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サハラ・セレクタブル  作者: 長岡壱月
Episode-51.Brothers/其の始まり、此の始まり
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51-(5) 黒斗、動く

 清風女学院にて再び“異変”が起きたのは、淡雪と黒斗がその日の朝、何時も通りに登校

しようとしていたまさにその最中だった。

 校門を潜る前、敷地内の向こうで何やら人ごみが出来ている。二人が思わずふいっと立ち

止まり、静かに目を凝らしていると、やがて教職員と思しき何名かの声が耳に届いた。

「そこっ! 立ち止まるな!」

「早く自分の教室に入りなさい!」

 そして彼らの声色は総じて、明らかな苛立ちを含んでいる。隠し切れずに生徒達を追い払

っている様子が、遠巻きからも確認することができた。

「……どうしたのかしら?」

「分かりません。ただ、何かしらのトラブルが起きたのは間違いないようですね」

 学院敷地内、正門へと続く石畳。淡雪と黒斗は小首を傾げ、微かに怪訝な表情を浮かべた

ものの、自分達までも彼らに咎められるのは避けようと思った。周囲の他の生徒達の流れに

混ざりながら、同時に見知った顔を探して、それとなく情報を集めようと試みる。


『──あら? お姉さまってば、ご存じない?』

『──今朝早く、越前先生が緊急搬送されたそうですわ。ほら、テニス部の顧問の』


 そうして何人かに訊いてみるに曰く、学院の教諭の一人である越前が、グラウンド内に併

設されているテニスコートの一角で倒れていたらしい。

 朝方の時間帯ということもあって、おそらくは朝練の準備をしていたのだろう。事実第一

発見者は、これに参加すべくやって来た所属生達だったそうだ。朝早くから起きたこの事件

に、学院側は大わらわ。淡雪ら他の生徒達を帰す時間も足りず、とにかく職員総出で“いつ

も通り”のスケジュールに皆を落とし込もうとしているとのこと。


『──ええ、間違いありません。これはきっと例の“衰弱事件”のに違いありませんわ』


 加えて妙だったのは、発見された越前教諭がガリガリに痩せ細っていたらしいこと。

 記憶が正しければ、寧ろ彼は体格に恵まれた、根っからのスポーツマンの筈だが……。


『──いえいえ。ただの噂話じゃないですよ~。少し前から、この手の事件は幾つか起きて

いるとうちの執事も』

『──大丈夫だとは思いますが、お姉さまも十分お気を付けてくださいね? 以前の入院も

ありましたし、もしもの事があれば、わたくし達は……』


 とはいえ、多くの後輩・同級生達は、基本立て続けだという一連の事件を何処か対岸の火

事として見ている節がある。

 此処が巷とは距離を隔てた環境、世俗とはまた違った社会だというのも当然あるものの、

淡雪は違った。傍らの黒斗も多くは語らないが、例の如く不愛想な顰めっ面で彼女らの話に

耳を傾けていた。

 以前の入院──ムスカリのアウター、及び東條瑠璃子との騒動。

 まさかとは思った。流石に詳しい話は判らなかったが、こんな奇妙な出来事を起こせる心

当たりは一つしかない。

「でも……」

 自分を慕ってくれる後輩達から一通り話を聞いた後、淡雪は戸惑う。

 何故なら先日、中央署の一件を経て、疑惑を向けられたH&D社のCEO・リチャードが

自ら来日してまで記者会見を開いたからだ。件の怪物、黒斗の同胞達も、今後自主回収が進

むリアナイザの流通が途絶えることで消えてゆくだろう。

 ただ、当の黒斗は──淡雪がかつて自ら召喚したその内の一体は、まるで逆の見解を述べ

るに留まる。

「そうでもありません。既に流通してしまっている、或いは進化済みの個体の仕業なら、自

主回収云々とは関係ないでしょう。それにまだ、彼らの犯行と決まった訳じゃない」

「……それは、そうだけど……」

 正門を通り過ぎて昇降口へ。あちこちで自分達生徒を見張っている教職員らの圧に急かさ

れながらも、二人は気持ちヒソヒソと言葉を交わし合っていた。周りの人間の目がある故、

黒斗の言葉遣いも基本的に“外向けしつじモード”である。

「お嬢様。今は静観しましょう。私達がそこまで関わる必要など、無い筈です」

 敢えて強い口調でそう言い含めたのは、彼自身、これ以上淡雪に要らぬ心配を掛けたくな

かったからだ。執事として、繰り手ハンドラーとして、余計な負荷を彼女に強いるべきではない。努め

て冷静に、出来る限りトラブルとは距離を置きたいと考えた。

(……とはいえ、犯人は間違いなく何処ぞの個体だろう。面倒な事になった……)

 そもそも黒斗は、自分が“蝕卓ファミリー”の一員であることを淡雪に知らせてすらいない。知られ

る訳にはいなかった。彼女のことだ。もし自分が七席の一人だと判れば、きっとそれを止め

ようとするだろう。理由が他でもない、己の身の保証だとなれば。

(売人はグリードとグラトニーか? それとも別の……?)

 中央署における戦い、プライド達の敗走以降、組織内にも少なからず変化が訪れていた。

自分達七席とは別の、シンに近しい“海外組”の面々が先日召集されていた。普段はH&D

社本体を押さえている者達である。詳しくは自分も知らないが、その中にはCEOリチャー

ドも含まれていると聞く。

 表向きは事件によって露呈した、こちら側の事後処理の為だが──目下拙いのは、その大

義名分によって、自分達七席の立場が彼らと逆転しつつあるということだ。プライドの敗走

と召集を受けたことを笠に、新たな任、個体の選出等にも関わり始めているからだ。これで

は自分が、シンからの勧誘を渋々呑んだ意味すら薄れかねない。無くなりかねない。

 事実他の七席達とも、彼らはじわじわと不和を生じさせ始めている。元よりそれでも構わ

ないと、当初から上から目線を崩さないのも大きな原因だろうと思っている。何よりシン自

身、それらを解っていて放置している節さえあるのだ。

 ……敢えて端から、自分達と彼らを“競わせて”いる?

 確かに彼の“目的”が目的だけに、そんな思考プロセスも理解できなくはないが……。

「だけど正直、心苦しいわね。ただでさえ中央署の一件の後も、色々と事件が続いているで

しょう? 早く落ち着いて欲しいものだわ。皆の心が、どんどんささくれ立ってゆくもの。

東條さんも、あれからすっかり人が変わったように大人しくなってしまったし……」

「……。そうですね」

 それでも尚、主たる淡雪の心境は複雑であるようだった。かつて他ならぬ自分自身に害意

が向けられても尚、心配するのは他人の事。相変わらず自分の存在価値を、誰かを助ける事

に見出そうとしている。高潔且つ危うい。

 黒斗は小さな返事を寄越すしかなかった。曖昧な肯定に留めるしかなかった。

 はたして実際問題、他人事でいられるのだろうか? 事実こうして学院の職員にさえ被害

が及ぶようになってしまった今、放っておけば彼女にも──?

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