6-(2) 手負いのあと
「──おはよう、むー君」
翌朝。海沙はいつものようにお隣の佐原家の前に立っていた。制服姿の、肩甲骨辺りまで
伸びた髪の先を半ば無意識に弄りながら、彼女はインターホン越しにそう呼び掛ける。
『おはよう。開いてるよ。入って』
返ってきた幼馴染の声はいつも通りのように思えた。お邪魔しま~す……。海沙は控え目
な声色で呟くと玄関を開け、靴を脱ぎ、廊下を渡って早速台所へと向かう。
「おはよう、海沙」
そこでは睦月が、既にエプロン姿で三人分の弁当を盛り付けていた。自身と海沙と、そし
て宙の分だ。微笑を返してくる幼馴染の少年。海沙もまた微笑みを返し、鞄を椅子の一つに
置くと早速彼に代わって今日の朝食の用意を始める。
「……」
「? どうしたの?」
「あ、うん……。何だかむー君、疲れてるみたいな気がして……」
それからどれだけお互いに黙々と盛り付けと料理を続けていただろう。
三人分の弁当を袋に詰め終えた頃、睦月はふとじ~っとこちらを見遣っている海沙の視線
に気が付いた。問えばはにかみ、そんな答えが返ってくる。
「……そう、かな? 確かに昨夜はちょっと寝るのが遅くなっちゃったけど……」
はい、出来たよ。しかし睦月は何ともないと言わんばかりに、一瞬声を詰まらせてから彼
女と宙の分の弁当袋を差し出した。
「うーん、それでなのかなぁ? でも何というか……顔色が暗い、というか」
「……」
海沙は受け取る。もう片方の手で朝食のハムエッグの皿を既に焼いてあったトーストの横
にぽんぽんと置いていき、慣れたように親友の分を合わせた弁当袋を鞄の中にそっとしまい
込む。
内心海沙は心配だった。以前宙と膝を詰めて話した時のように、彼が自分達に内緒でまた
無理をしていないかと思ったからだ。
目の前の幼馴染は微笑の人だ。だけどもそれは多分表向きのものであって、本当はもっと
色んな苦しみや痛みを抱えているのだと思う。笑み以外を殺しているような人だと思う。故
にあれ以来、折に触れては自分に言い聞かせて、彼に対し注意深くあろうとしている。
「むー君。もし困った事が相談してね? 私達が出来ることなら何でもするから」
「……。うん。ありがと」
二人で朝食を摂り、戸締りをして家を出て道向かいの宙と合流すると、睦月達三人はいつ
ものように住宅街から河川敷を通り、ゆったりと学園に向かって歩き出した。春爛漫の陽気
も気付けば和らいで退場を始め、目に付く木々は次々と濃い緑色に模様替えを進めている。
「やっぱり同じ犯人なのかなぁ……? 昨日の西國モールの事件」
河川敷の上。睦月と海沙の少し前を歩く宙は、そう鞄を持った両手を首の後ろに回すと、
くるっとこちらを振り返って言った。苦笑が二つ。大抵彼女との世間話は、こうしてその日
その日の巷の噂話である事が多い。
「二日連続だもんね。一昨日は千家谷で、昨日は西國かあ。北からぐるっと、時計とは逆回
り、なのかな?」
「どうだろう……。偶々近場だったからかもしれないし……」
やはりというべきか、既に昨日のボマーとその召喚主の爆破テロは広く市民が知る所にな
っているようだ。怖いね……。親友に話を合わせながら、しかし生来の性格から不安げな海
沙の横顔を見、睦月は改めてあの時討ち取れなかった自身の無力を悔やむ。
「うーん、何が目的なんだろう? やっぱりテロなのかなぁ。この前の西区の殺人とは違っ
て今回はマジモンの爆発だし。ここまで来ると流石のあたしでも引くわぁ」
「あ、ははは……」
噂話のネタにしたって、限度ってものがあるでしょうに。
宙はそう本人的には至極真面目に言ったらしかった。それでも海沙が苦笑するように何処
か単にツッコミのようにしか聞こえないのは、良くも悪くも日頃の行いという事か。
睦月は黙っていた。土と砂利の入り混じった道の上を歩く。
テロなのは間違いないだろう。他ならぬ自分自身があの現場で犯人と──アウターと対峙
したのだから。
だから余計に宙の言う目的が気になった。悪人だから。ただそれだけで持てる力を振るう
ばかりでは、根本的な事が何一つ解決しないような気がして。
「犯行声明みたいなのも出てるとか聞かないしね。もしかしたら警察が知っててまだ公表し
ていないのかもしれないけど」
「それってメリットあるの? っていうか向こうは大々的に目立たせたい訳だから、警察に
送りつけるよりもネットに流すもんじゃないの? そういうのって」
「言われてみれば……。じゃあソラちゃんはそういうの見かけた?」
「うんにゃ。あたしもニュース見た時色々サーフィンしてみたけど、それらしい確定情報は
無かったねえ。便乗したデマの類はちらほらあったけどさぁ。睦月は?」
「……見てない。分からないよ。テロリストの考えなんて」
だからつい、睦月は何処か突き放すような言葉を返してしまっていた。すぐハッとなって
顔を上げると、少々面を食らったかのように目を見開く二人の幼馴染の姿が映っている。
正直、内心少し焦った。
何故が気になる。だけど分からない、判らない。でもあの彼と自分との違い過ぎる価値観
への苛立ちを、彼女達にぶつけるなんてのは間違っている。
「ごめん……」
思わず謝った。声色は沈み、唇を結ぶ。だがそんな彼の反応を、どうやら海沙と宙は義憤
の類として解釈してくれたらしい。
「まぁ、気にしないでよ。実際何処かぶっ飛んでるのは間違いないだろうしねぇ」
「そ、そうだよ。むー君が昨日の事件でそんなにいっぱい悩む事なんてないんだから」
「……そうかもね。でも、この街がきな臭くなったのは事実なのかなぁ」
侘びと誤魔化しを含めて、苦笑う。
睦月はマズったと話題を終わらせようとする気配の宙と、あくまで自分達が無関係である
筈だと慰めてくれる海沙を見遣っていた。
ありがとう。やっぱり二人は、僕にとって大切な存在なんだ。
「ともかく、暫くは無闇に外出しない方がいいだろうね。またいつ何処で爆破されるか分か
らないし……」
「──手酷くやられたな」
記憶は前日、ボマーとの戦いが辛うじて痛み分けに終わった直後に遡る。
現場となった西國モールから離脱し、直後ようやく追いついて来た國子らリアナイザ隊の
面々に肩を貸して貰いながら、睦月は何とか司令室まで帰ってくる事ができていた。慌て心
配してくれていた香月らに迎えられ、早速傷の手当を受けている中でそうカツンと、気持ち
いつもより不機嫌面な──お冠な皆人が目の前に立つ。
「全く、無茶をする。一人で突っ走るからだ。捜査したいのなら先ず俺達に言え。気持ちは
分からんでもないが、お前に何かあったら俺はどう香月博士や天ヶ洲達に詫びればいい?」
お前を失う訳には……いかないんだ。
眉間に皺を寄せたまま親友は言う。はたしてそれは友を慮る気持ちが故だったのか、唯一
の装着者のロストという最悪の事態を指してなのか。それでも睦月は、母らに手足や胴に包
帯を巻かれながら「……ごめん」と、ただ短く謝る事しかできない。
「ともかく、現状を整理しましょう」
そして香月が研究部門の皆を代表して、言った。
責めるのも、落ち込むのも後だ。ともかく自分達はアウターによる災いを食い止めなけれ
ばならない。
「……そうですね。先ずは犯人について。一連の爆破事件は今回のアウターとその召喚主の
男によるものと考えて先ず間違いないでしょう。パンドラの映像ログと、睦月が聞いて来た
一件目でビルの屋上にいたという男の話。先ずはその両方が同一人物かどうかを解析しよう
と思います」
「問題はあのアウターをどう倒すかですね。睦月さんの攻撃がろくに通らない硬い皮膚に、
直撃すれば大ダメージ確定の肉塊爆弾。爆弾を切り離した直後であれば皮膚の下部が露わに
なっているようでしたが、それも任意に再生できるようですし」
「ええ。それに映像を見ていたけど、ライオンちゃんは火のコンシェルでしょ? ああいう
爆発を操るような敵とは相性が悪いと思うのよね……」
「それに睦月に止めを刺そうとしていた直前の、召喚主の言葉が気になります。“この忌々
しい都市と共に滅べ”──。もしかしたら彼は飛鳥崎の人間ではないのかもしれない」
皆人から國子、香月、そして皆人と順繰りにそれぞれの方針と分析が飛び交った。
思わず場の面々の表情が暗くなる。そう聞く限りでは、あの巨漢のアウターには打つ手が
無いように思えてくるからだ。
『とにかく、あの皮を何とかひっぺ返さない事には始まりませんよねぇ』
「……」
パンドラがぼやく。しかしそんな中で、当の睦月はじっと顎に手を当てて何やら考え込ん
でいるようだった。
「睦月。ともかく今は身体を休めろ。犯人については俺達が数日中に調べておく。奴の目的
がテロ行為なら、また同じように現れる筈だ」
皆から漏れる嘆息。
やがてそれらをぐるりと眺めて、皆人は彼らにこの親友に、そう締めるように言うのだった。




