1-(3) 侵食するもの
そして、昼休みになった。
まだ年度・学期が変わって間もない事もあるのだろう。午前中の授業の大半はガイダンス
的なものや軽めにテキストを消化するだけで終わる日が続いている。
尤も、睦月達のクラスでも男子達が数名──プラス某女子生徒Sが早速居眠りでもってそ
の多くを過ごしていたのだが。
「待ってましたー! お弁当!」
何時もの、中等部時代からの定位置。学園の北中庭。
高等部になって少し歩く距離は増えてしまったが、それでも小中高各部のクラス棟に挟ま
れるように位置する此処は、休み時間になると学年を越えて多くの生徒で賑わいをみせる。
東西南北に植えられた四季折々の樹。手入れの行き届いた芝生と植え込み。
睦月たち五人は、その一角に陣取って早速弁当箱を開けている。
「本当、好きだよねぇ……」
「それだけ喜んで貰えるなら僕も作り甲斐があるってもんだよ。はい、どうぞ」
睦月・海沙・宙の三人は睦月お手製の弁当を、皆人と國子はそれぞれ持参の弁当を。
『いただきます!』
箸を握って手を合わせ、これも何時ものご挨拶。
特に宙は元気だ。遊ぶ事と食べる事、その両方が何よりも好きな少女なのである。
「ん~……美味しい~♪」
「そうだねえ。味もさっぱり目で栄養も考えられてるし、むー君さまさまだね」
「はは。ありがとう。照れるな……」
「……天ヶ洲。お前も定食屋の娘なら自分の弁当ぐらい自分で作ったらどうなんだ?」
「あー、それ前にも言ってたけど無理。あたしも作れなくはないんだけどさあ、睦月の方が
断然上手いんだもん。なのに何で自分で作らなきゃいけない訳?」
「それは、そうだが……」
「いいのいいの。あたしは睦月に食べさせて貰うんだから」
果たしてそれでいいのか──? そこまで好評を貰って嫌ではないが、睦月は苦笑いをし
ながらおかずを突いていた。
輝さん、泣いてるぞ。きっと。
気の所為か、そう豪語する宙の横で海沙が何やら顔を赤くして俯いていたようだが……。
「皆っちこそどうなのよ。その豪勢なお弁当、自前って訳じゃないでしょ?」
「ああ。家の家政婦達のものだ。彼女達の仕事を取ってしまうからな。基本的に家じゃあ俺
は台所にすら立たせて貰えん」
「あはは……。女の戦場って奴だね」
「時代錯誤も甚だしいけどねぇ。“旧時代”ならダース単位で文句が飛んでくるよ?」
「……天ヶ洲さん。さっきの発言と真逆ですよ」
とかく、会話の牽引役は宙だ。海沙と國子はその合間合間を繋ぐブレーキ役を務める事が
多く、睦月はそれらを微笑みながら眺めている事が多い。
「あたし過去には拘らない主義だから。んー、でも改めて凄いよねえ。ゴロゴロと高級そう
な食材が入ってるし。流石は天下の三条電機だわ……」
「……俺が偉い訳じゃないさ。財を立てたのは曽祖父さんであって、それを引き継いできた
祖父さんや親父だ。俺は、ただそのお零れで暮らしているに過ぎない」
「皆人……」
嗚呼、またこれだ。
睦月は眉を下げ、静かにため息をつきながら苦笑した。
時折、この親友はこういう旨の返答を口癖のようにする。確かに権威を笠に着る坊ちゃん
よりはマシかもしれないが、そこまで自分を貶める事はないのにと思う。
……だけど、だからこそ自分達は出会ったのかもしれない。
何だか放っておけなかった。知ってしまって、はたと時々自分を見ているようで、何とか
笑顔にさせてやれないかと願った。そうして色々な事があって……今彼とそのお付きの彼女
はこの輪にいる。
相変わらず感情を露わにするような人間ではないけれど、最初の頃に比べればずっと素直
になったと思う。クラスの皆は、分からないと口を揃えるけれど。
(……いいんだ。それで)
平和だ。つくづく睦月はそう思う。
学年こそ変わっていくが、まったりとした時間の流れ。皆の笑顔。
自分はこの空間が大好きだ。大切な人達には是非とも笑っていて欲しいと願う。
まるで“自分が恵まれているかのような錯覚”──埋没し掛かり、はたと気付く。
そこで改めて自分は生きているんだなと思う。また少し……自分は此処に居られる。
「──失礼」
そうして昼飯を摘まみつつ談笑していると、すっくと國子が立ち上がった。手にデバイス
を持っている。電話だろうか。自分達にそう一言言い残すと、彼女は一人校舎側の物陰へと
消えていく。
「……ねぇねぇ。放課後どうする?」
しまった。気まずいと思ったのだろう。
だからこのワンクッションを幸いと、やや強引に空気を変えるようにして、宙はそう新し
く話題を振ってきた。
「わ、私はいつも通り図書室、かな? 委員のお仕事もあるし」
「俺も用事がある」
「え~! そうなの~……?」
「っていうか宙、水泳部の方はいいの?」
「ん~……。別にいいんじゃない? あたしはレギュラーでもないし、単純に繰り上がり組
だから。泳いだり浮かんだりしてるのが好きなだけで、別に大会で入賞云々とか考えてない
しねえ」
あはは。そう言って宙は笑っていた。曰く皆が暇なら遊びに行こうと思っていたらしい。
相変わらず自由な子だ。今更変えてやろうなんてつゆも思わないが。
ただ、地の運動能力や社交性がある分、それを活かさないのは正直勿体無いなとは思う。
「そういう睦月は?」
「ん? ああ。僕もちょっと。今日は、その、今月分の」
「……あー」
「おばさまの所だね」
うん。睦月は頷いた。幼馴染達も毎月の事なのですぐに合点がいく。
今日は母に食料やら何やらを届ける日なのだ。基本、勤め先──研究所に篭りっきりな生
活をしている母には食料や日用品を買いに出掛けるような暇がない。だから月に一度、それ
らを一纏めにして届けに行っているのだ。
郵送すれば済むんじゃ……? 最初の頃こそよくそう言われたものだが、彼が母一人子一
人の母子家庭である事を知った者達の多くは、その問いが野暮だと悟ってくれた。こうでも
して口実を作らないと、ろくに会えないような仕事柄なのだ。
「オッケー、オッケー。行って来なさい。親子水入らずの時間だもんね」
「向こうに着いたら、おばさまに宜しく言ってね?」
「うん。勿論」
「……」
幼馴染二人が呵々と笑い、或いはにっこりと微笑み、送り出してくれる。
睦月も笑み返していた。だがふと、そんな中で隣の親友だけが、何故か神妙な面持でこっ
ち見ている事に気付く。
「……皆人?」
「ん、ああ。……気を付けてな」
「? うん……」
「──そうですか。また出没しましたか。はい、はい……。では落ち着いて、先ずは速やか
に情報収集に当たってください。……ええ。皆人様にもすぐお伝えします」