57-(3) ラースの警告
時を前後して、飛鳥崎東部・清風女学院校舎。
黒斗はこの日も、表向きは淡雪付きの執事として、クラス教室横に併設されている従者用
控室にて待機していた。同じく彼女のクラスメート達の、他のそれら共に、お互い特に言葉
を交わすでもなく授業が終わるのを待っている。
「──っ!?」
だが彼の様子が変わったのは、そんな最中の事だった。ふと独り、黒斗は突然何かに気付
いたかのように目を見開くと、慌てた様子で立ち上がった。「……失礼」周りの面々が黙し
て訝しがってくるのを会釈して振り払うと、彼はそのまま控室を出て行ってしまう。
何か用事でも思い出したのだろう。一応礼節を保った彼を、されど彼・彼女らはそれ以上
詮索することはしなかった。此処は只でさえ国内の令嬢が集まる学び舎。要らぬ干渉でトラ
ブルでも起こせば、即ち不利益を被るのは己が主──その顔に泥を塗ってしまうことにもな
りかねない。故に黙して定位置に留まる。
(黒斗……?)
そんな立ち去ってゆく黒斗の横顔を、当の淡雪が窓ガラス越しに見つけていた。教室内の
自席で、ちょんと小首を傾げたまま暫し視線を遣っている。
「──来ましたか」
黒斗が向かった先は、同学院敷地内にある礼拝堂。その山なりを描いた屋根の上だった。
普段ならおよそ生徒はおろか、関係者も足を踏み入れず登っても来ないであろう場所に、
神父服姿の男が一人立っている。人間態のラースだ。
「どういう心算だ? 用があるなら、召集に応じると言っているだろう?」
領域操作の能力を使い、直接転移して現れた黒斗。その表情は珍しく険しいそれに変化し
ていた。待っていた──わざと気配を撒いていたラースへと苛立ちを見せて近付いてゆき、
開口一番苦情をぶつける。
「何故かは……貴方も既に解っている筈ですがね」
ちゃんと姿を見せたなら結構。そうとでも言わんばかりに、ラースは両手を後ろに回した
まま、スッとこちらを振り返った。互いにある程度の間合いを維持しつつ、そんな言葉を逆
に向けてくる。黒斗も、押し黙ったまま次の言葉を紡がない。
「先日のセントラルヤードでの一件、拝見しました。貴方、結局あの小娘はおろか、筧兵悟
と額賀二見も始末出来ていないではないですか。私からの指令……まさか忘れたとは言わせ
ませんよ?」
用件は即ち、催促。水面下でラースが彼に接触した際、指示した邪魔者の抹殺であった。
当の黒斗は黙っている。更にじっと眉間の皺を深め、或いは返す言葉を慎重に選んでいる
のかもしれない。
「まあ、こちらとしては“どちらが”始末するかは重要ではありませんがね」
「何……?」
「ああ。伝えていませんでしたか。多少経緯は違いますが、エンヴィーも貴方と同じ標的の
始末を命じられているのですよ。ただ如何せん、学園に居る間は人目も多い。向こうも当然、
警戒態勢は敷いてあるのでしょうから、中々確実に仕留めるチャンスが作り難いのは解り
ますがね」
「……」
他愛ない世話話でもするようで、語っている内容は少なくとも、黒斗にとってはあまり悠
長に聞いていられるものではなかった。要するにもたもたしていると、彼に取らなければい
けない筈だった手柄を取られてしまうぞ? と。
「守護騎士が復学したようです。全く、ゴキブリのような生命力ですよ。あれだけ、常人で
はあり得ない能力を連発しておきながら、未だもって力尽きない……。これからも執拗に、
我々の邪魔をしてくるでしょうねえ。まさか自分から、己の正体を明かすとは思いませんで
したが」
加えて面倒は、更に増えていたようだ。守護騎士が──佐原睦月が再び有志連合の戦列に
復帰した。ラースは意外だと言うが、黒斗自身は内心、彼ならやりそうなことだなと思った。
最初の共闘時もそう。明らかに自軍にとってのデメリットの方が大きいというのに、自分
と淡雪の関係性を知った途端に絆された──あまつさえ以降も、こちらが頼んでもいないの
に庇い立てしようとする。
「まあ、それはいいでしょう。どのみち、潰さねばならぬ相手に違いはない」
さて……。ラースが一旦軌道修正を図り、眼鏡のブリッジを弄って顔を上げたのは、ちょ
うどそんな折だった。秋も中頃に差し掛かった穏やかな日差し、その筈なのに、目の前の相
手から漂うのは威圧感だ。レンズに反射して見えない眼が、余分にその底知れぬ“怒り”を
内包させている。
「忠誠を示さなければなりません。私も、貴方も。海外組については……既に話も姿も聞き
及んでいますね?」
「……ああ」
「プライドの失態、中央署撤退の一件以降、彼らと我々の力関係は完全に逆転してしまいま
した。撤退後の事後処理という名目上、仕方なかったという面もあるでしょうが、明らかに
彼らは我々と成り代わろうとしている」
元々、黒斗にとっては淡雪の安全の為に引き受けた七席だが、ラースにとってはもっと大
きな意味を持つのだろう。伊達にシンから、これまで通常時の司令官として作戦の多くを任
されてきた立場ではない。その自負が、今の現状を許せないのだろう。
改めて強く念を押すように、脅すように、彼は黒斗を見据えて言った。
「人間の真似事に興じるのは結構ですが、ゆめゆめ己が存在理由を忘れないことです」
「シンが我々を──切り捨ててしまう前に」




