50-(5) 仁の誤算
散々飲んで、食べて笑って。
宴会もお開きになり、仁は『ばーりとぅ堂』を後にしていた。旧電脳研メンバーの隊士達
とも一人また一人と道中で別れ、淡い月明かりの下、独り帰宅の途に就く。
「……ふぅ」
暴動状態で被ったダメージ回復の為、佐原が出張れないこの数日の間、自分達は陰山隊と
交替しつつ海沙さん(と天ヶ洲)を守ってきた。なるべく近くに居ようとしてきた。
とはいえ、二十四時間ずっとは流石に二人のご両親に怪しまれるし、何より秘密──アウ
ターどもと戦っているのが、他でもない自分達だと知られる訳にはいかない。
先ずは攻めさせないことだ。俺達が居ると警戒されることだ。
キャンサーもとい八代は、また海沙さんを狙ってくるかもしれない。あの時は散々迷惑を
掛けてしまったが……今は違う。奴が再び現れた事、その執念を知り、隊の皆も全面的に協
力してくれている。今度こそ、守ってみせる……。
(八代……)
一方で仁は思っていた。当の本人は死んだらしいというのに、何故自分達は尚も奴の陰に
怯えなければならないのか?
あいつを一人排除したから? いや、そもそも切欠は本人の自業自得な訳で。海沙さんの
ファンとして、許されぬ事をやらかしたのだから。
確かに結果、あの事件を境に、自分達は彼女と“お近付き”になれたものの……。
「──よう」
「!?」
ちょうど、そんな時だったのだ。どうにも釈然としない、未だ自分の中で割り切れない思
いが残っている事に苦しみながら歩く仁の行く手に、スッと八代──人間態のキャンサーが
姿を見せたのだ。
思わず足を止めて、身体を強張らせる。懐の調律リアナイザに手を掛ける。
何で奴が此処に? いや、俺達を狙っているのは分かっていたが、何故海沙さんではなく
こっちに……?
「待ってたぜ。てめぇが一人になるこの時をよお」
だがその内心で渦巻いた疑問は、他でもないキャンサー自身が答えてくれた。暗くギラつ
いた憎悪の眼差しでこちらを睨み付け、彼は人気のない夜の住宅街に咆える。
「何で……」
「何で? はっ! そうかよそうかよ。やっぱりてめぇはいけ好かねえ野郎なんだな……。
煩ぇんだよ、頭の中でガンガン響いて煩ぇんだよ! こいつの──原典の八代直也は俺にと
っちゃ、あくまで進化する為の“餌”でしかなかったんだ。なのに今もしつこく、お前が憎
い、お前が憎いって呟いてきやがる……!!」
そう吐き捨てながら、人間態の髪を掻き毟るキャンサー。仁はそこでようやく、自分が大
変な思い違いをしていたことに気付かされたのだった。
確かに奴の召喚主は八代だが、奴は八代自身ではない。今までが割とそういうケースが多
かったため、すっかりその前提で考えてしまっていたが……召喚主の意志や思考を、彼らが
丸々受け継ぐとは限らないのだ。
つまり奴が自分達の前に現れたのは、自分達を狙うようになった理由は──自身の抹殺。
海沙さんではなく、他ならぬ。
召喚主が元々願っていたであろう海沙を手に入れるという欲望は、実体化を果たしたキャ
ンサー自身によって、かつて彼を阻んだ自分達への恨みとして変貌していたのである。
「てめぇさえ始末すれば、俺は本当の意味で自由になれる!! 自由になれるんだ!!」
「……くっ!」
デジタル記号の光に包まれ、本来の怪人態となるキャンサー。
大きく跳躍してくる彼に対し、仁も自身の調律リアナイザからグレートデュークを召喚す
ると、臨戦態勢を取る。
初撃はデュークに引っ張って貰いながら大きく横に跳び、相手の“潜行”を回避した。し
かしそれでも状況は一切改善していない。寧ろこれから──どうすれば奴の猛攻、向けられ
る剥き出しの殺意を止めることが出来るのか?
とにかく何につけても……場所が悪過ぎる。住宅と住宅に挟まれた通り道、家屋や塀とい
った遮蔽物だらけの此処一帯では、奴の“潜る”能力は最大限に活かされてしまう。
四方八方、足元を含めたあちこちから浮上して来るように強襲をし、すぐに壁の中へと隠
れてしまうキャンサーに、仁とデュークはまたしても苦戦を強いられた。「ちぃッ……!」
堅い防御で何とか致命傷だけは防ぎながらも、反撃すらままならぬ二人には逃げの一手しか
なかった。
とにかく場所を移さなければならない。
少しでも、少しでも海沙さんや、皆のいる場所から遠くへ……。
「はあっ、はあっ、はあッ!!」
そうして仁が逃れたのは、住宅街を少し抜けた先にある公園だった。時間帯もあって、ぽ
つんと遊具が点在している他は人影はない。敷地もそこそこに広く、先程に比べれば自身を
囲む遮蔽物も大きく減っている。
「よしっ、ここなら……! デューク!!」
するとどうだろう。仁は肩で息をする暇も惜しみ、自身のコンシェルに足元の地面を攻撃
させたのだった。ガガンッと突撃槍の穂先が円を描くように土埃を舞い上げ、辺りの視界を
曇らせる。
更にその直後、仁はデュークを鉄白馬形態に変えて跳躍──自身もろとも大きく空中へと
飛び出した。
「……よし。これで何処から襲って来ても、すぐに判る……」
先日の初戦の後、皆人からレクチャーされた対抗策だった。防御に厚い分、機動力に劣る
デュークが再びキャンサーに襲われた際、少しでも反撃の体勢を整えられるようにと予め備
えてあったのだ。
如何せん間に合わせの、付け焼刃の策ではあるが……なるほどと仁は思う。
これなら奴の飛び出してくる位置も、土煙の変化で逸早く察知することが出来るし、何よ
り遮蔽物のない空中に跳べばこちらへの動線も限られる。
『なるほどな。俺対策か』
『だが俺も、同じように考えてはいたんだぜ? お前を……確実に殺る為になあ!』
何ッ!? だが仁の取った行動は、結果として自らの首を絞める行為になってしまった。
土煙の中から如何来る? そう眼下にばかり注意を向けていた仁は、肝心のキャンサーが今
何処に潜んでいるかを見落としていたのだ。
「──捕まえた」
「?! くっ、お前、デュークの中に……!!」
鉄白馬の巨体、チャリオットの表面から、キャンサーはにゅるりと現れた。仁は思わず戦
慄しながら振り向く。盲点だった。こいつ……俺が煙幕を張った瞬間に、デュークの身体ン
中に“潜って”逃れやがった!!
先読みされていた。空中について来られてちゃあ、逆にこっちが逃げ場がない……。
「落っこちても俺は“潜れば”何とでもなる。だがお前は違うだろう? このまま地面にぶ
ち当たって、挽肉になって死ねぇぇぇぇーッ!!」
「畜……生ォォォォォォォーッ!!」
動きはさながら、ジャーマンスープレックスの如く。
キャンサーはチャリオットの巨体から浮上して来るや否や、背後から仁の身体に両腕を回
すと、そのまま地上に向けて飛び降りた。高度と頭を下にされた状態。加速度もついて衝撃
は相当のものとなるだろう。彼の言葉通り地面へと叩き付けられて、このままでは確実に殺
される。
仁は叫んでいた。悔しさに絶叫していた。
相手は怪人、こちらは生身の人間。腕力でも適う筈がない。急いでデュークを戻そうとす
るが、間に合わない。そもそも飛行能力がある訳でもない相棒に、どう自分をキャッチさせ
ようというのか? 寧ろ堅固さが災いし、どのみち勢いを殺せずに死ぬんではなかろうか?
(海沙さん、皆……。佐原、三条、陰山……。親父、お袋、姉貴……ごめん……)
どんどん増してゆく風圧と、近付く自らの死。
最期が迫るその瞬間、仁はいよいよ覚悟を決めていた。大切な人と仲間達、いつしか疎遠
になってしまった家族の姿が脳裏に浮かび、心の中で詫びの言葉が紡がれ──。
『……??』
しかしその死は訪れなかったのだ。ぶつかる! 肌感覚でそう思った刹那、彼の身体はふ
わっと何者かの力に包まれて“浮いて”いたのだった。彼を羽交い締めにして叩き付けよう
としていたキャンサーも、戸惑ったように辺りを見渡している。
『──』
睦月だった。
二人の前に現れたのは、見覚えのある紫のパワードスーツ。大剣を肩に担いでこちらに片
掌をかざしつつ立っている、睦月ことドラグーンフォームの姿だったのである。




