51-(4) 彼女の変質
「──駄目に決まっているだろう? 周りの状況と心証を考えろ」
時を前後し、学園保健室。
豊川先生は旧友でもある光村を訪ね、密かに由香を文武祭のクラス出店に参加させようと
していた。
尤も結果は……見ての通りである。
「ええーっ、何で!? 七波さんにとっても、絶好の復帰機会なのよ? 彼女だってクラス
の一員には違いないんだから!」
「……親身になるのは美徳だけどね。っていうか、あんた私の話聞いてた? どう考えたっ
て他の子達が気まずくなるでしょうが。あの子の場合はただでさえ、他のケースとは経緯が
違うんだからね?」
どうやらクラスのホームルームでは、出し物に“喫茶店”をやろうという結論になったよ
うだ。同じ飲食系でも、ただの屋台ではつまらないと考えたらしい。
(まあ、気持ちは分からなくもないんだけどね……)
とにかく、今はまだ拙い──如何せん情に絆され易いこの友人兼同僚に、光村は念を押し
て言い含めた。クラスの面々や周囲の関係者達の中に在る、先の襲撃騒ぎや拉致事件の記憶
と悪感情。そのほとぼりが冷めるまで待つべきだと。
「でも……」
「でも、じゃない。長い目で見ればその方が、あの子の為にもなると思わないか?」
結局最後の最後まで彼女は渋っていたが……光村は敢えてピシャリと封じ込める。流石に
職業柄、独断で文武祭本番に引っ張ってくるような真似はしないだろうが、万一下手を打た
れれば困るのは対策チームだ。これ以上、事態を悪化させる訳にはいかない。
(それに……)
加えて光村自身、先日から妙に引っ掛かっていることがあった。七波沙也香の拉致・殺害
事件の後、いや、正確には一度リアナイザ隊から逃げた後、筧兵悟経由で自宅に戻って来て
からの当人の変化だ。
一見すれば以前と、さほど大きな変化があるようには見えない。寧ろ母親を失ったことで
激しく憔悴したっておかしくはない筈なのに、実際は妙に保健室での自学自習に熱心だった。
まるで逆張りのように己を鼓舞している節さえあった。
だからこそ、そんな彼女の気丈を、光村は素直には喜べない。自身の経験が告げている。
直感が警戒するよう口煩くなっている。
逃走から帰還までの間に、間違いなく“何か”があった──。
「大丈夫です」
「私、参加します」
だがちょうどそんな時だったのだ。豊川と光村、二人が話していた保健室に、突如として
当の由香本人がドアを開けて入って来たのだった。「七波さん!?」驚いて振り返る旧友と
同じく、光村も思わず目を見開いていた。手には真新しい学園の指定鞄を提げている。
と、いうことは……。
「あ……貴女。帰った筈じゃあ……?」
「はい。でも途中で豊川先生が、こっちに歩いてゆくのが見えたから……」
面持ちを気持ちくしゃりと。光村は内心、自らの詰めの甘さを悔いた。
しまった。油断した。どうやら扉の向こうで聞き耳を立てていたと見える。気配を探るの
もそうだが、少なくとも本人に聞かせるべき話じゃなかった……。
「私も参加します。いつまでも、逃げたままじゃあいられないから」
「七波ちゃん……」
「……」
はたしてそれは、決意表明。
当の由香から発せられたその一言に、二人は大いに衝撃を受けていたものの、次の瞬間に
みせた反応は実に対照的だった。豊川先生はぶわっ! と、にわかに涙を零して勢いよくこ
れに抱き付き、一方で光村は眉間に皺を寄せたまま、その場に立ち尽くしている。
「偉い! 偉いよ、七波ちゃん! よく言ってくれた! 一緒に頑張ろうねっ?」
よーしよーし。よしよし。さも愛犬を可愛がるかのように繰り返し撫で回し、ポンポンと
軽く彼女の背中を擦ってあげる豊川。対する由香も「……はい」と小さな声ではあったもの
の、確かにそう答えていた。物理的にも精神的にもやや距離を置いたままで、光村はただじ
っとそんな二人の様子を見つめていた。
(……一体全体、どういう風の吹き回し?)
予想外も予想外な返事。ある種の覚悟と言うべき類。
光村は正直戸惑っていた。同時に、それまで彼女に対して抱いていた密かな訝しみを、よ
り一層強くせざるを得なかった。




