49-(3) 七波家の終焉
「──ああああぁぁぁぁッ!?!?」
飛鳥崎市内某所、とある霊安室。
変わり果てた妻の亡骸を前に、誠明は文字通り激しく泣き崩れていた。北大場の拉致事件
を知り、職場から駆け付けて来ていたのだ。
「お父さん……」
そこへ足を踏み入れたのは、他でもない七波。同じく母の遺体が運ばれたというこの場所
を聞き及び、先ず合流しようとしたのだ。
元々の環境という面もあってか、他には誰一人、辺りに人影は無かった。案内してくれた
係員もあくまで事務的で、早々に席を外してしまっている。或いは遺族同士の時間、限られ
た故人との別離に割って入るべきではないと、教え込まれているからなのか。
「あ……ぁぁ? 由香、なのか……??」
コクリ。ようやくこちらに気付き、泣き腫らした顔で振り向いてくる父に、七波は言葉も
なく応えた。先に父の方が散々泣いていたものだから、余計に逆張りになっていたのかもし
れない。キュッと結んだ唇が堰き止めるように、彼女は涙を流せなかった。
「ごめん……なさい。私がいたのに、お母さんを助けられなくて……」
尤もそれは、泣けないこととは全く別の話だ。自分の内側で一枚また一枚と壁が破れそう
になる度、目元と眉間に寄せた力を強めて、七波はこれまでの経緯をざっと話して聞かせ始
めた。再会一番、誠明はこの娘をはしっと抱き締め、暫くじっと耳を傾ける。お互いに顔が
見えない体勢であったことが、触れ合っていたことが、感情を吐き出すにはちょうど都合が
良かったのかもしれない。
「……そうか。辛かったな。ごめんな? 肝心な時に父さんがついててやれなくて……」
娘から懺悔されたのは、脅迫された際にたった一人で現場に向かったこと。何より母を勇
から救い出せなかったこと。
だが誠明は、声を荒げて責め立てるようなことはしなかった。寧ろ彼女を抱き締める手を
強めて何度が動かし、その髪を撫でてやる。自分の綯い交ぜな感情をぶつけるのではなく、
先ず娘の心をとかく案じようとする。実際事件があった時、現場でその死を目の当たりにし
たのはこの子なのだから。
「でも、お前だけでも生き残ってくれて良かった。母さんだけじゃなく、お前まで失ってし
まったら、父さんは……」
「うん……」
だからこそ七波は、暫くそうやって父に抱き締められるがままにされていた。自分だって
泣きたいという感情は沸々と湧いてきていたし、何より血の繋がった家族とこうしてまた会
えたことが、途轍もなく安堵だった。
お母さんは死んだ──瀬古先輩に殺されてしまったけれど、まだお父さんがいてくれる。
後悔が無い訳じゃあない。でもこんなに愛してくれる人がいるのなら、やっぱり堪えなく
ちゃと思う。まだこの人は、捨てちゃいけないんだと思う。
「……正直を言うとね。父さんは生き残ったのがお前でホッとしてるんだ」
「えっ?」
しかし異変は、次の瞬間正体を現した。珍しくぎゅっと抱き締められたまま、七波はそう
誠明に言われたのだ。
思わずハッと我に返り、気持ち密着していた顔を起こして相手の表情を観る。彼も彼で、
申し訳なさそうに語り出すその姿には不気味な照れ臭さがあった。少なくとも言葉尻以上に
意図された悪意は、実の娘をしても読み取れない。
「ほら、例の化け物──電脳生命体だったか。あれに家が滅茶苦茶されて以来、母さんがす
っかり神経質になってしまっただろう? 正直な話、この先上手くやってゆけるか不安だっ
たんだ。でも母さんは死んだ。お前じゃなく、変わってしまった母さんの方が」
「──」
愛してくれている? いや、違う。
七波はここに来て、ようやくその違和感に気付いたのだった。少しずつ心が震える。戦慄
する。なのに当の父は、ヘラヘラと苦笑っている。
おかしい。いくら何でもおかしい。
それじゃあまるで、母が死んで清々したとでも言っているかのような……。
「あと父さんな、この前会社をクビになった。俺を雇っている事自体が、もうリスクだって
言いたいんだろう」
「えっ……? えっ……!?」
加えてさらっと打ち明けられたのは、父が職を失っていたという事実。
七波は続けざまの衝撃に、正直どう反応を返していいのかさえ判断し損ねていた。只々こ
の父の腕の中で、ぐるぐると回り続けるセカイに戸惑い、動悸に苛まれる。
「でもお前だけは守るよ。だってお前は、正しいことをしたんだから。なのに何もかもを失
うだなんて……あんまりじゃないか」
「──」
抱き締められたまま、七波はようやく気付く。改めて事の深刻さを理解していた。
父もとうに“壊れて”いたのだ。母とはまた別の形で、だけどもより一層歪と化して。
元々気の優しい人ではあった。ただ諸々の「正しさ」を盾に、大丈夫だと平気だと、自ら
を誤魔化し続けていただけで……。




