52-(2) 境界線(ボーダーライン)
『お久しぶりです、黒斗さん』
『助かったよ。ありがとう。街の東部という事で、もしかしたらとは思っていたけど……』
再会は一旦そうして、この女性型のアウターを撃退もとい逃してしまった直後。
とりあえず交戦が止んだらしいと見た後、変身を解いた睦月と冴島は黒斗の下へと近付い
て行った。良くも悪くも既知の間柄となってしまった彼らに、人間態──黒スーツ姿の青年
に戻ったユートピアこと黒斗は、静かにジト目を寄越す。
『……どうやらお前達とは、妙な縁があるらしいな。かと言って邪魔して貰っては困る。奴
に逃げられた損失は大きいぞ? ここに来ているという事は、例の衰弱事件を嗅ぎ回ってい
たのだろう?』
たっぷりと押し黙ってからの、第一声。彼がこちらに向けて放った一言は、少なくとも再
会を喜ぶような友好的な態度とは言い難かった。相変わらずと言えば相変わらずだが、睦月
達の気を許した笑みに対しても、あくまで遠巻きに示すのは先ほどの女性型アウターを逃し
てしまった責だ。
『そういうあんただって』
『……そうだな。お前もわざわざ動いているという事は、やはり藤城淡雪か』
襲撃され、昏倒した被害者男性は、先刻合流した國子以下仲間達とその部下らによって搬
送された。睦月のデバイスの中からはパンドラが、インカム越しの通信からは皆人が、それ
ぞれこの召喚主の“不殺”を掲げる奇妙な個体に対して質問を返す。
『……こちらの事情にまで首を突っ込んで来るか。まぁいいだろう』
曰く、件の衰弱事件に関し、彼の方も清風女学院──淡雪が通うお嬢様学校でも関係者の
中に被害者が出たらしい。幸いまだ当の淡雪自身に実害が出た訳ではないが、このまま放置
していればいずれ狙われないとも限らない。だからこそ、彼女に内緒でまたその元凶の排除
に動いていたそうなのだが……。
『テニス部の顧問、か』
『さっきの人も多分、格好からして走り込みしてたっぽいしねえ。運動好きな人が狙われて
るのかな?』
仁や宙、同じく場に集まり話を聞いていた面々もそう暫し思案顔をする。少なくとも当初
に比べて情報は集まった筈だが、まだどれも断片的な事実でしかない。今回の事件の全体像
を把握し、対策を講じるには、もっと核心的な部分にまで迫る必要があるだろう。
『もしそうなら、彼女が狙われる可能性は低くなるが……。だからと言って今回の一件から
手を引く心算はないんだろう?』
『当然だ』
『だ、だったら! この前みたいに、また一緒に戦いませんか? 貴方の力があれば、今度
こそあいつを倒す事が出来ると思うんです!』
『うんうん。それがいいよ。牧野さんの話は以前から聞いています。淡雪先輩を守る為に、
むー君達と一時手を組んだんですよね?』
しかし再会の勢いのまま、ここぞと言わんばかりに再び共闘を持ち掛けた睦月ないし海沙
の言葉に、対する黒斗の返答はにべもないものだった。司令室の向こうの皆人や國子もそう
だったが、てっきり“敵”ではないとばかり思い込んでいた両者の間に降りた空気に、場の
一同は緊迫感を強いられる。
『断る。そちら側のリーダーも同じ考えだろうが、あれはあくまでも例外だ。それに今回は
あの時と状況が違う』
『状況……?』
『理由は二つある。一つは淡雪にまだ実害が出ていないこと。もう一つは彼女自身、この事
件について聞き及んでしまっていることだ。何よりこの点が大きい。もし私が首を突っ込ん
でいることが彼女にばれ、尚且つお前達と再び共闘していることが知れれば、芋づる式にお
前達の正体もばれることになるだろう。東條瑠璃子の一件でお前達の使っていた偽名、それ
とお前達が裏で手を回し、電脳生命体達と戦っていること──今回の犯人を倒すことは容易
かもしれんが、万が一のリスクは大きい。お互いにな。それなら無駄に慣れ合わず、早々に
奴を潰す為に時間を使うべきではないのか?』
だろう? シジマ君、キハラ君──?
その声色から、あの時名乗った名前が偽物であるとはとうにバレているようだ。中央署の
一件も何かしらで観ていただろうから、無理もなかろう。『それは……』睦月は冴島と互い
に顔を見合わせ、次いで國子や仁、海沙・宙以下仲間達の方を見た。司令室の皆人らも敢え
て口を噤み、難しい表情をして成り行きを見守っている。それでも睦月が彼を引き入れよう
とするなら、すぐにでも止める心算だった。
『……無理強いはできないね。戦力としては、非常にありがたいんだが』
『解っているならさっさと帰るんだな。先ほどの戦闘で、もう奴の攻略法辺りは目星がつい
ているんだろう?』
じゃあな。言って黒斗は一人踵を返し、睦月達の前から立ち去り始めた。
ふいっと人気の無くなった物寂しい並木道。しかしながらその間際、視界から遠くなって
ゆく直前に、彼は思い出したように肩越しから言い残す。
『……尤も、淡雪の安全を確保する為ならば、協力自体は惜しまん。精々あの個体の繰り手
を探すことだ。奴の実体化も弱みも全て、そこに在る──』
故に時は進んで現在。件のアウターに逃げられて数日後、睦月以下対策チームの仲間達は
司令室に集められていた。この手のパターン、召集はもう幾度となく経験してきたから大よ
そ想像はついていたが……やはり毎度他人の“事情”といったものを垣間見ることになるの
は心苦しい。
「それぞれ連絡を受けたとは思うが、例の女型アウターとその召喚主の身元が判明した。そ
の上で、今度こそ奴を仕留めて事件を終わらせる」
正面のディスプレイ群を背に、面々に話し始める皆人。先の戦い、三班及び海沙・宙によ
る交戦と隊士らによる内偵の結果、当日改造リアナイザが作動した地点と吸い取られていっ
たエネルギー達の向かった先が割り出せたのだという。
「本間颯、三十五歳。市内東部在住のエンジニアだ。仕事の為に飛鳥崎へ移って来たため、
両親はいない。郊外だ。ただ、代わりにと言っては何だが……歳の離れた妹と暫く二人で暮
らしていたらしい」
「妹?」
ちょこんと小首を傾げた、睦月とパンドラ、ないし海沙。
皆人は一瞬、僅かに表情を曇らせたように見えたが、すぐに平時の冷淡さを取り戻して続
ける。
「本間翼。現在二十四歳の元女子大生だ。今回の一件は、大よそこの人物に原因を見ること
ができるだろう。四年ほど前、在学中に彼女は難病に侵された。倒れた所を搬送され、その
後入院生活が続いているが……今も回復の兆しは見られない。大学も中退せざるを得ず、病
の進行で身体が弱り、出歩く事もできない状態だ」
『……』
いや、気のせいではなかったのだ。睦月達は互いに顔を見合わせ、そして再び彼の真っ直
ぐ見据えてくる眼差しに応えた。一旦そこで言葉を切った意味。最初に召喚主としてその兄
の名を出したという事は、つまり……。
「改造リアナイザに手を出した動機は、妹の病気を治す為……?」
「そう考えれば全ての辻褄が合う。事実これまで被害に遭っているのは、全てスポーツなど
を嗜む“健康的”な人間だからな」
睦月達は多かれ少なかれ絶句した。つまりあの女性型のアウターは、ただ単に人を襲って
いた訳ではなく、他人の生命力をその病に苦しむ妹に与えていたのではないか? という事
だ。弱る一方の身体を回復・維持させる為に、何人もの人間の“生きる力”を吸い取って回
らせている……。
「──何てこった」
「じゃあもし、あたし達が奴を倒しちゃったら、その妹さんは死んじゃうってこと?」
「どうするの? そんなの……戦えないよ」
「差し詰め“聖女”のアウターと言った所かな」
「ですが、アウターはアウターです。止めなければ、今以上の被害が出るのは間違いないで
しょう」
仲間達は大いに戸惑っていたが、それでもやはり倒すべきだとの意見は出た。もし召喚主
本人と接触し、説得に応じてくれれば被害の拡大は止める事は出来るかもしれないが……そ
もそもの動機である、妹・翼の病臥は変わらない。
「み、皆人。対策チームの力で何とか出来ないかな? 医療分野の企業さんに、妹さんを保
護して貰えば──」
「可能かもしれない。だが俺は勧めない。何故ならそれは“特別扱い”になるからだ」
「えっ……?」
睦月とて、そんな動揺は同じだった。寧ろただ“敵”を倒してお終いだというものではな
いと痛感してきた人物だからこそ、何とかして彼女を救いたかった。縋るようにしてこの親
友、司令官たる御曹司に頼もうとするが、当の皆人から発せられた見解は否定的だった。
「考えてもみろ。お前だって解っている筈だ。確かにそれで本間颯自身の“戦う理由”は解
消できるだろう。だが改造リアナイザに手を出し、他人の命を奪った事実は消えない。奴の
犯した罪を、他でもない俺達対策チームが正当化してしまうんだぞ? 良かれと思った救い
の手が、奴の誤った手段に加担するんだ」
『……』
珍しく、友が滾々と説明しているように思える。じっとこちらを、まるで自身も煮え滾っ
ているであろう感情を押し殺し、相対する親友に改めて諭しているような。
睦月は勿論、仁や海沙、宙、他の仲間達も思わず言葉を失って聞き入っていた。唖然とし
てその場に立ち尽くしていた。香月や萬波、冴島、周りの職員達もめいめいに心底沈痛な面
持ちで沈黙を守っている。他に救いは無いのかともがいている。
「お前の言いたいことは解っている。だがな、睦月。一々内情に踏み込んで助けるという事
は、裏を返せば“助けなかった”者や“助けられなかった”者を作るという事でもある。彼
らとお前が手を差し伸べた者、その違いは何だ? 全てを救うなんて、俺達のリソース的に
も無理なんだよ。救えなかった誰かを、実例を、お前は今まで幾つも見てきただろう?」
敢えて在った者と無かった者、二つに分けて論じようとする皆人。そこにはおそらく、今
までそうして取りこぼしてしまった──二見やミラージュ、由良や筧、ないし由香といった
面々の姿が年頭にあるのだろうと思われた。睦月も思わず俯き加減になり、ギリッと唇を強
く結んでいる。
「でも……! でも、僕は……っ!」
「聞け! 何もいきなり本間翼を保護すればいいってものじゃない。戦いを避けられるのな
ら、もっと段階を踏んで例のアウターを無力化する手段もあり得るという事だ。……先ずは
戦いに集中しろ。裏の根回しや工作は、俺達が気を揉むべき仕事だ」
「……」
以上。さもそう言わんばかりに、皆人は最後被せるように叫んで釘を刺した。コクッと睦
月はややあって静かに頷いたが、明らかに納得はしていないだろう。「三条……」「そ、そ
こまで言わなくても……」仁や海沙、他の仲間達も、流石にどっちつかずの態度でいる訳に
もいかず、この非情な応答に対して口籠る。




