49-(2) 未確の戦力(ちから)
七波母子を巡る拉致監禁事件は、一先ずフェードアウトの局面に入った。ただ巷では沙也
香を死なせたことを梃子に、政府や当局を批判する向きも出始めている。一方加えてその副
作用からか、娘である由香の近況もまた人々の関心を集めようとしていた。
事件当時、彼女が現場に居たことを大半の人間は知らない。
報道では今学期から、彼女が玄武台から学園に転入したとも言われているが……。
「──母さん、居る?」
「? あら。どうしたの、睦月?」
筧との通信から数日。その日の放課後、睦月は一人司令室へと足を運んでいた。束の間の
幕間とでも言うべきか、室内に詰めている面々、制御卓に着いている職員は少ない。一時の
満員状態ではなく、次の事件・動きを待っているといった具合なのだろう。
そんな対策チーム中枢の一角、研究部門のデスクで作業をしていた母・香月の下へ、睦月
は顔を出した。ふいっと呼び掛けられた息子の声に、彼女は思わずぱちくりと目を瞬いてこ
れを見上げる。
「……あれから、アウターは出た?」
「ううん。今の所は。それにもし反応があれば、貴方達にもすぐ連絡が飛ぶでしょう?」
故に香月は、彼が何か言い辛い話題──相談の為に顔を見せたのだとすぐ解った。
自他共に認めるワーカーホリックではあるが、他ならぬ我が子なのである。もじもじと、
視線が時折あさってな方向に逸れるのを彼女は見逃さなかった。「そ、そうだね……」ぎこ
ちなく苦笑する彼に向かい、敢えてこちらから話を振ってみる。
「……何か、困った事でもあったの? 学校での七波さん? それとも皆人君?」
「う、うん……」
案の定、睦月は最初困った表情を見せた。こちらの意図がとうに見透かされているにも拘
らず、尚もすぐに口を開こうとはしなかった。
躊躇い。そこまで言い淀むという事は、わざわざ召集外に足を運んで来たという事は、自
身が持ち掛けようとする“相談”が、彼女にとって心理的にマイナスだと理解している証拠
でもある。
「……もっと強くなりたいんだ。守護騎士に、他に力はないのかな?」
曰くそれは、更なる懇願。先の七波母子喪失を受けて彼が導き出した、次に取れうる一手
の模索だった。ギュッとぶら下げていた拳を握り締め、睦月は言う。
「隊士さん達から聞いたよ。冴島さんが、母さんにパワーアップ用のアイテムを作って貰っ
てたって。ウィッチと戦う前、車の中に籠ってたから、何かあったとは思ってたけど……。
悔しいんだ。結局僕は、七波さんを守り切れなかった。冴島さんもきっと、僕や皆を守ろう
として、全部一人で背負い込もうとしたんでしょ? あんなリスクのあるアイテムを使って
まで戦おうとしたんでしょ? だったら僕も……リスクを取るよ。冴島さんだけに背負わせ
るなんて出来ない。皆の、これからの為にも」
『──』
握った拳はやがて胸に。
きっと自身も未知なる恐怖で震えているだろうに、睦月はそう香月を見据えて訊ねた。懇
願するように言い切った。『マスター……』胸元のポケットに入っていたデバイス、その中
でパンドラが眉尻を下げて呟いたが、それ以上に酷く哀しい表情をしていたのは他ならぬ母
・香月だった。息子と同様随分と逡巡し、しかし此処で拒んでもこの子は納得しないのだろ
うと悟っている。
母として、チームの仲間として、正直気は進まないが──話さない訳にはいかない。
たっぷりと十数拍、嘆息にも似た深呼吸をしてから、彼女はようやく彼の求めに応じて話
し始めた。
「……力が欲しいというのは、強化換装の事でいいのよね? これまで散々身をもって体験
してきている通り、基本的にこれらは大きな消耗を伴うものよ。貴方がこれまで使ったこと
のある強化換装は九つ。でも守護騎士は設計上、あと三つの形態が残されているわ」
「うん」
「一つは紫の強化換装、ドラグーンフォーム。爬虫類系のサポートコンシェル達を纏う形態
よ。主に戦いの質──制圧能力に特化しているわ。ただ現状、このカテゴリの中核を担うク
ロコダイル・コンシェルがこちらの調整に馴染んでいないのよ。だからこれまでロックを掛
けてきたの。貴方の適合値をもってしても、今のまま換装すれば暴走する可能性が高いわ」
『暴走……』
「そっか。じゃあ、他の二つは?」
「金の強化換装、クルセイドフォームと、最終形態・虹の強化換装よ。仮にパンドラフォー
ムとでも呼びましょうか。……でもこの二つも、実用には耐えないわ。クルセイドフォーム
の方は、主に戦いの数──殲滅能力に特化しているけれど、幻獣をモチーフにしたコンシェ
ル達で構成した所為か、今も大部分が調整不足でお蔵入り。パンドラフォームに至っては、
そもそも実現不可能っていう結論が出てる。本来は全てのサポートコンシェルを纏う形態な
のだけど、実際には当初、ベースフォームですら換装することもままならなかった。完全に
机上の空論ね。あの時はまさか、貴方が変身出来ちゃうなんて思いもしなかったけど……」
『……』
誰からともなく──いや、どちらかと言うとポケットの中のパンドラの方から、二人は互
いの顔を見合わせて眉根を寄せた。眉尻を下げた。
なるほど、ようやく理解した。別に彼女が意地悪をして教えなかったんじゃない。技術的
に不安が大きかったからこそ、使用させないようにしてきたのだった。その使用者が他でも
ない、実の息子であれば尚更だ。
「だからもう、これ以上新しい強化換装は無いの……」
睦月はじっと、そんな母の表情を見つめていた。美しくも悲しい微笑みだった。
本人が言うように、元々守護騎士の装着予定者は冴島だったのだ。その彼が基本の形態に
さえなれなかった──大よその人間がその適合値さえ届かなかった現実を前に、一時は計画
自体が頓挫しかけていたが、何の因果か今となっては自分がその後釜に座っている。ついつ
い失念する事が多いが、自分はそもそも母・香月にとってさえ“イレギュラー”な存在だと
いうこと。本来ならば、誰も換装による負荷には耐えられない……。
「可能な限り、調整は続けているわ。でも実戦投入する為には、相応のデータを積み重ねな
きゃいけないの。最大限の安全性を確保しなきゃいけないの。アウター達に対抗出来る手段
が必要だったからとはいえ、こんな力を生み出してしまった以上、私にも万全を期す義務が
ある──」
だから、ね?
香月はそうそっと諭すように、努めて睦月に繰り返し繰り返し説明していたが、実際本人
は話半分思考半分といった所だった。彼女が必死になればなるほど、その背後に在る切迫し
た事態を想ってしまって。
ならば現状、変身出来る自分が立ち向かわなければ、悲しむ誰かはもっと増えてしまうん
じゃないか? 戦うしかないんじゃないか……?
「無茶はしないで。今ある強化換装でも、戦うこと自体は十分出来る筈よ。無茶だけはしな
いで。貴方が倒れたら、皆も私も、たくさんの人が悲しむのよ?」
『……』
自分も含めて、母として。
気付けばずいっと間近まで寄って、香月はこの息子の両肩を抱いていた。泣きそうになり
ながらも、必死に説得しようするその姿に、睦月は「うん……」と一言小さく呟くと黙り込
んでしまったが、他ならぬ彼女自身は寧ろ逆の結末になるだろうと予感していた。解っては
くれても、頷きはしないだろうと。この子は昔からそうだった。
(睦月……)
やはり優柔不断に流されるのは、自分の悪い癖だ。迫られても、話すべきではなかったの
かもしれない。




