56-(1) 放言、悪言
飛鳥崎文武祭の会場・同市セントラルヤード。
この所長らく街を覆う、陰鬱な空気をも吹き飛ばそうと試みた年に一度の大イベントは、
はたして文字通り叩き潰されつつあった。会場内に飛び交う怒号と、そんな混乱の一部始終
が撮影され、SNS等の外部に拡散されてゆく地獄。集まり出した批判の声。最早祭典とし
ての機能は失われてしまったと言っていい。
「──おい、一体どうなってんだ!?」
「そこ退けよ! さっさと逃げなきゃヤバいだろうが!」
加えてこの突然の事態、恐怖に逃げ惑う人々と同じく、この理不尽を誰かにぶつけようと
する者達もまた少なくなかった。四方にそれぞれ一ヶ所ずつある正式の出入口、その北側な
いし南側で、彼らと現場の係員らが押し問答をしている。尤も現状は、後者が圧倒的に不利
なようではあったが。
「そ、そう言われましても……」
「申し訳ございません。我々も、まだ全体の状況が把握し終わっていない状況でして……」
「お、落ち着いてください。先ずは、落ち着いて避難を」
「分かってらあ! 今必死にそうしてる所だろうが!」
「私達が聞いてるのは、なのに何で、そうやって通せんぼしてるのかってことよ!」
セントラルヤードの敷地内は、基本的にL字型をした四棟の各種管理棟に囲われる形で区
切られている。建物同士の小接続、僅かな隙間や従業員用の通路を除けば、人が満足に行き
来できるのはこの四方のゲートしかない。にも拘らず、警備を担う係員らは遅々として彼ら
を外側へと通そうとはしなかった。
当然、会場内に居合わせた人々は苛立っていた。直接押し寄せ、詰る彼・彼女らにしてみ
れば、一旦落ち着いて理解する余裕など持ち合わせていなかったからだ。
『怪人達は、西ゲートから敷地内へと到達。あぶれた群れの一部は、そのまま迂回して南北
両ゲートへと流入を始めている模様!』
『総員、会場内の客を東ゲートへ誘導せよ! なるべく奴らから遠くへ、犠牲者を少しでも
抑えるんだ!』
通信用の無線、或いはインカム越しに伝わっていた上からの内容。よもや詰め掛ける彼ら
が皆、そんな情報を把握している筈もなく……。
元々、会場内の人出は例年よりも多めだったのだ。世相が厳しい分、寧ろ解放感を求める
需要が高まっていたのか。
だがそんな人々が、秩序も無く逃げようと殺到すれば、一度の転倒で大事故は必至。加え
てこの大人数が北に南に──今いる場所から一番近いゲートを抜けようと騒げば騒ぐほど、
件のあぶれた化け物達がこちらの意図に勘付く可能性がある。それでは必死に避難誘導を試
みている自分達の立つ瀬がない。
「突っ立ってないで何とか言いなさいよ! そんなのであんた達、プロのつもり!?」
「金返せ!」
「退けっつってんだよ!」
「お偉いさんから何を言われてるか知らんが、俺は逃げるからな!」
しかし、警備要員達の苦悩・躊躇いなどつゆ知らず、詰め掛けた人々の多くは彼らに耳を
貸そうとはしなかった。とにかく自分が真っ先に逃げたい──中には彼らを力ずくで押し退
け、外へ逃れてしまう者も出始める。
「ああっ!? ちょっと待……!」
「お待ちください! 今、怪物達は西から──」
だがちょうど、そんな時だったのだ。慌てて逸脱する人々を止め、もう現場判断でも良い
から方針を伝えようとした最中、ふと周囲の人ごみの中から新たな目撃情報が飛び込んで来
たのだった。
「例の怪人と、守護騎士達が……?」
「ああ。さっき向こうで戦ってるのを見た。西ゲートの方だ」
「マジか! こっちに来てくれてるんだな!?」
「うんうん、私も見たよ。他の人達が多過ぎて、ちらっとしか見えなかったけど……」
「構わねえよ。居るってなら大丈夫だ。だったら“倒してくれる筈”だろう?」
「良かったあ……。じゃあ私達は、逃げればいいだけじゃない」
「おい、聞いたか? ぐずぐずしねえでさっさと開けろ!」
それは現状唯一、この災いに対抗できる存在。
直接的ないし間接的にその報せを聞いた人々は、されど安堵したも束の間、再び自らの保
身の為に怒号を撃ち放つ。
「……」
そうした逃げ惑う人々の流れと無数の声を、恵は放送棟の上階から“視て”いた。各出場
校の展示と、放送部ブース。立ち止まり、周りでふよふよと浮かぶ幾つかの眼。その同じ廊
下では、耕士郎こと人間態のアイズが、そんな避難行動を見せない彼女にはらはらと気を揉
みつつ足踏みしている。
「メ、メグ。もう良いだろう? 皆避難を始めてる。俺達もそろそろ行かないと……」
事実こうしている間にも、棟内からは人気がどんどん失われつつあった。先程から東ゲー
トの方向に逃げてゆく生徒・教諭達と何度もすれ違っているし、当の彼女達からも何をして
いるんだと言わんばかりの視線を投げられまくっている。三条皆人──対策チームにも、事
態に気付いてから自身の能力で、色々と情報を送り終わった後だ。
なのに、アイズから促しを向けられた当の恵は、その場から階下を見下ろしたままで動か
ない。ぶつぶつと、寧ろ何やら憤りすら溜め込んでいるようだった。
「……どいつもこいつも、好き勝手ばかり言って」
上から俯瞰すれば、今の状況が少なからず良く解る。十中八九警備側は、例のアウター達
から最も遠い東ゲートから人々を避難させようとしている。逆に最短、南北両ゲートから逃
げ出せば、他のあぶれて来ている個体らに捕捉される危険性がある。アイズの“眼”で確認
する限りだと、特に北側が危ないようだ。
(無秩序に殺到すれば、動線も絡んで怪我人も多発する筈……)
だというのにだ。当の彼らはめいめいに自分勝手で、我先に逃げようとして。
大抵の人間はまぁ、いざとなればそんなものだと言ってしまえばそうなのだろうが……恵
にとってはそれ以上に許せないことがあった。他ならぬ睦月、守護騎士である。会場内の者
達も、彼らが此処にやって来ている事を大なり小なり聞き及びつつあるようだが、それを理
由に自らが「大丈夫だ」と安易な安心感を抱いている。後の事は彼らに任せておけばいい──
その責任転嫁、無責任さに、彼女はほとほと腹が立っていたのだ。
「……メグ。あんまり興奮しない方がいい。彼らの思考は“普通”だよ。少なくとも彼らに
は、戦う力も心算もない」
「だけどっ!!」
漂う“眼”を回収しながら近寄るアイズ。だがそんな、なるべく気遣うように掛けてくる
彼の言葉に、恵は寧ろ激昂を強めた。あの子の──佐原君のことを、何も知らない癖に。
「!? ちょっ……メグ!」
次の瞬間、恵は駆け出していた。本来逃げるべき方向とは正反対、各校の放送部のブース
が並ぶ一角からまだ空いている、避難の為に荷物を纏めようとしていた一室へと乱入する。
「えっ……? 何……?」「ちょ、ちょっと! いきなり何ですか!?」部員や引率教諭ら
しき面々が驚き、止めようとするのも構わず、そこに在った放送機材へと手を伸ばした。
「悪いわね。ちょっと借りるわよ!」




