49-(7) 黒き圧倒
「……何だあ、ありゃあ?」
風圧が一しきり捌け切った後、キャンサーは慌てて地中から顔を出し、睦月を見つめた。
変身しようとする瞬間こそ目にはしたが、その姿形は聞き及んでいたものとは随分違う。
「紫色の、守護騎士?」
「もしかしてあれって……」
『ええ。紫の強化換装・ドラグーンフォーム──制圧力に特化した形態よ』
海沙や宙、場に居合わせた仲間達も、自身のインカム越しにそう確認する。送られてくる
映像を見つめながら、司令室の香月は言った。ただその横顔には不安そうに我が子を案じる、
哀しみの気色が宿っている。
「おいおいおい……。見たことねぇぞ、あんなの。……潮時か。大江以外にも戦力が増えち
まえば、こちらも色々とやり難くなる……」
一方でキャンサーはと言えば、地面から上半身だけを抜き、そうぶつぶつと呟いていた。
それまで仁を散々に打ちのめしていた優勢が崩れかけたと見るや否や、一旦逃走を図ろうと
したのだ。ざぷっと泥を跳ねて半身を返し、地表を泳いで加速し始める。
「あっ!? あんにゃろッ……!!」
「──」
しかしドラグーンフォームに身を包んだ睦月は、この動きを見逃さなかった。仁達が敵の
遁走に気付いて声を上げるのとほぼ同時、彼は気持ち俯き加減のままサッと掌をかざす。
「んぎゃッ?!」
するとどうだろう。滑るように地面を掻いていたキャンサーが、突如としてその場で動か
なくなった。クロールの体勢のまま、まるで張り付けられたかのように短く汚い悲鳴を上げ
て、ミシミシッと次第にその硬直具合が激しくなってゆく。
「な……何?」
「急に動かなく、なったけど……」
「いえ。よく見てください。奴の辺り一面が──歪んでいます」
突如起こった出来事に、海沙や宙、仲間達が困惑する。そんな中でも國子は逸早く、この
正体に気付いていた。静かに目を凝らして睦月の後ろ姿を指差し、彼の掌から先の空間が、
いつの間にか黒い歪みをもって軋んでいるさまを示す。
『……香月博士』
『ええ。これがドラグーンフォームの特殊能力、重力操作よ。クロコダイル・コンシェルの
持つ力を最大限に引き出し、敵を一網打尽にするの』
司令室の皆人達も、睦月の新たな力の正体に気付いたようだ。相変わらずじっと画面の向
こうを見つめたまま、当の香月は尚も複雑な表情を浮かべていたが。
「ガッ……アアア……ッ!?!? か、身体が、動かな──」
必死にもがくものの、キャンサーはその場から微動だに出来ない。
すると次の瞬間、今度は彼の身体が急に地面から飛び出した。睦月が掌をくるりと上に向
け、重力の強度が反転したのだ。
押し潰して自由を奪うだけではなく、宙に浮かせて狙い易い位置に持ってゆく──大剣を
引っ下げた睦月が、獣のような叫び声を放ちながら、自身もその操作能力を利用して一気に
距離を詰め跳躍。キャンサーに怒涛の連撃を叩き込む。
「ヴォオオオオオオオッ、オオオオオオオオッ!!」
「アギャッ、ハギャッ!? グギャアアアアアアーッ!!」
(……ね、ねえ、ソラちゃん。何だかむー君の様子、おかしくない?)
(う、うん。あたしもそれは思ってた。いつもの睦月じゃないみたい。普段あいつが戦って
る時って、あそこまで乱暴なやり方じゃないもんね……?)
だがそうした、一転して睦月の一方的な攻勢に、彼の幼馴染である二人は不穏な気配を感
じ取っていた。どうにもいつもの彼ではないと、恐れすら感じて戸惑っている。
確かにあの形態、紫の強化換装の力を駆使すれば、キャンサーの機動力を封鎖する事も可
能だろうが……。
「オオオオッ!!」
「グギャハァッ?!」
はたしてその間も睦月の、ドラグーンフォームの攻撃は続いていた。遂には大剣の殴打が
キャンサーを大きく後方へと吹き飛ばし、その全身を覆っていた硬い甲羅も、激しくひび割
れて砕け散る。
そんな様子に終始圧倒されながら、それでも仁は小さなガッツポーズを取っていた。
「よしっ! いいぞ、佐原! これで十分に時間は稼げた。後は海沙さん達を、安全な所ま
で離脱させて──」
正直を言うと悔しいが、自分だけでは奴には敵わない。
でもあいつなら、あの力があれば、今この状況から逃れる事が出来る。
しかし緊急事態は、ちょうどそんな直後に起こったのだ。「ささ、海沙さん。天ヶ洲も」
仁や同じく國子が彼女らを、現状足手まといにしかならない自分達生身の人間を退場させよ
うとした次の瞬間、紫のパワードスーツ姿の睦月がスッとこちらを見遣ったのである。
最初はキャンサーの隙を作ったぞ、とでも言わんばかりの一瞥かと思ったが……直後彼は
掌をかざすと、今度は仁以下仲間達を、その重力圧の下に叩き伏せたのだ。
「がっ……?!」
「む、睦月──ぐべっ!」
「どっ、どうして? むー君……」
「わ、私達は味方……ですよ? 一体何の、心算で……??」
司令室側の面々も、この突然の事態に慌てふためき始めた。思わず通信用のヘッドフォン
を外し、或いは唖然として目の前のディスプレイ群を見上げる。言葉を失うように目を見開
き、皆人がすっくと立ち上がっていた。確かめるように視線を向けた先の香月は、蒼褪めた
ように歯を震わせて呟いている。
『香月君……』
『……香月博士。これは……』
『ええ、間違いないわ。やはり起こってしまった……。伝えるべきじゃなかったのよ』
『ドラグーンフォームの暴走。今あの強化換装は、睦月自身にも制御し切れていない──』
オォォォォッ!! 今度は重力圧で動けない仲間達の下へと、パワードスーツ姿の睦月は
走り出す。先ほどタコ殴りにしていたキャンサーを差し置き、大剣を引っ下げて迫るそのさ
まは、およそ正気とは思えなかった。『マスター! しっかりしてください、マスター!』
EXリアナイザの中から、パンドラも必死に呼び掛けているが、双眸部分に光を失った今の
睦月には届いていないようだった。
ぐらりと、仲間達の身体が中空に浮かび始める。生身で重力波を受けたダメージから、皆
すぐには反応出来ないらしかった。ことデュークや朧丸、自身のコンシェルも動かしていた
仁と國子は、特にその傾向が強い。
『馬鹿野郎! 目を覚ませ! 睦月、止まれッ!!』
『睦月、止まって! お願い、止まってぇ!!』
『守護騎士のシステムを停止させろ! 今すぐにだ!』
皆人や萬波、香月に職員達。司令室の仲間らも必死になって叫び、これを止めようとする。
弾かれたように職員達が制御卓へと齧り付き、操作を始めるも……間に合わない。外部・
遠隔操作からの制御では、どうしてもパンドラのそれには劣るのだ。
『マスター、マスター! 駄目ですっ! お願いですから止まって!!』
「ぐぅっ」「あっ……」
『やっ──』
『止めろぉぉぉぉぉぉーッ!!』
我を失い、暴走を始めた睦月の強化換装。
彼の振り上げた大剣が、次の瞬間、身動きの取れない仁達へと吸い込まれ──。




