58-(4) 窺う者たち
裏町の一角に居を構える衣装店『オータムリーフ』の、住居兼二階部分。その畳敷きの窓
際で、由香はぼ~っと独り外の風景を眺めていた。通称・アングラ区と呼ばれる一帯に位置
することも手伝い、辺りはまだ昼間にも拘らず薄暗い。雑多に密集した周囲の建物同士が、
互いに陰を作ってしまっているからだ。だからだろうか、彼女の憂鬱な心持ちは尚の事悪く
なっているようにも見える。
「……」
先日のデス襲撃と、これまでの様々な経験。
おそらくはそれらが色々と重なり過ぎて、再び悲鳴を上げているのだろう。由香は改めて
メンタル──それに伴ってフィジカルにおいても、少なからぬダメージを貰っていた。何よ
りあの場に睦月達を呼び出し、居合わせたにも拘らず、結局碌に戦うことすら出来なかった
自分が腹立たしかった。
(だ、大丈夫かなあ? 七波ちゃん……)
(そう思うんなら、励ましの一つでも掛けてあげなさいよ。大体、あたしまで引っ張り出し
て……。店番どうするのさ?)
そんな彼女の様子を、コソコソと。
店の主人たる崇嗣と妻のシェリーは、階段の終わりがけから身を乗り出すようにして、こ
の黄昏ている同居人の少女を心配そうに覗き込んでいた。崇嗣は下手に接するのを危ぶんで
踏み込めず、片やシェリーはそんな尻込みする夫の背中をバシバシ叩いている。
(わ、分かったよ……。じゃあ声を掛けてみるから、女の子的に拙かったらフォロー頼む)
階下の方が空っぽになる云々というよりも、実際の所はただ背中を押して欲しかったとい
うのが正直な所。
崇嗣は遠慮で縮こまる自分に喝を入れると、シェリーを後ろに控えさせて、和室の中へと
踏み込み始めた。「失礼するよ」サーッと気持ちばかりの襖を開け、独り窓際に持たれ掛か
っている由香へと声を掛ける。
「……やあ。具合はどうだい? もうそろそろ五日になるけれど、学校には行かなくていい
のかい?」
おずっと少し躊躇って、それでも絞り出した第一声。
由香はちらっとこちらを見遣ったが、尚も沈んだ面持ちから回復する事はなかった。直後
シェリーが崇嗣に距離を詰めてきて、バシンッ! と「デリカシー!」と盛大にツッコミを
入れてきた。曰く色々訊くにしたって、順番というものがあるだろうと。今までの経緯が経
緯なのだから、先ず行かない選択肢も“当たり前”のものとして受け止めてやらなきゃ始ま
らないじゃないかと。
「ごめんねえ、由香ちゃん……。でもあたしもタカちゃんも、心配なのよ。家に身を寄せる
のは幾らでも構わないけど、勉強の方はどっちも見てあげられないからねえ……」
「そうだぞ? 仕事絡みのことならまだしも、基本学が無いからなあ。俺達」
スキンヘッドの小太りと、金・黒・紫に色分けされたケバめの髪型と化粧。見てくれこそ
大分刺激の強い夫婦だが、それはそれとして一旦引き受けた──心を許した“仲間”への面
倒見は、筧が信頼を置くほど篤いのだ。実際今日も、二人は彼が二見と共にこちらへ合流し
てくるのを待ちながら、彼女の世話を焼いている。
「……学校と言えば、例の佐原君はどうしてるの? そもそも今回も、あの子が居たから、
新手の電脳生命体が出たって話なんでしょ?」
「はい。昨日今日は知りませんけど、襲撃のあった次の日にはもう休んでました。多分私と
似たような理由だと思います」
「佐原睦月、か……。何を考えてるんだか。文武祭の時も、自分から正体を明かしたんだろ
う? こうなる事は予想できていた筈じゃないか。フェアも糞も無いだろうに……」
訥々と答え出す由香。一方で崇嗣は、彼女を匿う立場だからこそ、ガッツリこちらに肩入
れした上でそう不満げな言葉を紡いでいた。
妻共々、メディアを通してしか見た事がない渦中の人物。
会見では、自分だけ正体を隠し続けるのは宜しくない的なことを言っていたらしいが……
実際問題それは、敵に付け入る隙を与えているだけではないのか? 結果的に周りを巻き込
んでしまうことに変わりがないのなら、未だ“正体不明のヒーロー君”であり続けていた方
がマシだったのでは? そう悪態の一つも吐きたくなる。
「ええ……」
少なくとも、死神風の怪人が学園に出現した。それが今、現在進行形で関係者達を悩ませ
ている事実だ。
襲撃のゴタゴタがあった後、由香はすぐに筧と二見に連絡を入れている。ちょうど彼らは
街の郊外へと聞き込み調査、及びバイトに出ていたため、三人が揃うには時間が掛かってし
まうとのこと。二人も由香の意思──用心の為の学園自主休校を尊重し、それまでの間、崇
嗣とシェリーに諸々のケアを託している。
「それにしても……。額賀君はともかく、兵さんが遠出している時にってのがタイミングが
悪かったなあ。集積都市の外に出ちまうと、途端に交通の便が悪くなっちまうからなあ」
「……由香ちゃん。追い出す訳じゃないけど、一度お家に帰ったら? こっちにも前々から
荷物は置いているにしても、学校に行って帰って来て、そのままでしょう?」
「いえ……。その、あまり気が進まなくて……」
少し言葉を選びつつ、シェリーがそう訊ねてみる。だが対する由香は、これをやんわりと
頑なに拒否していた。曰く、あまり父親と顔を合わせたくない──同じ空間で二人っきりの
時間を過ごすのが苦しいのだという。
以前、チェイス・アウターによる攻撃で半壊した元々の七波家の自宅。
流石に同じ所に住み続けられないと判断した由香達は、当局・行政の仲介で同市内の安ア
パートへと引っ越した。しかし母の死と父・誠明の豹変、求職活動中という現状から、今は
なるべく距離を取りたいという。実際彼には『友達の家に泊まっている』と説明してある。
「まあ、あながち間違っちゃあいないが……」
崇嗣とシェリーは、存外重苦しかったその理由に、思わず説得する二の句を継ぐことが出
来なかった。少なくともそういう表現で、心を許せる相手だと思ってくれている。少なくと
も件の死神風怪人の一件が片付かない限りは、そうホイホイ登校など──学生などやってい
られない。
(……参ったわねえ)
(ああ。仕方ないっちゃあ、仕方ないのかもしれんがなあ)
ヒソヒソと小声で示し合わせ、さりとて何処まで引き受けていいものか迷う。
大切な恩人からの頼みだ。自分達にとっても、半分娘のようなものだ。好きなだけ居てく
れていい。そう前々から言ってあげてはいるものの……。
(──嗚呼、また“お祈り”か……)
ちょうどその頃。当の誠明は、件の安アパートの室内で、続く不採用通知を独り広げると
落胆していた。常になって久しいワイシャツ姿も今ではすっかり草臥れ、加えて自身の顔立
ちにもその影響は現れている。
勝率は未だもってゼロ。街の情勢が不透明というのは、かくも再起への足掻きを阻んでく
るものか。いや、或いはそもそも“あの七波由香”の父親だから──何度目かの脳裏に過ぎ
ったそんなフレーズを思いっ切り頭を振って打ち払い、誠明は何とか気を持ち直した。
どれだけ上手くいかなくても、それだけは絶対に言い訳にしてはならない。ここまで奮起
して来れたのは、他でもない娘の存在があってこそのことだ。
……尤もその当の本人からは、長らく避けられてしまっているが。
友達の家に厄介になっていると聞いているから、落ち着いたら菓子折りの一つでも持って
頭を下げに行かなければな……。ぼんやりと、そんな先の事を考える。
どうしてこんな関係になってしまったのだろう? やはりあの時、妻を悪しざまに言って
しまったからか? だが由香自身も、狂い始めた彼女に散々酷く当たられていた訳だし、事
実もう本人は化け物達に殺されてこの世にいないのだ。自分が……守ってやらなければいけ
ないのだ……。
「よう。相変わらずまどろっこしいやり方を続けてんのな」
「──ッ!?」
自覚の無き邪悪。娘を出しに、妻だった者への嫌悪を正当化し続ける父。
そんな彼の暮らすアパート群を、連日見張っている者がいた。蝕卓七席が一人、エンヴィー
こと勇である。
七波家の仮新居。ここを張っていれば、いずれ七波由香も帰ってくる。そして姿を見せた
その時が、今度こそ奴を始末する絶好のチャンス……。
にも拘らず、狙いの当人は一向に現れない。寧ろ父親から距離を置くように居付かなくな
っている向きすら感じられた。
棟の全体を見渡せる、近くの空き家に野営しながら潜伏していた勇の下に、同じく七席の
一人・グリードが訪ねて来た。如何にも荒くれ、チンピラ風の見た目をした人間態──再会
と開口一番に投げ掛けられてきたそんな言葉に、勇は殆ど同時に懐へと手を伸ばして警戒感
を露わにしていた。フッと、対する当のグリードも、彼の反応は織り込み済みだと言わんば
かりに歩を詰めてくる。
「まあ落ち着けよ。これでも俺は、親切心で来てやったんだぜ? 手ェ貸そうか? 早く済
まさねえと、お前もプライドに会わせる顔が無くなるだろ?」
「……余計な真似をするな。お前には関係ない」
グリードから為されたのは──提案。ただ案の定勇は、あからさまに不機嫌な表情を見せ
てこれを追い払おうとした。お互い元々同じ組織に属していた分、しがらみや暗黙の上下関
係も多い。勇にとっては、プライドに加えてこれ以上引け目を負わされる相手を増やしたく
はなかったのである。
「あるさ。俺にもお前らが戻ってくることに、ちゃんとメリットがある」
ただ……対するグリードの方も、そう簡単には引き下がりはしなかった。引き下がる心算
など無かった。
あくまで表向きは余裕の笑みを。さりとて実際は、彼と共にもう猶予は少ない。
「七波由香があのボロアパートに帰っていなくても、父親の方を人質にすれば引っ張り出せ
るだろ。俺の“掌握”能力さえあれば、それも容易い。母親の方の葬式も、俺がちょちょい
っとあいつに触っといたお陰で済ませられたんだ。お前だって知ってるだろう?」
「……」
勇は暫し黙り込む。言われるでもない。七席全員の能力は、お互い有利も不利も含めて知
り尽くしている。
「ただまあ、知っての通り、この手で“掌握”し続けられるのは精々もって七十二時間──
相手をガッツリ掴んだ上で、それも両手でないといけねえ。今はとっくに効果が切れてる筈
だから、やるにはまた触れ直す必要がある。侵入して離脱して……。今も警備要員がうろつ
いてる。正直一人で済ませるにはリスクが高え。だからいざって時の為にも、お前が時間稼
ぎをしてくれれば助かる」
グッと軽く握って掲げてみせる、グリードの両掌。
能力の発動自体は、ただ触れるだけで十分だ。しかし作戦が長引く可能性、その際の対応
を考えると、宵越しの“駒”を持たない──片手二十四時間の効果では心許ない。より確実
に支配の効力を刷り込み、且つそれを左右の手でやる。五割増しと二倍、それがベストなん
だとグリードは言う。
「……七波由香が来るかは怪しいぞ。少なくとも俺が張り始めて以降、あいつが父親の下に
帰って来た所は見ていない」
「なら、もっと別の“大事な誰か”がいるんだろ? そいつに標的を切り替えればいい。少
なくとも今のお前みたいに、長々と同じ作戦を繰り返しているよりはよっぽど可能性がある
と思うがなあ?」
「っ──」
勇には、彼の狙いが未だ判然とはしなかった。それでも彼に今の自分を哂われ、迷ってい
ると自覚していることを指摘されている、その苛立ちだけは解る。
「大体、七波由香や筧兵悟、額賀二見──第三極とかいう奴らを一網打尽にしようとする拘
り自体、俺には不可解でしょうがねえんだがなあ。一人ずつ確実に殺っちまえばいいものを。
お前相手に個体一体、三分割の力じゃあ及ばねえだろ。実際一度は三人共と戦って、ボコ
ボコに倒してるんじゃねえのか?」
「……ああ。だが止めを刺す寸前で、守護騎士達の邪魔が入った……」
ふ~ん? ギュッと密かに唇を噛んで呟く勇に、振ってきた当のグリード自身は、一見そ
こまで詳細に興味があるようではなかった。ポリポリ。数拍顎に手を遣り、髭跡を一しきり
掻くと、次の瞬間鋭く目を細めた。本題だった。
「なあ、エンヴィー。何時までものんびり高を括っちゃあいられねえんだぜ? お前だって
蝕卓に来た時、シンから聞かされただろう? ここ暫くは海外組の連中も、あの手この手で
守護騎士を落とそうとしてる。奴絡みの周りから、削ぎ落そうとしてる」
「藤城淡雪──。ラストの繰り手も、その一人だ」




