46-(5) 私がいるから
北市民病院への襲撃から数日。
事件のゴタゴタから解放された七波は、学園への復帰直後、またすぐ休むようになってし
まっていた。登校してもクラス教室に向かう事を恐れ、次第に保健室に籠って日中を過ごす
ようになってしまったのだった。
「──もう、辞めたい……」
何より折につけて口に出るのは、そんな退学の意向。自身が玄武台関係者から狙われてい
るという、事実に対する逃避行動。
「そ、そんな事言わないで? 私達がついてるから。ね?」
ただ学園側も、対策チームもとい政府筋から転入を要請された経緯から、安易にこれを受
け取る訳にもいかなかった。確かに“厄介払い”としては正解の選択肢なのだろうが、それ
では先方の面子を潰すことになる。集積都市は広い自治権を認められているとはいえ、中央
政府を敵に回して存続できるほど独立独歩でもない。
この日も保健室では、担任の豊川先生が、そう泣き腫らす七波を何とか宥めようと必死だ
った。自分も貰い泣きしそうなぐらいに哀しい表情をし、そのややヒステリックに傾きつつ
ある心情を慰めようとしている。
「だって……だって……! 私がいる所為で、皆に迷惑が掛かっているじゃないですか!
この前はお父さんやお母さんが、入院しているのに狙われて……!」
正直な所、ここまで寄り添ってくれる豊川先生の優しさは嬉しい。しかしだからこそ、自
分はそんな厚意に甘えてばかりではいられないと、七波は己を責める事を止めなかった。
犯人達──古巣の関係者が、自分の命を狙っていることは明らかだ。きっと彼らは、自分
が死ぬその時まで襲撃を続けるのだろう。復讐を止めないのだろう。たとえその過程で、ど
れだけ周りの人間を巻き込んだとしても。
玄武台に居場所がなくなると踏んで、三条君とその後ろにいる対策チーム──俗に言う有
志連合の人達が転校の根回しをしてくれたことはありがたかったが……どのみち化け物に狙
われ、周りに迷惑が掛かるのなら……。
「いっそ、私が死んでしまえば……」
「な、何言ってるの?!」
強気になど、なれる訳がない。七波がぽつりと漏らすと、案の定豊川先生はガシリとこち
らの両肩を掴みながら、必死の形相で繋ぎ止めようとした。ボロボロと涙が零れていた。
「──あんた。それ、本気で言ってる?」
だがその一方で、この部屋の主、学園の養護教諭・光村忍は酷く冷淡なように吐き捨てた。
良くも悪くも人情派な豊川先生とは違い、いわゆるクールビーティーを地でいくような女
傑である。
キュッとキャスター付きの椅子を引いて回し、引っ掛けた白衣を翻しながらこちらをそう
ジト目で見遣る。室内には、カーテンレールで仕切られた幾つかのベッドと薬品棚、その几
帳面さを示すような付箋つきの各種ファイル群が整然と収まっている。
「自分が犠牲に……それって実質、自分さえ良ければ、楽になりたいっていう裏返しじゃな
いの? 玄武台やこっちで疎ましがってる連中の我が身可愛さと、一体何が違うっていうの
かねえ」
それに……。驚愕や義憤、それぞれの反応を言外に見せる二人に、光村は続ける。特に眼
差しを向けて語っているのは、他でもない七波の方だ。
「あんたが死んで、哀しむ人は──本当にいないのかい?」
「っ──?!」
そんな彼女の言葉に、七波はハッと我に返っていた。頬を伝う涙は止まらなかったが、直
後脳裏に浮かんできたのは、自らにとって大切な人達の姿と記憶だった。
自分のせいで巻き込まれ、ヒステリーを起こして関係が悪化してしまった母。そんな母か
ら必死に庇ってくれた父や、佐原君達。何より筧さんや由良さん。
もしここで自ら命を断つような真似をすれば、本当に死んでしまった由良さんを含め、皆
のこれまでが全部無駄になってしまう……。
「……うっ、ぐぐっ……!!」
「ちょっと忍ちゃん! 何て事言うのよ!? もっと言い方ってものがあるでしょう!?」
二進も三進もいかない。そんな、身動きが取れずに再び泣き崩れだす七波を、豊川先生は
はしっと受け止めて抱き締めていた。自身の胸の中で慰めながら、それでいて一方でキッと
光村を睨み付け、詰る。
「言い方も何も事実だろうに。本当、情に脆い所は昔っから変わらないねえ……」
そんな彼女の──学生時代からの旧友でもある担任からの言葉に、光村はわざとらしく嘆
息をついてみせていた。
正直、心情として解らない訳ではない。
だが耐えられぬと投げ出した所で、奴らが止まってくれると本気で思っているのか?
「──ふん、ぴーちくぴーちく泣いてやがる。……許すかよ。てめぇ一人のせいで、俺達が
どれだけ冷や飯を食わされたか……」
そして時を同じく、飛鳥崎市内のとあるビルの屋上。
双眼鏡を覗き込みながら、気の強そうな元玄武台生・遠野は、ギリッと結んだ唇を噛み締
めていた。狙うは学園の一階、保健室。どうやら先日の攻撃以降、潜伏場所を微妙に移した
ようだ。
「見えてるか、内田? 保健室だ。今度はあそこに俺達の球をぶち込む」
『ん……。りょーかい』
もう片方の手で連絡用のデバイスを取り出し、別地点に待機している相棒に声を掛ける。
双眼鏡を片に引っ掛けていた鞄にしまうと、今度は自身の改造リアナイザを取り出した。慣
れたように引き金をひき、呼び出したのは野球選手を思わせる怪人。右腕に投球強化の為の
ジャッキを備えた、差し詰め“投手”のアウターといった所か。
「いくぜ! お前の渾身の一発を叩き付けろ!」
掌から呼び出した白球が、直後棘付きの凶器へと変わる。右手の改造リアナイザをぶんっ
と横薙ぎに振るい、遠野はストライクにこれを投げさせようとした。機械の如く正確にビシ
リと上げた投球フォームが、同じく召喚済みで待ち構える内田を経由すべく捉える。
「──あぎゃッ!?」
しかし、その時である。ストライク(投)が棘付きボールを射出しようとした寸前、この
身体を側面から吹き飛ばす何かが飛んで来たのだった。目の前で自身が操るアウターが、屋
上のコンクリートを転がり、白煙を残す。
(ま、まさか……)
操るべく没頭していた反動のダメージを受けつつも、遠野は痺れる右手を何とか握り直す
と、思わず慌てて辺りを見渡した。しかし何処へ視線を遣っても、周囲に広がるのは似たり
寄ったりのビル群のみである。少なくとも肉眼では、こちらを邪魔出来るような第三者は確
認出来ない。
「──ふふん♪」
海沙と宙だった。発射直後でライフルに硝煙を昇らせるMr.カノンと、索敵モードを全
開にしたビブリオ・ノーリッジが、それぞれの傍らに召喚されていたのだった。
遠野・内田と同様に、彼女ら幼馴染コンビもまた、学園を射程範囲に捉えていた。超ロン
グレンジからの狙撃と、そのアシスト態勢を整えて待ち構えていたのである。




