47-(2) 打ち砕くもの
間仕切りで囲われたスペースの中に机を置いて、一人黙々と課題をこなす。
幾度にも渡る自身への刺客騒ぎの後、七波はじっと保健室で過ごす日々を送っていた。当
然通常の授業には出られず、代わりに養護教諭の光村は何処からともなく自分用の問題集を
用意してくれ、分からない部分があれば丁寧に教えてくれる。一人静かに、家庭教師に見て
貰っているようなものだ。尤も当の本人は、あくまでこちらとは一定の距離を保ち、クール
な立ち振る舞いを続けていたが。
(……難しいなあ。公立と国立じゃあ、こんなにも違うものなのかな……?)
とはいえ、肝心の課題の中身はハイレベルだと感じる。七波は一人じっと眉根を寄せたり
唇を結んだり、人知れず苦戦続きだった。元々いた玄武台高校はスポーツで名を挙げていた
学校。対してこの学園は、飛鳥崎が直に運営する一貫校。こと勉学の領域においては遥かに
格上の存在ではある。
(うーん……。なるべく此処にいる間は、考えないようにしてたけど……)
切れかけた集中力を潔く放り出し、七波は一旦小休止を挟むことにした。ただでさえ意識
的に“隅”に縮こまった過ごし方をしているため、身も心も硬くなりがちだ。ぐぐっとパイ
プ椅子の背に体重を預けて、大きく全身を解すように伸びをする。
──結局自分は、一度ならず二度までも、学園の人達に迷惑を掛けてしまった。校舎が壊
されたこともそうだし、精神的にも巻き込んで、ここ暫くは心休まる日が無かったと言って
しまっていい。
有り体に言えば……自責の念。
だからこそ、今もクラスの皆に合わせる顔がなく、ずるずるとこうして保健室登校という
形に落ち着いてしまっている。
『あんたが死んで、哀しむ人は──本当にいないのかい?』
一時は自暴自棄になっていたものの、自分は光村先生に救われた。筧さんや由良さん、お
父さんやお母さんが悲しむとの言葉と想像力に、何とか持ち直すことが出来た。
尤も当の母は未だ別の病院に入院中だし、実害を被ったことでヒステリックになった影響
は今も消えていない。父の見舞いの頻度だってあれから明らかに減ってきているが……あく
までそれは自分達家族の問題。
尚もぐらぐらと、意識の片隅でこちらを見ている懸案の一つを掻き消す為に、彼女は別の
記憶を密かにぶつけていた。他ならぬ、筧から後日届いたメッセージである。
『学校と家と、襲われたってニュースは聞いた』
『大変だったな。いざって時に、傍に居てやれなくてすまなかった』
電話番号からショートメールへ。文面個々は淡泊で短かったが、不器用ながらも根っこは
とても優しい彼なりの配慮を読み取ることが出来る。
睦月達対策チームと接触したことを伝えると、彼も自分を尾けていた冴島の一隊がそちら
に向かったらしいと話してくれた。こちら側からの情報で、ようやく合点がいったようだ。
蝕卓はやはり自分達を狙っている──彼ら対策チームの傘に入っているのが現状安牌であろ
うとも。
『俺もぼちぼち、そっちに戻るよ』
そして彼はどうやら、次の元被害者巡りに進んでいるようだった。
七波も、彼の指摘には同意さぜるを得なかったし、まだまだ不安は燻っている。それでも
彼ら対策チームとの繋がりを維持していれば、いつか勇を止められるかもしれないとも考え
ていたのだ。
「──七波さん、ちょっと休憩が長過ぎないかしら? 課題はまだまだ残っているわよ?」
「はひぃ!?」
ちょうど……そんな時だった。ふと間仕切りを軽く開けて光村が顔を出し、傍から見れば
ぼんやりと座ったままの七波に注意を促す。
ビクンと、七波は反射的に顔を上げて飛び起きていた。それでも実際に浮かべたのはばつ
の悪そうな苦笑いで、学園に来た頃より明らかに心を開いた印象を受ける。
「す、すみません……」
つまり彼女は、個人的に光村に懐き始めていた。保健室の主であるという以上に、彼女が
自分のことを“特別扱い”しない──決してニコニコと笑顔が素敵な訳ではないが、クール
でさばさばとしたこの姉御肌の先生が、本当は優しい人なのだと解り始めていたからだ。
要するに色々な意味で似ている。
自分のせいで部下を失い、それでも尚、自分を守ってくれる筧と同じなのだと。
「……?」
だが次の瞬間である。今度はふと、七波が握っていたデバイスから着信音が流れた。周囲
に迷惑を掛けないよう音量は下げてあるが、それでもカバーの中から漏れる明滅で分かる。
少し目を細めた光村に断り、七波は一旦席を外して廊下に出た。カバーを開いて画面を確
認し、されどそこに表示された名前に思わず小首を傾げる。
七波沙也香。
おかしいな。今はまだ病院の中で、自由には使えない筈なのに……。
『──七波由香だな?』
しかし、そんな彼女の疑問も、直後には文字通り消し飛んでいた。電話の向こうから届い
たのは、聞き慣れた母の声ではなく、別の人物だったのである。
七波は思わず目を丸くして硬直していた。悲鳴を上げる為の呼吸すらままならない。
『どうした? 返事をしろ。まさか警察を呼ぶ……なんて馬鹿はしないよな?』
勇だった。
同じ元玄武台生であり、苛めの末に亡くなった弟の無念を晴らすため復讐鬼と化した、今
や蝕卓の関係者が一人・瀬古勇その人だったのだから。




