55-(3) 父と火の御子
首都集積都市・東京。公安内務省庁舎内、大臣執務室にて。
上等な絨毯や棚、応接用のソファとテーブルの奥で、梅津は一人大量の書類仕事に追われ
ていた。ペンを走らせ、判を押す。政治家になってからというもの、今に始まった事ではな
いが、やはりデスクに長時間張り付くだけというのは性に合わない。
(……ったく。この辺が相変わらず、この国の無駄な所なんだよなあ。何か行動一つ取るに
しても、手間が掛かり過ぎる……)
一旦大きく息を吐いて手を止め、尚もデスクの上に積まれたままの書類達を睥睨。先日自
身が予算委で揺さぶりを掛けたのもあるが、最近は飛鳥崎当局末端への被害も多数報告され
ており、批判もとい突き上げの声は一層激しさを増している。
(守れるモンなら、とっくに守ってるよ。全部責任をこっちに放り投げて、安穏としたがっ
てるのはそっちの方だろうが……)
元々梅津は根っからの現場人間──叩き上げで鳴らした剛腕刑事だった。それがある時、
同じく若き日の“三巨頭”小松雅臣や竹市喜助と出会い、後にこの国における“新時代”を
牽引することとなる。
自らの信念、現場一徹を脇に置いてでも政治家の道を選んだのは、当時“限界”を感じて
いたからだ。どれだけ実績を挙げ、人々から支持されようとも、組織の中では良くて中堅。
思うがままに犯罪と立ち向かうには制約が増え過ぎていた。
仕方ないとはいえ、上に立てば立つほど、煩雑なタスクが増えてゆく。
俺が“直接”手を出せれば。そうしても大丈夫になる為の、権力だった筈なのに……。
「失礼します!」
ちょうどそんな時だった。独り小休止がてらに物思いに耽っていた梅津の下へ、聞き慣れ
た部下の声が響いた。キュッと普段の強面を引き締め直し、ノックからのそれを促す。出入
口の扉を開けて入って来たのは、H&D社調査の為、飛鳥崎市に派遣していた筈の筑紫以下
調査チームの面々だった。
「お前らか……。どうした?」
「はい。中間報告を兼ねてご相談が。先日、予算委で例の“発見器”のことを話されている
のを観ましたので」
信頼のおける部下の一人、筑紫はそうビシッと警官時代のスタイルのまま、他の部下達と
共に梅津に敬礼して答える。少し眉根を寄せた彼に、面々は流れるようにこれまでの状況を
報告してくれた。
「有志連合との共闘話は、進んでいるのですね」
「ああ。で? 調査の具合は如何だ?」
「正直厳しい状況です。最初、リチャードCEOが直々に顔を出してきた時点で拙いとは思
ったのですが、例の会見によって世論の心証をシロにされてしまいましたからね……。先手
を打たれたというか、外堀を埋めてきたといいますか。結局あれから何度も探りを入れては
みましたが、有力な証拠は挙がっていません。既に警戒し、処分されてしまっている可能性
もあるでしょう」
「あそこは昔っから秘密主義だからなあ……。まあ今日び、技術を囲い込むってのは何処の
企業でも珍しいことじゃねえが……」
曰く、目ぼしい収穫は無し。噂通り例のCEOは頭が切れるようだ。中央署の一件の後、
こちらがもっと早く動ければ結果は違ったのかもしれない。野党やマスコミどもの、足の引
っ張り合いを恨む。
「と、なると……。益々連中を引き摺り出す為に、あれが重要になってくるな」
「ええ……。なのでその為にも、私達にも例の“発見器”とやらを見せてはくださいません
か? 実物を把握していれば、今後の捜査にも役立つかもしれません」
「ん。そうだな。ちょっと待っててくれ」
だからこそ、梅津はそう語る筑紫らの求めに応じ、すっくと椅子から立ち上がった。その
ままデスクを離れて斜め右正面の窓際へ。保管先に連絡を取る為だろう。懐からデバイスを
取り出すと、慣れた手付きで番号をコールする。
「ああ、もしもし。俺だ」
「例の装置についてなんだが……」
『──』
即ちそれはちょうど、彼がこちらに背中を向けて立っている状態。筑紫ら部下“だった”
筈の者達は、この絶好のタイミングを見逃す筈もなかった。
密かに光るデジタル記号のノイズに包まれ、ボコボコと人皮の上から明らかな変質を始め
てゆく。或いは肉体に隆起を見せることはなく、鉄仮面と蛇腹の配管を巻き付けた姿へと変
貌を遂げる。
越境種だった。
筑紫ら部下達は、異形の蚊人間及びサーヴァント達となって梅津の背後を襲おうとした。
最早その正体は人間ではなく、原典の彼らと入れ替わった偽者に過ぎない。
「──やっぱりな。余程俺達の動きが邪魔と見える」
『!?』
しかしながら、当の梅津はこの気配に始めから気付いていたのだった。窓際、わざと見せ
た背後から襲い掛かろうとする寸前の彼らを、ぽつりと威圧感のある声色で躊躇わせる。片
頬に押し付けていたデバイス越しに、梅津は叫んだ。
「今だ、やれッ!!」
言って窓際から少し横に飛び退いた、次の瞬間だった。ちょうど直線上、窓際と筑紫達を
捉えた室内左側の壁から、これをぶち抜いて巨大な炎の渦が彼らに襲い掛かったのである。
『ギャアアアアアアア──ッ!!』
浄火一閃。
突然の攻撃に避ける暇も無く、サーヴァント達はあっという間に黒焦げになって蒸発して
いった。一方の筑紫──彼の姿に化けていた蚊人間のアウターも、炎に巻かれたまま窓ガラ
スをぶち破って落下。庁舎ビルの外へと放り出され、地面へと叩き付けられる。
「ぐぅ……ッ!!」
『動くな!』
更にそこには、予めこうなる事が判っていたかのように、完全武装した当局の治安部隊が
待ち構えていたのだった。炎上と落下ダメージに悶えるこの怪人を包囲し、一斉にライフル
の銃口を向けている。
(こ、こいつら。俺がやって来ることを知ってて……??)
蚊人間のアウターはよろりと、顔面から延びる長い口器を揺らしてこれを睥睨していた。
ぶち割った窓、先程までいた上階からは、静かに怒気を孕む梅津がこちらをじっと見下ろし
ている。
『──やりましたね、マスター!』
「ああ。……すみません、梅津さん。そっちの書類までごっそり焼けちゃって……」
「何、構いやしねえよ。紙の百や二百、手続きくらいならまたやり直せばいい。命の方は替
えが利かないんだからな」
「……はい」
そうしてぶち抜かれた室内、執務室左の向こうから出て来たのは、健臣だった。
香月から託されたサポート・コンシェル──アウターを焼く、特殊な炎を操るガネットを
挿れた調律リアナイザを片手に、そうあくまで謙虚な苦笑いを浮かべながら。




