58-(2) 巻き込むな
時は少し遡り、同学園内ゼロ棟。授業合間の休み時間を利用して、恵は担任でもある化学
教師・臼井の呼び出しを受けていた。物まみれで若干手狭の化学準備室で、二人はじっと睨
み合うように座っている。用件は、先の文武祭における襲撃絡みだった。
「百瀬。一応聞いておくが──佐原が守護騎士だってことは、事件の前から知ってたのか?」
「……はい。以前偶然にも知り合って、色々苦労しているというのも聞き及んでいて」
「なるほどね……。だからって、公共の設備を勝手に使うのは拙いだろ……」
どうやら件の対パンデミック戦線の際、他校の放送ブースを分捕る形でスピーチをぶちま
けたことで、その機材の無断使用を含めた“犯人”が自校の生徒であるとバレてしまったら
しい。相手校からの苦情を受け、臼井もこうして呼び出す手間──指導を行わざるを得なく
なったという。
「全く……余計な仕事を増やすなっていつも言ってるだろうが。そんなだから、世間一般の
“ジャーナリスト”のイメージが悪くなるんだぞ?」
あくまで文句を持ち込まれたから。対外的にやってますよのポーズ。
担任教師・臼井は、基本このように気だるげな雰囲気を纏う人間であった。一応恵に注意
こそすれど、口調自体は実に面倒臭そう。姿勢も横のテーブルに片肘を突き、じろっと圧の
ある三白眼で睨み付けてくる。
「分かってますよ。でも、それとジャーナリズムは──」
「関係なくてもあるんだよ。お前の性格と、進路希望を外野が知ればな」
「……いい加減、お前の正義感で周りを巻き込むな。正しいことでも正しくないってパター
ンは、世の中にはごまんとある」
かねてより彼は、受け持つ生徒の一人である恵の性質、そのジャーナリスト的な振る舞い
に苦言を呈してきた。彼女の希望進路が、普段の思想信条通りマスコミ業界であることも知
っている。
だからこそ──彼女自身の背景を知っているからこそ、彼は何とか日頃の突出ぶりを抑え
ておきたかった。巡り巡ってそれは、自分に面倒事が返ってくる要因でもあったし、何より
本人の幸福にも繋がってくる問題だったからだ。
「……」
しかし当の恵はと言えば、全く承服する様子に無い。傍目から見ても明らかにムスッと、
彼の主張する所を“保身”として捉えているようだった。ギュッと両腿の上に乗せていた拳
を握り、反論する。
「それが教師の言うべき台詞ですか。せめて本音は隠してくださいよ。そういう言い方、先
生こそ誰かに聞かれたら面倒の元ですよ?」
「五月蠅えなあ……。理想やら綺麗事で世の中が回るんなら、とっくに良くなってる筈だろ
うが。お前らには悪いが、人間はそこまで合理的な生き物じゃねえ。それこそブン屋っての
は、ヒトのそうした部分を存分に利用してこその商売だろ?」
ほら、週刊誌とか……。
ただ臼井も臼井で、恵からの抗議を、今回もまともには取り合わない。頑なという意味で
はお互い様で、彼女の「違いますっ!」と憤ってみせる反応にすらも、何処か冷めた目で憐
れみのような感情を向けている。
「……確かに無茶をやる経験ってのは、若い内の方がいいんだろうがなあ。だがそれ“一辺
倒”ってだけじゃあ、すぐに行き詰まるぞ?」
「お前の伯父さんも、そこをマズったから──」
「コウシローの話は今、関係ないじゃないですかッ!!」
即ち侮辱。尊敬する人物を哂われたと嗅ぎ取ったのだろう。次の瞬間恵は、これまでにな
かった大きさと怒声で、言いかけた臼井の言葉をカッと叩き伏せた。もうその表情には、冷
静さを装う心算すらもなくなっている。「……あり過ぎなんだけどなあ」ポツリと聞き取れ
るか聞き取り難いか、わざとらしく呟いて、彼は暫く気だるげに首の後ろを掻き始めた。だ
んまりを決め、視線もそのまま恵から逸らして時間ばかりが過ぎる。
「……。ほら」
だがやがてそんな沈黙を解いたのも、他ではない臼井の側だった。
彼は放っておけば、ずっと睨み合いを続けていたかもしれない恵に対して、不意に予め束
にしておいたと思われる冊子の塊を掴むと開口。ドンッと、彼女の目の前に置いて話題を切
り替え出す。
「これは……?」
「資料だ。マスコミ関係以外の、お前の成績と性分を踏まえた上での俺セレクト──暇を見
つけて目を通しておけ。最終的な届出までには、まだギリギリ間に合う」
これには対する恵の方も、普段ぶん投げ合わない類のものだったのだろう。
彼女は思わず暫し無言で目を見開き、そしてその意図を探るように彼の方を見た。怪訝と
困惑。少なくとも信頼ではないが、今回別の目的がそもそもあったのでは? と、確かめる
ように呟きが零れる。
「もしかして、先生……?」
「いいか? くれぐれもゴミ箱行きにするんじゃないぞ? 取り寄せるのも地味に手間が要
ったんだからな。機材の苦情云々は、どうとでも流しておく」
「……」
そうしてたっぷり数拍を待ち、恵は正直不承不承といった様子ながらも、この臼井が用意
した資料の束を手に取った。括ったビニール紐を取っ手に、追加で差し出された紙袋に何度
か手間取りながら詰め、形だけの礼をして退出してゆく。ぐったりと、一人残された当の彼
は、その後ろ姿を見送った後で盛大に嘆息をつきつつ天井を仰ぐ。
(どうしても先生は、私にジャーナリストになって欲しくはないのね……)
廊下にそっと出て来て、恵は思う。彼の思惑やら言い分も何となく解るし、知ってはいる
のだが……それはそれとして自分の夢を、目標を諦める心算はなかった。“現実”とぶつか
る前に諦めていたら、少なくとも叶う可能性はゼロなんだから。
ふう。こちらもやはり、ため息をついて。恵は一人クラス教室へと歩き出す。
小脇には先程の紙袋を抱えていた。もう片方の手で、ごそごそとスカートのポケットを弄
ると、デバイスが動かしていた録音機能をオフにする。




