わせ、再び彼の
方を向いた。快諾して、ぽんと胸を張る。
「分かりました。その作戦、やりましょう。それで戦いが終わるなら願ってもない事です」
よろしくお願いします──。今度は睦月からも、頭を垂れて懇願した。皆人や國子はじっ
とその横顔を見つめて押し黙り、香月や班長は苦渋といった表情でそっと唇を噛み、或いは
慰め励ましている。
皆継らは、そんな快諾に少々面を食らったらしかった。
予め危険が伴う事を知らされながらも、それでも立ち向かう勇気──或いは蛮勇。山積ば
かりの脅威を掃うには好都合だが、同時にこの少年は何故そこまでという疑問が彼らの少な
からずに湧き起こったのだろう。ただ一人に背負わせるという後ろめたさもあった筈だ。
「……ありがとう。ならば私達も、覚悟を決めさせて貰うよ」
戸惑い、しかし強張る中でも何処か安堵したような皆継の一言。そして幾つかの打ち合わ
せを済ませ、この日はこれで解散となった。
作戦決行は今週末。すぐに潜入しないのかと訊ねたら、皆人にそう何度も学園を抜けるべ
きではないだろう? と言われた。ただでさえこれまでの事件の為に公欠や入院欠席をして
いるのだから、あまり連発すれば自分達の周囲に怪しまれる。それにH&D社の工場はほぼ
年中無休で動いているのだそうだ。決行にかかる準備をするにしても、ならば念には念を入
れておくに、一度心身を休められるに越した事はない。
映像越しの各社幹部クラス達が、次々に回線を切っては消える。皆継や同社の重役達が、
その後もまた一つ二つと、香月や班長と何やら話し込んでいた。
「……もういいの? 母さん」
「ええ。ちょっと技術的な説明をね。準備は前々からしてきたけど、いよいよなのね……」
「香月博士」
ちょうどそんな時だったのだ。会議も一段落し、さて司令室に戻ろうかと睦月達が踵を返
した所で、ふと皆人が香月と、隣で歩く睦月に対し、言ったのである。
「どうです? まだ少し日がありますし、一度自宅に帰られては」




