52-(3) 一蓮托生(きょうどうたい)
あれから四年。見慣れたを通り越して憎々しいほどの病室では、妹がベッドで静かな寝息
を立てている。……どうやら“また”少し、楽になったようだ。とは言え、この状態がいつ
まで続くとも限らない。
(翼……)
男の名は、本間颯。目の前で眠っている元女子大生・翼の実の兄である。
腰掛けた背無し椅子の陰に隠して、彼はとある物を握っていた。独特なフォルムをした短
銃型のツール・リナイザ──その中でも本来市中に出回ってはいけない、違法改造が施され
た品だ。ぎゅっと力が入れられたままの引き金は、現在進行形で異形の怪人・電脳生命体こ
とアウターを実体化させている。そんな彼のじっと黙した横顔は、先程からずっと険しく複
雑なそれを宿し続けていた。
「っ!?」
ちょうどその最中だった。ふと彼の背後、左側面の空間からデジタル記号の羅列が現れ出
し、次の瞬間には女性型と思しき異形が姿を見せた。
聖母。睦月ら対策チームの面々がそう仮に呼び名をつけた、一連の衰弱事件の犯人である。
颯は弾かれるように、椅子から立ち上がっていた。その様子は彼女を出迎えるというより
も、反射的に彼女から妹を守らんとするような動き──警戒の現れのようにも見える。コツ
コツとヒールの音を鳴らしつつ、マリアは鉄仮面ながらも小首を傾げると、軽く肩を竦めて
みせた。心外だと言わんばかりに、この我が繰り手の出迎えにたっぷりの皮肉を返して。
「ソンナニ身構エナイデクダサイ。妹サンノ容態ハ、落チ着イタデショウ?」
「……やっぱりそうか。また街の人達の、生命力を奪って来たんだな? もう止めてくれ!
俺は、俺はこんな心算じゃ……!」
「イイエ。コレガ貴方ノ望ンダ願イデス。妹サンノ病ヲ治ス。ソレガ契約内容デス。私ヲ伝
ッテ、生体エネルギーハチャント彼女ニ供給サレテイルデショウ? コレカラモ私ハ、貴方
ノ願イヲ梃子ニ、コノ世界デノ実体ヲ形作ルノデス」
違う! 頭を抱えて、颯は必死に叫んだ。否定しようとした。
だが実際問題、その右手には尚も改造リアナイザが握られて続けている。引き金がひかれ
続けている。離れないのだ。妹が抱える事情と共に、彼自身も徐々にまた、この禁制の品が
引き起こす依存症状に蝕まれつつあったのである。
「……貴方ニ拒否権ハ無イト思イマスヨ? 私ヲ放棄スレバ、彼女ハマタ弱ッテユク一方デ
ショウ。ソウナレバ、イズレ力尽キテシマウ」
「分かってる……分かってるけど!」
「アマリ騒ガレナイヨウニ。妹サンガ目ヲ覚マシテシマイマスヨ? マァ私ガ調整シテオリ
マスカラ、問題アリマセンケドモ」
故に彼は、その言葉にハッとなる。要するに妹に集めてきた生命力を注いでいるのはこい
つなのだから、そこに何か細工を出来てもおかしくはないという話か? こちらの態度次第
ではずっと、生きてはいても目覚められないといった状態を維持することさえ出来てしまう
とでも言うのか?
いや、それ以上に──物理的にこの化け物と別れてしまう事が恐ろしかった。本当はいけ
ないのだと解っていても、妹を救う為なら何でもやってやるとあの時は息巻いていた。どの
みち“正攻法”では、自分の稼ぎでは治療代もままならないのだから、それこそ奇跡でも起
こらなければ妹は治らないんだと言い聞かせた。
……なのに、今となっては後悔している。実際問題、こいつを手放せば妹の容態は一気に
悪化すると判っているし、何より他人の命を奪って移し替えるだなんて聞いていなかった。
確かに契約とやらの際、妹を治す“手段”については言及しなかったとは思うが……。い
やまさか、そんなこと……。
「中央署ノ件以前ナライザ知ラズ、解ッテイタトハ思ウノデスガネ……。貴方ガ私ヲ手ニ取
ッタ時点デ、私達は“運命共同体”ナノデスヨ。貴方ハ彼女ノ病気ヲ治ス。私ハソレニ便乗
シテ実体化ヲ進メル。オ互イ、メリットガアルトイウノニ」
尤も対するマリアの方は、あくまで自分達がWin-Winの関係だと主張する。その意
味でも“契約”であり、彼も事前に“合理的”な判断の下に選択をした筈だと。
とはいえ、それはあくまで方便だ。彼女ら越境種にとって、人間はあくまで自らが実体を
手に入れる為の踏み台でしかない。
中にはそんな人間達と、目的完遂後も友好関係を維持する個体もいるようだが……。少な
くとも自分には理解し難い学習効果だ。より多くの他者を、より広範な方面に影響を及ぼせ
る契約であればあるほど、獲得のプロセスは能率的且つ迅速になる。
「……ソレハソウト、貴方達ニハスグ転院ヲ勧メマス。ドウヤラ守護騎士達ニ、貴方ガタ兄
妹ノ存在ガ知ラレマシタ」
「えっ」
頭を抱えていた颯は、だからこそ次の瞬間、別の意味で慌てふためくことになる。
彼女ら電脳生命体と戦う秘密の戦士・守護騎士。中央署の一件が明るみになって以来、そ
の存在と詳細は彼のような一般市民にも広く知れ渡っている。
「ちょ、ちょっと待てよ! それってつまり、お前を倒しに来るってことか? いや、お前
を呼び出している、このリアナイザを狙って……?」
ああああああああ!? 益々颯は混乱していた。どちらにせよ、彼らが自分達に狙いを定
めたということは、妹に注がれている生命力が途絶えかねないということだ。もしそうなっ
てしまえば、自分がこいつと対立する前に、翼が……。
「どどっ、どうするんだ!? 俺は一体、どうすればいい!? こ、このままじゃ妹が!
翼の、翼の命がっ!」
まるでスイッチが入ったかのように、激しい動揺を見せ始める颯。
こちらからの報告に、面白いほど目に見えて錯乱し出す己の繰り手。
「大丈夫デスヨ。ソコデ私ニ……一ツ考エがアリマス」
かくしてマリアは言った。この愚かで使い甲斐のある人間に、そう不気味なまでに丁寧な
物腰で寄り添い、答えるのだった。




