7-(0) 発端
「起立、礼!」
『ありがとうございました~』
学級委員の号令と共に、皆がのそりと席から立つ。とうに形式的なものとなった挨拶も、
それはそれでこの学園生活の習慣になって久しい。
「は~い。それじゃあ、また明日」
担任の豊川先生が何時ものようにほんわかとした笑みを浮かべ、出席簿を胸元に抱えなが
ら教室を後にしていく。さぁ放課後だ。割とギリギリの所で繋ぎ止められていたクラスメー
ト達の緊張がぷつんと切れ、教室内はにわかに気安く快活とした空気に包まれていった。
「……」
そんな中で、睦月もまたのんびりと、自分の席で鞄の中に持って来た教科書などを詰めて
いる。自身授業が嫌いという訳ではないのだが、それでもやはり、こうして周りが楽しそう
にしているのを眺める方が好きだった。
「ねぇねぇ、更新されてる?」
「されてるけど……まだ目新しい情報は無いっぽいねー」
「うーん。あれ以来出てきてないもんねぇ」
「守護騎士かあ。一体誰なんだろう……?」
「……」
がやがや。そうしている中、教室の一角でデバイスを開いている仲間を囲む、女子グルー
プのやり取りが耳に入ってきた。専らその話題は、先日ネット上で口火を切った、とある謎
のヒーローについてのものである。
(本当、大丈夫なんだろうか……)
突如飛鳥崎を襲った怪物から人々を守るべく、何処からともなく現れた正義のヒーロー。
白いパワードスーツを身に纏い、常人を越える力で怪物と戦ったその人物を、誰が名付けた
のか人々は“守護騎士”と呼ぶようになった。
しかし彼女達は知らない。その正体、対越境種用システムの装着者が自分達のすぐ近くに
いるのだという事を。
明かせる筈もなく。だから睦月は、ここ数日その話題が出ているのを知る度、内心ハラハ
ラしながら息を潜め続けている。
「また現れないかなぁ?」
「そうだねえ。……でもそれって、つまりはまた何か事件が起きるってことじゃない?」
全くもってその通りであります。
睦月は彼女らの視界に映らないように気配を殺しつつ、静かに苦笑していた。一部の人々
にとっては新たな“祭り”の燃料になるのかもしれないが、そもそもアウターが出没しない
に越した事はないのだから。
(……。アウター……)
この前の爆破事件から、数日が経とうとしていた。その間に報道では、犯人と思われる男
性が死亡したと大々的に発表されている。
皆人に確認した所、井道で間違いないらしい。だが詳しい情報を調べる内に、どうやら彼
は少なくとも警察との追跡戦で射殺された──という訳ではないそうだ。表に出ていない情
報だが、何でも彼らが井道を発見した時、既に彼は事切れていた。何者かに殺害されていた
のである。
爆破事件自体は、収まった。だがこれでは何も解決していないようなものではないか。
当局は犯人死亡のまま、この一件に幕引きを図ろうとしている。多くの市民らも報道の後
追加の情報がなければ徐々に忘れていき、街の被害がブルーシートで隠されるのも相まって
当初ほどの批判の声・関心はなくなってきたように思える。
ただ一つ、新たな都市伝説と、井道を殺した第三者──皆人曰く改造リアナイザに関わっ
ている何者かが増え、暗示されただけである。世間の少なからずは自分、立ち上る炎や煙の
中で戦う守護騎士の画像であれやこれやの憶測を並べ立てるが、肝心要な警戒と責任論は上
も下も置き去り……もう終わったのだからと二の次になっている印象だ。
「……」
そっと、静かに己の掌を見る。
皆人曰く初期形だというサーヴァント・アウター三体。スカラベ・アウター、ハウンド・
アウター、そしてボマー・アウター。彼らの電源となっていたそれぞれの人間。
仕方なかった。仕方ないんだ。
奴らはいとも簡単に人を殺してしまう、人の安寧を奪ってしまう。願い。たとえそれが奴
らという、怪物の力に手を出してでも叶えたいものだとしても、自分達はその進撃を許す訳
にはいかない。止めなくちゃいけない。自分は、そうして奴らを殺してきた……。
『──』
ちょうどそんな時だった。何処かに行っていたのか、皆人が何時ものように國子を引き連
れて教室に戻って来た。睦月もふいっと手を止めて顔を上げる。
「おかえり。そっちもこれから?」
「ああ。……天ヶ洲と青野は?」
「宙は部活に行ったよ。海沙はほら、あそこで友達に勉強を教えてる」
「……そうか」
言いながら、彼らはこちらに近付いて来ていた。
机の横にぶら下げてあった鞄を拾い上げ、ささっと同じく荷物を詰め直すと、この親友に
してアウター討伐の同志はそっとすれ違いざまに耳打ちをする。
「睦月。明日の司令室なんだが」
「? うん。稽古だよね、陰山さんと」
「ああ。そうなんだが……今回は中止だ」
え……? 小さな驚きで、睦月は思わずこの友の顔を見た。しかし案の定何時もの通り、
彼の表情は無愛想に近いほど大真面目だ。
何か家の方で予定でも入ったのだろうか? 或いはまたアウターが……?
スッと目を細めて、睦月は次の言葉を待つ。
「代わりに、スーツかそれに替わるような着替えを持って来てくれ」
「……? う、うん……」
だが、待ち構えていた彼からの返答は、存外違っていたもので。
そして鞄を肩に引っ掛けて出て行く皆人と國子の後ろ姿を、睦月は少々虚を突かれたかの
ようにして見送ったのだった。




