59-(3) 海之の感傷
時を前後して、昼の青野家。
先日のデスの一件以来、束の間の帰省を果たしている海之は、それでも名目上は出張とい
うこともあって、久しぶりの実家でも一人部屋でノートPCを叩いていた。
どんな個人的理由を抱えていようが、情勢は動く。国や行政は回り続ける。
必要な通達を見逃さぬよう、いち官僚たる彼は出先でも、適宜チェックとその対応に神経
を尖らせていなければならなかった。
「……」
尤もそれは、何時ものこと。この道を選んだ時から最早日常の一部と化したもの。
険しい表情を貼り付けている彼が密かに腐心していたのは、寧ろ飛鳥崎に着いてからの出
来事だった。妹や妹分、弟分らが件の有志連合のメンバーに何時の間に加わっていた衝撃も
然る事ながら、何よりデスが斃れた後、皆人に投げ掛けられたある言葉がぐるぐると、記憶
の片隅に居座って消えない。
『海之さん』
『付かぬことをお聞きしますが、今回の帰省もとい名目上の出張について、他に把握してい
る人間はいますか?』
あの後周りの皆に配慮して、三条の御曹司は話を有耶無耶にしてしまったが、あれは間違
いなくこちらに“そういった存在”がどれほどいるか? その確認をする為の質問だったと
理解している。睦月達とは違い、彼とは最近までほぼ付き合いもなかったのだ。確証がある
までは、万が一こちらが政治家サイドに情報を漏らしてしまう可能性も考慮したのだろう。
正直癪だが、妥当な判断だ。伊達にあの若さで司令官を任されているだけの事はある。
(しかし、あの怪人の出没に、同僚や上司の関わりが……? 現時点ではまだ仮説の段階と
はいえ……)
機械的に文面をタイプする指先とは別に、脳内の能動的な思考リソースは、ある種の熱を
帯びつつ激しく回る。敵は尚も当局側に潜んでいるのか? 彼らの言う“身体検査”をした
上で、先の共闘文書が交わされたのではないのか?
正直な話、見当がつかない。政治マターとして考えると、可能性のある者・勢力が多過ぎ
て、とてもではないが絞り切れない。こと守護騎士と政府がほぼイコールとなった今なら。
反与党という形で違法リアナイザに手を出しかねない輩は、何もいわゆる下々の人間だけに
限らないのだから。……国の権能を担う一人としては、哀しい限りだが。
「……心配か?」
そんな時だった。独り静かに、誰にともなく嘆息を吐いていた海之だったが、どうやらそ
の一部始終を両親に聞かれていたらしい。コンコンと、扉をノックしてから中へと。定之と
亜里沙がそう、ややフライング気味に顔を出してきた。
「大丈夫? 根詰めてない?」
「大方、睦月君のことだろう? お前も一時首を突っ込んでいたようだが……何かあったか」
そわそわ、どっしり。暫くぶりに帰って来ても、根っこは変わらない二人。
事実上の厄介払いなのだろう。二人も共に、先日から在宅シフトを前倒しされて、今日の
ように家に居がちだ。全く仕事が無くなった訳でもないのだが……気忙しいのだ。
「そう、だな。父さんや母さん達にも、関わりがあるかもしれない」
最初躊躇いこそあったが、海之は半ば促されるままに、せめて両親には話しておこうと思
い直した。万一似た“敵”が睦月を狙った場合、その近親者である香月おばさんや我が家、
輝おじさん・翔子おばさんにも矛先が向けられる可能性がある。
「──えっ? ええっ?! や、やっぱりそうだったの? 人伝に睦月君だけが狙われたっ
て聞いたから、もしかしたらとは思っていたけど……」
「……海之。犯人の目星は? 誰かは判っているのか?」
「ついていたらそもそも、こっちに帰ってなんて来ないさ。余計にあいつを危険に晒しかねな
いからな。逆に可能性のある連中が多過ぎて、下手に触っても面倒事を増やすだけだ」
はあ。今度こそ隠す必要もなくなって、盛大にため息。立場こそ違えど、役人なりの苦悩
という奴は、二人も多かれ少なかれ知っている。ザッとデス後のあれこれ──政治マターで
ある可能性を説明した後、海之は改めて頭を抱えた。ノートPCの作業も、流石に手が付か
なくなって一旦止める。
「……少なくとも、状況的に睦月を敵視する勢力はある。あいつは自分達が公正であること
を願ったんだろうが、その為に冒したリスクは安くはない筈だ。結果的には、オープンにな
ることで政府との共闘話も本格軌道に乗った訳だがな。それでも今後、身バレに伴う弊害は、
俺達や天ヶ洲家も共に避けられない筈──」
正直、文武祭を経ての妹らの身バレを知った時、海之は例えようがないほど辛かった。
何故妹を? こんな怪人どもが? 先日の雑木林で当の睦月にぶつけたような、妹らを巻
き込んだことへの憤りと──それ以上の悔しさ。飛鳥崎と首都という、物理的に離れた距離
があったとはいえ、一番苦しい時に傍に居てやれなかった無力感に当初は随分と苛まれたも
のだ。妹や両親、幼い頃から知っている彼らを守る為につけた権力。今度こそ自分は、間に
合わせることが出来るだろうか?
(……)
今日も今日とて、妹達は出掛けて行った。十中八九、例の“壁”の件だろう。次から次へ
と慌しい。こちらの都合などお構いなしに、怪人どもはまるで蛆が湧くように現れる。
心配で堪らない。あいつらに、妹にもしもの事があったら……。
いっそ、飛鳥崎で仕事をするか? 一瞬本気で考えたが、流石にそれは無理筋だと、海之
はすぐさま内心で激しく頭を振る。




