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サハラ・セレクタブル  作者: 長岡壱月
Episode-53.Trinity/第三極と綻ぶ絆
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53-(4) AIの感情

「あ、お帰り~。今下ごしらえしているから、ちょっと待ってね?」

 時を前後して飛鳥崎東部、睦月達と共にマリアの脅威を取り除いたすぐ後。

 黒斗は自身の繰り手ハンドラーが待つ藤城邸へと、一人声を上げるでもなく戻って来ていた。合鍵を

使って中に入り、キッチンに潜ると、ちょうど淡雪が鼻歌交じりに夕食の準備を進めている

所だった。

「……ああ」

 ニコッと花が咲くように、満面の微笑みで振り向き、迎えてくれる彼女。

 何時ものように黒斗は、そう短い返事だけを寄越してリビングに向かおうとした。本来な

らばこうした日々の料理も、使用人達に任せれば済む筈の仕事だった。少なくとも二人だけ

で暮らすには、この屋敷は広過ぎる。

 それもこれも、全ては彼女の両親が幼くして亡くなってしまった事が始まりだった。まだ

小さく、無力な女の子でしかなかった当時の彼女から、親類縁者は容赦なく財産を奪い取っ

ていったという。

 結果残されたのは……この広過ぎる家と、当座の生活資金のみ。

 尤もそれ自体、両親の死によって降りる保険金をギリギリまで受け取れるよう彼女を生か

す為だったようだ。本人には直接伝えていないが、奴らから巻き上げた諸々の証拠からも、

悪巧みを巡らせていたのは間違いない。

(しかしまた、面倒な事になってしまった。これでは淡雪に迷惑を掛けてしまう……)

 肩越しにそんな彼女の後ろ姿、エプロンを着けた上機嫌を一瞥しつつ、黒斗は内心気掛か

りの材料ばかりが増えてゆく。

 言わずもがな、筧達のことだ。確かトリニティ……と名付けられていたか。

 例の衰弱事件を起こしていた個体は始末した。されど、間髪を入れずに同時、またしても

自分達が狙われうる案件が現れては元も子もない。何より戦いを嗅ぎ付けられてしまえば、

最悪“蝕卓ファミリー”にも守護騎士ヴァンガード達との関係がバレかねない。

「ねえ、黒斗~」

 そんなこちらの内情を知ってか知らずか、台所に立つ淡雪は今日もニコニコと穏やかな日

常を過ごしているように見えた。ふいっと黒斗が、自身のパートナーが出掛けてしまうのは

今に始まった事ではないと理解しているらしく、そう努めて語らずに場を後にしようとする

彼の背中へと呼び掛けてくる。

「? 何だ?」

「例の事件の犯人、見つかった?」

 だからこそ次の瞬間、黒斗は不用意にこれに反応したことを後悔した。本当に何の気なし

に彼女に訊かれたものだから、思わず彼は静かに目を見開いて、振り返ってくる彼女の方を

凝視してしまう。

「……どうして?」

衰弱事件こんかいのことは、私も知っているから。この前、越前先生が搬送された事件の後、貴方

が出掛けちゃったんだもの。調べているんじゃないかな~って……」

 至って真面目に、普段からユーモアというものとは無縁な性格である黒斗からそんな驚き

を見せられてしまえば、確定だと言わざるを得ない。淡雪はフッと苦笑いを零しながら、そ

う一旦料理の手を止めてこちらに近付いて来た。その歩みに吸い寄せられるように、黒斗も

この繰り手ハンドラーの下へと、一歩二歩と舞い戻る。

「今回も、貴方と同じ電脳生命体──アウター絡みなんでしょう? 東條さんの時のことが

あるもの。他人事とは思えなくって。事件の裏には、きっと不幸になってしまった誰かがい

る筈だと思うから」

「……安心しろ。その犯人はもう倒された。お前がそいつに何かされるということは、もう

二度とない」

 そっか。間隔をたっぷりと置いてから、淡雪は小さく苦笑わらった。何処か哀しげなその表情

は、きっと自身に火の粉が及ばないと判った安心感よりも、事件そのものでまた一人、不幸

繰り手ハンドラーが目を付けられてしまったという憐れみの感情から来るものだったのだろう。

「今回の人も、無事に立ち直れればいいのだけど……。東條さんだってあれ以来、すっかり

人が変わってしまったから。記憶が無くなったから、なのよね? あんなに皆をぐいぐい引

っ張っていた人が、今じゃあ他人の視線に怯えて学院にさえ来れないんだもの」

「ああ。個体が実体化する前に、リアナイザを破壊されたからな。仮にそうなれば、吸収の

依存症を含めて、全ての反動が繰り手ハンドラー自身に跳ね返る」

「……私達は大丈夫なのよね?」

「心配ない。私のように実体化が──個々の存在として確立された後ならば、リアナイザが

破壊されても影響は出ないからな。大体私の中に取り込むのを、お前だって見ただろう?」

 東條瑠璃子。清風女学院における淡雪の同級生であり、かつてのムスカリ・アウターの召

喚者であった人物だ。今はその個体も事件を聞き付けた守護騎士ヴァンガード──対策チームの面々と成

り行きから共闘した末、撃破・消滅してこの世からは失われている。

 もう何度も話した内容だ。黒斗は少し片眉を吊り上げたが、改めてこの少女の不安を取り

除く為にも言及する。「うん、うん……。そうよね……」胸に手を当て、淡雪は小さく息を

整えていた。かつての旧友の事を思い出し、当時のトラウマじみたものが蘇りかけたのかも

しれない。

「……相変わらず、過ぎるほどのお人好しだな。あの女はお前を陥れようとしたんだぞ? 

今だって、いつお前への嫉妬を思い出して凶暴化するか分かったものじゃあ──」

「そこまで彼女を追い詰めたのは、私にだって責任が無い訳じゃないもの。あんな事になる

までにもっと色々お話しできていれば、もっと違った結末だってあったかもしれない」

「……」

 ふるふると若干遮るように首を振る淡雪。黒斗は思わず口を噤み、そんな彼女の自責の念

を観ていた。必要ならば手刀なり何なりで一旦眠らせ、落ち着かせようとさえ考えた。

「だから私は、東條さんが戻ってくるまで待つわ。過去を一切合切否定していたら、私達は

前になんか進めないもの。良い事も悪い事もどっちも合わせて、未来よ。自分に都合の良い

記憶だけを持とうだなんて、虫が良過ぎるとは思わない?」

「淡雪……」

 ただふいっと湧いてきた思いを吐き出した事で、少しはスッキリしたのだろうか。次の瞬

間には彼女は、またニコッと元の笑顔に戻っていた。一度大きく深呼吸をして、気持ち荒げ

てしまった言動をリセット。そっと胸元に手を当てながら、当時の記憶を振り返る。

「ねえ、黒斗は覚えてる? 貴方と一緒に戦ってくれた、キハラ君とシジマさん。今思えば

あの子が、守護騎士ヴァンガードとその仲間達だったのよね……。今頃どうしてるのかしら? 元気かし

ら? 中央署の一件以来、あまりいい噂は聞かないけれど……」

 彼女としてはまだ“綺麗な思い出”の内に入っているのだろう。ただ一方で黒斗の方は、

内心また妙な方向へと話題が飛んでしまったなと思っていた。

 中央署の一件──プライド達とやり合ったあの戦いか。

 確かにメディアを通じてその存在が明るみに出た後も、彼らはそもそも事件になった片棒

を担いでいたんだとの批判も根強い。何より政府がその実在を認め、共闘を図ると明言して

おきながら、未だにその実現が果たされていないらしいという不満もある。要は秘密主義過

ぎるとの批判だ。結局はあの一件も然り、良いとこ取りだけをしてまた雲隠れするんじゃな

いのか? そういった心証が、少なからぬ市民達の間で燻っているのだろう。

(……外野の声とは、やはりいつだって無責任なものだな)

 少なくとも、自分達の存在が既知となった現在、状況は大きく変わっている。従来のよう

に各個体が好き放題に暴れ回るにはリスクが大きくなり過ぎた。尤もその意味では、実体を

得る為の“影響”を広めるには好都合かもしれないが……。

「黒斗。今回だって貴方は、私の為に犯人を探しに行ってくれていたんでしょう?」

「貴方が強いことは分かってる。でももし、万が一貴方が倒されちゃうようなことがあった

らっ、私は……っ!」

 辟易と追憶。ただそんな一方で、この目の前の繰り手ハンドラーは、そう自分が消滅した時のことを

考えて今にも泣き出しそうになっていた。身長差もあり、こちらが大きく見下ろす格好にな

っていることも手伝い、彼女はじっと両目に涙を浮かべて顔を上げている。

「……」

 そっと胸元に触れる、淡雪の握り拳。

 黒斗は暫く黙り込んだままこれを見ていたが、次の瞬間何を思ったか、衝き動かされるよ

うにこの背中に手を回していた。

 ぽんっと泣き顔をこちらに押し付け、声を抑え込む彼女。自分でもこの“ざわめき”の正

体が何か判らないまま、彼はそっと慰めるように淡雪へと返す。

「大丈夫だ」

「お前を残したままでは……死ねない」

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