49-(5) 大江リフレイン
否応なく記憶に残る人影を追い、仁は七波家のある住宅街から少し離れた、とある雑木林
の中へと足を踏み入れていた。多少月明かりはあれど、時間帯もあって辺りは暗く見通しが
悪い。必然的に慎重にならざるを得ないながらも、彼は枯れ草や枝を鳴らしつつ叫ぶ。
「おい、何処だ!?」
「いるんだろう……? 八代!」
すると相手は、思いの外あっさりと自ら姿を現した。仁と同じ年頃、ひょろ長で陰湿な雰
囲気を纏った少年だ。
「──」
ニヤリと哂い、一本の樹の物陰から。
仁がかつて代表を務めていた旧電脳研のメンバー、八代直也。同研究会こと海沙のファン
クラブの中でも熱心な会員だったが、ある時改造リアナイザに手を出して彼女を襲い、自ら
の欲望を満たそうとした人物である。当時アウターや対策チームの存在を知らなかったもの
の、仁は睦月らと共に彼の召喚したカメレオンを撃破。本人も警察の厄介になった果てに、
学園を去って行った筈なのだが……。
「よう、久しぶりだな。随分と楽しくやってるみたいじゃねえか」
あの頃よりも若干やつれたような。しかしこちらに向けてきた第一声は、記憶に残ってい
た以上に気安いもの。
ただ……当の仁は警戒を解く事はない。その声色の中に満ちる剣呑さや憎しみ、油断なら
ぬ悪意を全身で嗅ぎ取っていたからだ。そんな煽ってくるかつての同胞に、彼は数拍黙り込
んでから問い返す。
「……誰かのお陰さんで、色々あってな」
「へへっ、そうかい。その割には随分と気が立ってるじゃねーの。つれないねえ……。お互
い久しぶりの再会だっていうのに」
「そりゃあ警戒もするさ。暫くぶりに会った昔のダチが、“ガワだけ同じの化け物”になっ
てるんだからよ」
故に、その言葉を聞いた瞬間、八代の貼り付けたような笑みが消えた。対する仁はじっと
これを睨み付けたまま、そっと自身の懐に手を伸ばす。
「正体を現せ。俺達にその手の騙しは通用しねえよ」
調律リアナイザだ。相対した時点で、仁は彼が本来の八代ではないと見破っていたのだ。
自身のコンシェル・グレートデュークが先ほどから、目の前の相手を敵だと感知。繰り返し
繰り返し警戒の旨を報せてくれている。
「……そっか。もうちっと、お前の驚く顔を見たかったんだがな……」
するとどうだろう。八代こと彼の人間態を模したアウターは、次の瞬間デジタル記号の光
に包まれながら本来の姿に変身した。全身を覆う硬い甲羅と両腕の大鋏──蟹型のアウター
だった。但しその色合いは一般にイメージされる鮮やかな赤ではなく、毒々しい青黒に染め
上げられている。
「奴を……八代を一体、何処にやった!?」
「俺が一人で此処にいる……それが何よりの証拠だと思うがな?」
てめぇッ!! はたして開戦の合図は、そんな最後の問答と怒れる叫びで。
八代こと蟹型のアウターが両手の鋏を持ち上げると同時、仁は自身の調律リアナイザから
デュークを召喚した。白い甲冑に身を包んだ騎士が、大盾と槍を引っ下げて突撃──先制の
一発を叩き込もうとする。
「ほいっと」
「なっ……?!」
しかし対するキャンサーは、これを想定済みと言わんばかりに回避してみせたのだった。
デューク渾身の一突きは虚しく空間を掠め、勢い余って数歩鎧を鳴らす。
そして肝心の相手の身体は──“地面へと溶けるように潜った”姿になって。
「な、何だ……?」
「はははっ、驚いただろう? これが俺の能力さ! 地面だろうが壁だろうが、どんな場所
でも自在に“泳ぐ”事が出来る! その辺の雑魚と一緒にするなよ? 俺は選ばれた個体な
んだ。より強力で優れた姿に生まれ変わったんだ!」
ヒャッハーッ!! 言って、キャンサーもといD・キャンサーは、再び勢いをつけて跳躍。
着水する弾丸のように仁とデュークの背後へと潜り直し、右に左にと波紋を描きながら高
速移動を始めた。調律リアナイザを握った仁も、この相棒と共にその動きを必死に目で追い
ながら、ぐるぐると思考を巡らせる。
「生まれ変わる……“合成”アウターか!」
「おう。やっぱ知ってるんだな。以前これの、スロースの研究所を一つお前らが潰したって
話は本当らしいな」
そうして地面に映る波紋さえ消えるほど深く潜り、直後飛び出しながら襲ってくる。仁は
ぶっ掛けられる泥は勿論、すんでの所で迫る大鋏を辛うじて避けながら大きくよろめいた。
先刻までの余裕はすっかり失せ、その表情は引き攣る。調律リアナイザを片手に、デューク
を急ぎ自分の傍へと戻し始めた。
「──っ!」
拙い……。完全に相手の力を甘く見ていた。奴は八代本人じゃないのに。ただでさえ厄介
な“合成”済みの個体だっていうのに。
何が何でも相性が悪過ぎる。地面を泳げる能力だ? 間合いも何もあったモンじゃねえ。
ベースが水棲生物だからか、とんでもなく動きが速い。俺のデュークじゃあ、とてもじゃな
いが反応し切れねえ……。
仁のコンシェル、グレートデュークは防御力に優れている分、機動力に劣る。硬いという
のはそれだけで重いのだ。このキャンサーのように、高い機動力で翻弄してくるタイプを相
手にするには不向きと言わざるを得なかった。
周囲の地面に潜っては飛び出し、襲う。ヒットアンドアウェイ。敵の仕掛けてくる攻撃は
まさに彼とデュークの苦手とする所だった。
もしかして、こちらの特性を把握した上でこんな能力を……? 思考の一端にそんな可能
性が過ぎったが、今は構っている暇はない。確かめようにも術を持っていない。
と、とにかく、本体の身を……! 仁は瞬く間に苦戦を強いられていた。生身の自分がや
られぬよう、すぐにデュークを傍らに戻して防御を固めたが、それも足元から突撃されれば
ひとたまりもない。二人は防戦一方に追い遣れられていた。辛うじて出現を見越して反撃し
ようにも、相手も相手で硬い甲羅に弾かれる。鋏での斬撃や殴打、加えて水流射出による牽
制まで放たれ、為す術が無い。
「この時を……ずっとこの時を待ってたんだ! お前達だけは、絶対に許さねえ!」
「抜け駆けしやがって……! 俺をダシにして、海沙さんと仲良くなりやがって……!!」
『大江君!!』
ちょうど、そんな時だったのだ。交戦していた両者の下へと、睦月達が遅れて駆け付けて
来るのが見えた。道中、パンドラがアウターの反応を捉えていたのだ。すぐさま場の状況を
理解した仲間達が、それぞれにリアナイザを取り出して加勢しようとする。
「よ、止せ! こっちに来るな!」
そんな皆に向かって、仁は叫ぶ。こいつの能力は数で囲めばどうにかなる類じゃない。何
より奴の狙いが自分達への復讐だと判った以上、睦月達の登場は火に油を注ぐだけだ。
「佐原……守護騎士……!! 見つけたぞ。お前達もかぁぁぁーッ!!」
案の定、キャンサーの猛攻は直後睦月達にも及ぶ。変身・召喚しようとした面々を、それ
よりも速く、地中に潜ってからの奇襲でもって妨げる。國子が咄嗟に皆を引っ張ってかわし
たものの、常人の反応ではそれも長くは続くまい。通信越し、司令室の皆人達も、ようやく
相手の能力を理解したようだった。
『國子、睦月、退け! 密集していては逆に不利だ!』
「ははっ! 今更逃すかよ! このまま全員まとめて切り刻み──ギャハッ?!」
だがそれを止めたは、他でもない仁。鉄白馬形態のデュークを突進させ、キャンサーを吹
き飛ばしたのだ。その隙を突いて睦月ら仲間達の下へ駆け寄り、地面に転がる身体を抱き起
こす。
「大丈夫か!? 佐原、天ヶ洲、陰山。海沙さんも」
「う、うん……」
「私達は、大丈夫です」「わ、私だけ、何だか全然狙われていないような……??」
「地面に潜るとか卑怯でしょ!? こんなのずっと向こうのターンじゃない!?」
「……嗚呼、そうだったな。お前にはそんな形態もあったんだったか……」
盛大に大木を圧し折って、キャンサーこと八代はのそりと立ち上がった。くいっと口元を
鋏の手で拭い、仁とデュークの姿に若干の懐かしさを零す。
「……てめぇのその記憶は、八代のモンだろうがよ。勝手に本人気取りすんな」
「八代? えっと、それって……前の電脳研の……?」
流石にチャリオット状態の突進は効いたのか、甲羅にも少しヒビが入っている。だがそれ
だけだ。肝心のキャンサー本人には、致命的なダメージとは言えない。睦月らが拾った両者
のやり取り、戸惑いの声に、インカム越しの皆人の声が響く。
『おい、聞こえるか? 一旦ここは退け! 奴の能力は厄介だ。無闇にぶつかっても勝ち目
はないぞ!』
曰く、地形を無視して“潜る”圧倒的な地の利。このまま戦い続けても、仁と同様ジリ貧
になるだけだ。加えて視界も足場も悪い。
間違いなく相手は、自身の能力を理解した上で彼を此処へ誘った筈だという。何より数こ
そ一対五だが、こちらには「生身」の人間が揃っている。先ずは此処から皆を逃がし、体勢
を整え直すのが先決だと皆人は主張した。守護騎士姿と、本人を安全圏に置いた完全同期の
召喚。万全を期して挑まなければ、いつぞやの冴島隊の轍を踏むことにもなりかねない。
「……了解」
「仕方ない、かな」
正直悔しかったが、異論はなかった。國子の朧丸、ステルス能力を駆使して先ずは仁や海
沙、宙を逃し、この場から離脱する事に専念せねば。期せずして距離の空いた今こそ絶好の
チャンスである。
「させるかよッ!!」
しかし対するキャンサーは、それさえも安易には許さなかった。睦月達が踵を返して逃げ
ようとするのを見て、開いた鋏の口から水流を発射。面々を分断・転倒させて、再度地中か
らの突撃に移る。
「きゃっ……!?」
「海沙!」「海沙さん!」
『拙いな。奴の機動力が高過ぎる。陽動が要るか。一度に全員は厳しいかもしれない』
「……」
するとどうだろう。インカム越しの皆人の声を何処か遠くで聞きながら、睦月はゆらりと
その場に立ち止まったように見えた。『マスター?』手にしたEXリアナイザの中で、パン
ドラが逸早くそんな主の異変に気付く。そして心配そうなその声色は、程なくして現実のも
のとなってしまった。
「パンドラ」
『は、はいっ』
「サポートコンシェルの封印って、解除出来る?」
『え、ええ。制御も私の役目ですから……って、マスター、まさか!?』
「そのまさかだよ」
殿が要る。或いはこの場で、奴を倒せる何かが。
睦月はそうパンドラに問いながらも、頭の中では既に実行に移っていた。躊躇えばキャン
サーによって、皆の命が危ない。大江君はあいつを八代って呼んでたけど、その名前が僕達
の思い浮かべるそれと違っていないのなら、奴は……。
『睦月?』
『ま、待ちなさい! 睦月、貴方、私の話を聞いてなかったの!?』
インカム越し、司令室の皆人や香月、萬波達が小さな疑問符や焦りでもって叫んでいるの
が聞こえる。ただもう睦月にとっては、些末な事だった。今はとにかく、海沙に宙、大江君
や陰山さんを守らなくては……。
『マ、マスター。でも──』
「躊躇ったら皆やられる! 急いで解除するんだ!」
それに……。並みの人間よりもよっぽど人間らしく迷うパンドラに、睦月は叫んだ。後半
は当のキャンサーには届かず、ぼそっと彼女や皆人達にのみ聞こえる声量である。
「母さんの話してくれた通りなら、これであいつの能力を封じ込められるだろう?」
『……ううっ』
『UNLOCKED』
半ば押し切られる形で、パンドラがシステム内部を操作し、変身に必要なコンシェル達の
機能を解放した。キャンサーが地面を泳いで迫る。にわかにスローモーションとなりかける
セカイで、睦月はEXリアナイザのホログラム画面を操作した。七つの個体、戦力となり得
るコンシェル達のアイコンをタップし、指で纏めてなぞるように選択する。
『LIZARD』『CROCODILE』『TURTLE』
『SNAKE』『BAT』『FROG』『CHAMELEON』
『TRACE』
「……っ!」
『ACTIVATED』
『DRAGOON』
正面に掲げた銃口から撃ち出された、紫の光球。はたしてそれらは七つに分裂し、三次元
に円運動を描きながら睦月の周りを駆け巡った。場の仲間達も、また彼らに迫ろうとしてい
たキャンサー自身も、ハッと我に返って睦月を見遣る。すんでの所で泳ぎを止め、半ば直感
的に大きく後ろへ跳び退こうとする。
「ぐぅっ!?」
『や……』
『止めてぇぇぇーッ!!』
刹那、巻き起こったのは突風。
装着が完了した次の瞬間、辺りには今までになく強烈な衝撃が舞い上がった。キャンサー
が吹っ飛んでボチャッと盛大に地面へ落ち、司令室の香月達も悲鳴のような声を重ねる。
「──」
紫を基調としたパワードスーツ、重鎧姿。手にした大剣が特徴的ないでたちだった。
爬虫類系、紫の強化換装・ドラグーンフォーム。開発者である母・香月が、未だ調整段階
だと言っていた筈の形態だった。
「ぬおッ!?」
「きゃっ……!?」
黙したまま、ブンッとその大剣を一振り。
巻き起こった風圧は当たりを激しく掻き回し、仁以下仲間達も、慌てて手で庇を作っては
踏み止まる。
『……』
その足元に入る、大きな陥没と亀裂。
直後、他ならぬ睦月自身の双眸が、怪しく明滅したように見えた。




