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サハラ・セレクタブル  作者: 長岡壱月
Episode-47.Stigma/悪性への疾走
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47-(6) 勇の回答(こたえ)

『七波由香だな?』

『まさか警察を呼ぶ……なんて馬鹿はしないよな?』

 掛かってきた番号は確かに母親のものだったのに、実際に聞こえてきた声の主は丸っきり

違っていた。文字通り全身から血の気が引いて、七波は酷く蒼褪める。自分が今置かれてし

まった状況を、否応なく理解させられたからだ。

「ど、どうして……? お母さんは? お母さんは無事なの!?」

『いつ質問して良いと言った? 何なら今ここで、この女を始末してもいいんだぞ?』

 保健室を出た廊下の先で、七波は思わず必死になって叫ぶ。母の状態を何か確かめようと

いう言葉が先立った。

 しかし対する電話の主・勇は、あくまで冷淡に振る舞っていた。こちらからの問い掛けす

らピシャリと撥ね退け、文字通り七波を脅す。苦渋に顔を顰め、黙らされた彼女の息遣いを

確認してから、彼は静かに凄みを利かせつつ用件を告げる。

『お前の母親は預かった。返して欲しければ、北大場の廃ビルへ筧兵悟と二人だけで来い。

守護騎士ヴァンガードや警察、周りの人間に少しでも話したら母親の命は無いと思え。筧兵悟なら、詳し

い場所を知っている筈だ』

 それは紛れもなく、誘拐と脅迫。

 大きく大きく目を見開き、ぐらぐらと瞳を揺るがして、七波は数拍押し黙った。手元が全

身が、酷く震え出しているのが解る。

『半日待ってやる。筧兵悟に連絡をつけて、連れて来い。もし間に合わなかった時は……分

かってるな?』

「……っ。まっ、待ってください! 分かりました! 行きます! すぐ行きますから!」

 かくして七波は、弾かれるようにしてその場から飛び出した。

 勇は特にその応答に言葉を返すでもなくさっさと通話を切ってしまい、彼女はまるで心臓

に刃を突き付けられたかの如く、激しい焦燥感と動悸の下に学園コクガクの敷地から抜け出してゆく。


(──これで良し。後は、素直にあいつが筧が連れて来るかどうかだが……)

 一方その頃、北大場のとある廃ビル。用件を告げるだけ告げて、さっさと通話を切った勇

は、七波沙也香から取り上げたデバイスを片手に振り返った。放棄されてすっかり荒れ果て

たフロアの一角に、本来の持ち主たる彼女が手足を鎖で縛られて転がされている。

「ん~! ん~ッ?!」

 こちらを見上げ、尚もジタバタと足掻こうとするその口には、大きめのガムテープが貼り

付けられていた。勇は一瞬眉間に皺を寄せたが、それほど苛立ちを表明するでもなく、次の

瞬間には彼女の前に屈んでこれを取り払う。ぷはっ……!! ようやく十分な呼吸を確保し

た彼女が、ヒステリックな表情を浮かべて睨んできた。自分が放り込まれた状況を未だに把

握出来ておらず、それらを含めた鬱憤を丸々、彼へ向けてぶつけ始める。

「は、離しなさいよ! な、何なの? 一体何なのよ!? この前もそう! 私が一体、何

をしたって──ぎゃあッ!!」

 混乱と恐怖と、ヒステリーと。

 途端に捲し立て始めた沙也香に、勇は流石にイラっと来てこれを蹴り飛ばした。顔面に彼

の足をもろに受け、彼女はもぞもぞと抗う。片頬は打撲で赤く腫れ、それでも激昂の感情は

尚も火を点し続けて消えそうにない。……随分と元気な病人だな。勇は内心そう思ったが、

表情に出ているのはあくまで不愛想な白眼視のみである。

「私を……由香を呼んでどうする気? あんたはやっぱり、あの子や筧刑事を殺そうとして

いるの!?」

 当たり前と言えば当たり前だが、どうやら彼女も、こちらの正体にはとうに気付いている

ようだ。煩いな──勇は改めてこの面倒臭い人質を黙らせようと、七波由香の母親だからと

蹴り飛ばそうとしたが、一瞬妙な違和感を覚えた。

 やっぱり。

 もしかするとこの女は、自分の娘が全ての“原因”だと考えているのかもしれない。

「黙れ」

 しかし結局、彼は再び彼女に蹴りを放っていた。浮かんだ疑問はほんの数拍で、されど今

更彼女ら家族の関係性について知ろうとも思わない。流石に二度三度と容赦なく暴力を振る

われたからか、七波沙也香は心が折れ始めていた。ぶるぶると、埃や血汚れ塗れになった顔

で震え始め、荒くなった息のままその場にへたり込んでいる。

「……答えはイエスだ。というより、お前達に近付く理由がそれ以外にあると思うか?」

 ゆっくりと、勇は再び彼女の下へと歩み寄った。

 そうして彼は語り出す。これまでの経緯、中央署の一件で他ならぬ由香かのじょが、自分達を敗走

させた一因を作り出したこと。故に蝕卓そしきはこれを始末すべく自分を宛がったが、結局自分は

あの少女を殺し損ねたこと。

「……寸前で優の、弟の姿が視えた。まるであいつを庇うように、俺の前に現れたんだ」

「? ???」

 対する七波沙也香の頭には、盛大に疑問符が浮かんでいた。当然だろう。何故とは確かに

こちらから訊いたが、そんな曖昧で主観的なことを語られても、どう受け答えしていいもの

か分からない。勇自身も、殆ど自嘲のように呟くのみだった。

 理由? 錯覚? 判ったものじゃない。そもそも事の始まりは、玄武台ブダイの一件をあいつが

リークしたから──弟の無念を聞いてくれたから。

「でも……。もう遅いんだよ」

 優は死んだ。自分にはもう、戻る場所なんてない。一般人にはなれない。これまでもこれ

からも、蝕卓ファミリーに属するしかない。

「……俺はまだ甘かった。七波由香にとって、俺はもっと“敵”にならなきゃいけなかった

んだ」

 母・沙也香の疑問符がどんどん膨らんでゆく。それにも構わず、勇はそっと、懐から黒い

リアナイザを取り出した。

 一体何の為の代物なのだろう? 何をする気なのだろう? おそらく最初はそう怪訝が勝

っていたに違いない。

『BUSTER MODE』

 しかし彼がその銃底をノックし、鈍い電子音声が響いた次の瞬間、彼女はようやくこれが

意図する所を知った。「ひいっ!?」すぐ目の前、ジャキリと向けられた銃口を前に、絞り

出されたような悲鳴が飛び出る。

「まっ!? 待っ──」

 殆ど反射的な、本能的なレベルでの命乞い。

 されど当の勇は、全く聞く耳を持たなかった。寧ろそんな声を掻き消すかのように、直後

至近距離から数度の銃声が響き渡る。

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