56-(2) 迷える執事
「場所は……はっきりとは分かりません。でも何処かの屋上です」
「アウターと……。黒斗っていう、執事の人と一緒にいます」
同じく、セントラルヤードを囲む外壁棟の屋上。突如黒斗に転移させられた由香は、おず
おずと向かいの当人への警戒を維持しつつも、通話を切って普段使いのデバイスをしまった。
筧と二見──仲間をみすみす呼ばせた彼の真意が分からない。
『……』
そうしてたっぷり十数拍。二人は黙り込む。
コンクリ敷きの殺風景な床に取り残されるように、大よそ端と端に立って間合いを取って
いる黒斗と由香。
「どうして、わざわざ?」
先に痺れを切らし、口を開いたのは、独り不安に押し潰されそうな由香の方だった。
「その方が私にとっても都合が良いからな。残り二人にも用がある。彼らがこちらに着く前
に済ませる」
言って、この黒スーツの執事風青年・黒斗はスッと一歩二歩前に進み出た。彼女に怖がら
れているのは百も承知で、しかし何処かギリギリの所で“配慮”を忘れずにいようと努めて
いる風にも見える。
「君の、契約しているアウターを渡せ。いや、カードか」
「──!?」
気持ち微かに差し出された手。だが由香は、未だ懐に隠し持っていたその存在に気付かれ
ていたことに驚き、思わず身体を強張らせる。
キュッと懐を、胸元を握ってゆっくりと取り出したのは、黄色い金属のようなカードだっ
た。彼女が黄の獅子騎士に変身する際用いる、筧達と契約を交わした個体の一部だ。だが普
段、共用である専用のリアナイザは筧が管理しているため、今はそれも叶わない。
「……もし素直に渡してくれるなら、私は君に危害を加えない。君を攻撃することは、私の
目的とイコールではないんだ」
当然ながら、黒斗もその辺りの事情・弱点は判っていた。個体本体がカード状に変形して
待機し、必要に応じて真造リアナイザと結合。契約者自身を変身させる──形態としては、
エンヴィーとドラゴンのそれに似ている。ラースが警戒するのも無理はない。
由香も由香で、彼からの申し出に戸惑うばかりだった。盛大にこちらを拉致しておいて、
随分な言い草ではないか。……まさか向こうから仕掛けてくるとは思わなかった。少なくと
もあの時、佐原君は彼を庇い立てしていたというのに。
「何故……今なんですか? よりにもよって、文武祭のこのタイミングで」
「それとこれとは関係ないと思うが。君達だって、散々同胞達を斃してきたじゃないか」
信用ならない。
意図して孤立させられ、それでも由香が従った直感は否だった。問いこそ返しても決して
首を縦には振らず、カードを握り締める。何よりこの男は、筧さんと額賀さんに害為すつも
りでいる。二人と合流し、変身する為にも、どうにか時間を稼がなければならない。
「……」
ゆっくりと歩いて来ながら、黒斗はデジタルの光に包まれてその本性を現した。不気味な
羊頭とローブを纏い、鈴の付いた杖を握っている。同時に由香も、カードを握っていた手を
離した。同じくデジタルの光──こちらは寧ろ雷光に近い奔流を放ちながら、黄色い獅子獣
人のようなアウターを解き放つ。「ヴォオオオーッ!!」彼女を守るべく咆哮を上げる、半
狂化型の個体だ。
一閃。最初、目にも留まらぬ速さで襲い掛かったブリッツは、しかし黒斗ことユートピア
の正確な打撃によって弾かれる。容貌がすっかり様変わりして解り難いことこの上ないが、
対して彼は“交渉”がままならなかったことに苦々しさを感じていたようだった。
「──思い返せば、不可解な点は幾つもあったんだ」
その頃、クルーエル・ブルーと同期した皆人と、同じく合流して率いられた隊士達は、彼
女の反応があった地点へと急行していた。眼下で逃げ惑い、怒号飛び交う会場内を、次々に
建物を伝って跳んでゆく。
「牧野黒斗……。ユートピア・アウターですか?」
「ああ。大体あれだけの強さと能力を持っている個体を、蝕卓が把握していない筈が無い。
ミラージュや中央署の件も然り、十中八九奴らは、街に解き放たれた個体については大よそ
全て管理・掌握していると思われる」
もっと早く気付くべきだった──。さもそう言いたいかのように、同期の向こうの皆人は
密かに唇を噛む。そもそも改造リアナイザ自体、市中に出回らせていたのはその幹部クラス
達だ。一旦は怪しんだH&D社が自社回収を始めているが……はっきり言って信用できない
というのが彼の考えだ。
「そんなあいつが、今になって彼女を狙ったのには必ず理由がある筈だ。おそらくは自身の
召喚主、藤城淡雪絡みだろう。本来“敵”である俺達と、わざわざ一時協定を結んでまで、
付き纏う個体を排除しようとしたぐらいだからな」
「……やっぱり」
宙に浮かぶ思考の体感時間。他の隊士達も、多かれ少なかれ今回の暴走に違和感を覚えて
はいたようだ。肝心の淡雪本人は、海沙や宙を始めとした関係者に避難誘導されていった。
少なくとも今此処で何か危害を加えられる訳ではないだろうが……。
(……睦月の手前もあって、俺自身、あまり深く考えようとしなかったのかもしれないな)
そんな中でも、皆人の推理は重なる。これまでの情報で、蝕卓を構成する幹部達は全部で
七人。それぞれがちょうど大罪を冠した名で呼ばれているという。
だが、これまで自分達が直接遭い、交戦したことがあるのは六人。最後の一席が瀬古勇で
ある以上、空席という訳ではない筈だ。元々既に居て、気付かなかっただけなのだ。
つまり残り一人、逆算してみるに“色欲”は──。
「アガッ!?」
繰り返し繰り返し、雷光のように霞む速さで飛び掛かるも、対する黒斗ことユートピアは
これを全て易々とかわし続けていた。或いは杖で受け流し、返す先で打ち返し、遂に間合い
とテンポを掴んだ上で能力の力場を発生させる。
そこからは一瞬だった。由香がハラハラと見守る中、彼はブリッツよりも速く──まさに
瞬間移動のようにその真上に現れると、杖先を首の裏に突き立てて完全に動きを止めてしま
ったのだった。短く、無理矢理吐き出されるような声をブリッツは上げるも、同時に着地し
た両足でも背中から重心を捉えられ、身動き一つ取ることが出来ない。
「ブリッツ!」
「……ここまでだな。敏捷さだけは、中々のものだったが」
突き立てられた衝撃に喘ぐ間に、黒斗は一旦杖先を持ち上げる。ヒュンと一回転させて両
手に握り直し、このイレギュラーな個体に止めを──。
「貫け! クルーエル・ブルー!」
だがちょうど、その時だったのだ。まるでこの機を待っていたかのように、両者の間に割
り込む形で高速の刃が伸びてきて襲い掛かり、すんでの所で黒斗に杖を止めから防御に使わ
せる。「──ッ!?」黒斗も黒斗で、突如飛び込んできた気配と叫びに反応。そのまま刃を
受け止めてたことで押し返され、ブリッツから退く形となってしまう。
「三条君!」
「……お前か」
牛頭の、窪んだ両眼の奥で赤い光が点滅していた。
伸縮する刃先を巻き戻し、同じく同期状態の隊士達を引き連れ、皆人が辛うじて彼女とブ
リッツの危機に間に合う。




