46-(3) 眼差しのアウター
冴島と数名の隊士達が足を運んだのは、街の一角にある坂途中の踊り場だった。
近付くと、案外見晴らしが良い──此処からでも七波宅や、北市民病院らしき影を認める
ことができる。普段はコンクリートジャングルな飛鳥崎の街並みだが、場所によってはこう
して不意に開けた空間というものが存在しているらしい。
「やあ。こんにちは」
『──っ!?』
だからこそ、あくまで冴島はそう紳士的に、この踊り場から眼下に向けてカメラを構えて
いる人物に声を掛けた。赤い細フレームの眼鏡をかけた少女・百瀬恵と、姿形自体はその伯
父とされる男性・耕士郎だ。
「な、何で……?」
よほど驚いたのだろう。こちらの声に振り返った恵は大層目を見開き、顔を引き攣らせる
と、ザッと数歩その場で後退りをして身構えた。一方の耕士郎──何かしらのアウターと思
われる人間態は、咄嗟に彼女を庇うべく前に出ている。
「……百瀬恵さんと、伯父の耕士郎さんですね?」
しかし一行を率いる冴島は、努めて柔らかな笑みを崩さない。
元より今日は、彼女らと争う心算などなかったからだ。前回北市民病院で相対した時、二
人には別のアウター襲撃のどさくさに紛れて逃げられてしまった。いや……始めから逃げの
一手だったように思う。
「だ、だったらどうした?」
「いえ。それだとおかしいんですよねえ。何せ僕達の調べでは、貴方は二年も前に亡くなら
れている訳ですから」
揺さ振りだとは相手も分かっているだろう。だがそれでも、しらっと冴島が突き付けてみ
せた一言に、二人の警戒心は頂点に達した。
「くっ──!!」
デジタル記号の光に包まれて、直後耕士郎の姿を借りていたアウターが正体を現した。
基本の造形は背のある人型だが、明らかに異形たる部分はその“眼”である。顔は勿論の
事、全身の至る所に眼球が存在しており、無数のそれがギロリと冴島達を威圧するように睨
み付けてきた。今にも襲い掛からんと、両脚のバネを溜めようとする。
「待ちなさい、コウシロー! 私達じゃ無理よ!」
しかしそんな彼を止めたのは、意外にも当の恵であった。この眼球だらけのアウターと、
懐のリアナイザに手を掛けようとしていた冴島達の双方が思わず、驚きや一抹の怪訝を以っ
てこれに振り向く。
「前の初対面で、あんたの正体は見破られてたでしょ? 戦ったって、対策チームに敵う訳
ないじゃない」
「……! 何故それを……?」
次に驚くのは、冴島達の番だった。どうやら相手に戦意は無いらしい。当の眼球だらけの
アウターもゆっくり構えを解き、再び人間態に戻る。冴島や隊士達も、取り出しかけていた
調律リアナイザを懐に戻した。
「答えるわよ。ここまで追われたなら。それより何でこの場所、分かったの?」
臨戦態勢が立ち消え、そっと歩み寄る両者。
冴島の問いに恵は同じく問いで返してきたが、すぐに「あ~……。やっぱいいや。想像が
ついた」と呟きつつ、片手で頭を抱えて唸り出す。少しだけ苦笑いを浮かべて、冴島は弁明
も兼ねて答えてあげた。
「他の部員達から訊いたんだよ。君がよく足を運んでいる、お気に入りの場所だって」
「やっぱりか~……。私達の名前を知ってるって事は、他の色々も調べてきたんだろうなあ
と思って」
「それが僕達の仕事だからね。じゃあ答えて貰おうか? どうして、僕達が対策チームだと
知っているんだい?」
情報戦。どうやらこの場で危害を加えてくる様子がなさそうでも、冴島達はまだ油断する
訳にはいかなかった。少なくとも、自分達の正体──有志連合という、公的に使われている
表現ではない本来の自称を把握している時点で、安易に逃がす選択肢は消えている。
「……コウシローの能力よ。見ての通りこいつは、身体のあちこちに“眼”を持ってる。限
度というか制約はあるけど、このたくさんの“眼”を飛ばして、私達は遠く離れた場所の出
来事を“視る”ことが出来るのよ」
観念したように、恵が話し始める。引き合いに出された耕士郎こと百目のアウターは、実
際にポゥン……と、掌に一つ二つと眼球を召喚。浮遊させてみせる。
「貴方達が怪しんでる通り、確かにコウシローは伯父さんじゃないわ。本物の伯父さんは、
二年前に死んでる。コウシローの姿はあくまで、私の中にある伯父さんの記憶なの。多分こ
の姿になったのは、私がこいつと結んだ契約──伯父さんを殺した犯人を探して欲しいって
所からなんだと思う」
『……』
冴島達は、こと彼の左右背後に立っていた隊士らは、思わず互いに顔を見合わせる。
伯父さんを殺した犯人。つまり百瀬耕士郎のオリジナルは、何者かに命を奪われた。加え
て姪である彼女は、その事実を知っている。
「……どうして、君の伯父さんは?」
「俗に言う不可解事件ってあるでしょう? 雑誌の記者をやってた伯父さんは、飛鳥崎にた
くさんあったそれを調べようとしてたみたいなの。要するに口封じね。本人も自分が狙われ
てたのは薄々気付いてたみたいで、こっそり私に取材ノートの一部を見せてくれてた。その
時は何がなんだか、分からなかったけど……」
きゅっと、静かに唇を噛んだ恵。それはきっと、酷く無念だったことだろう。だからこそ
彼女曰く、改造リアナイザやアウターの存在を知った時、たとえ危険な代物だと分かってい
ても頼らざるを得なかったのだと。
「俺の能力は、視る力。街中に“眼”を飛ばして、耕士郎殿の最期を知る手掛かりを探して
きたんだよ」
「貴方達の存在を知ってるのも、その一環。伯父さんを殺した敵の正体が、コウシローみた
いな怪人を生み出している張本人・蝕卓って組織だと知ったのも」
故に、当初求めていた伯父の真相究明は程なくして頓挫してしまったのだそうだ。元より
口封じの為に彼は殺されたのだ。連中が後から嗅ぎ回られそうな証拠を、処分せずに見落と
している筈もない。
ただ、アイズの探索特化の能力のお陰で、この街に起きているアウター絡みの出来事は大
よそ知ることが出来た。蝕卓を追い詰める物証こそ手に入れられなかったものの、伯父の死、
その根っこにある組織の暗躍自体は把握していたのだ。
「でもね……。私達はそこから先、戦うことを諦めちゃったのよ。ただの高校生な私は勿論
だけど、コウシローも“眼”の力に特化してるせいか、戦いはからっきしだし……。多分怖
かったんでしょうね。奴らに面と向かって歯向かったら、別人とはいえ、また伯父さんが殺
されちゃうかもって思っちゃって……」
『……』
「あんた達も、身に覚えがあるだろう? 奴らの恐ろしさを。あんたらと表立って動いた事
で、命を奪われた連中が大勢いる」
そうして召喚主の言葉を引き継いだ、人間態のアイズの眼差しは、じっと射るように冴島
達を見つめていた。おそらくは額賀二見とミラージュ、由良・筧両刑事や七波のことを指し
ているのだろう。彼女らは“先例”を観て、同じ轍は踏むまいと考えたのだ。自ら語るよう
に、戦闘能力がそう高い訳ではない以上、奴らに目を付けられぬようこっそりと暮らす方向
へとシフトしてきたものと思われる。
「ただ、筧刑事の冤罪を晴らした貴方達には敬意を持ってるわ。過去あれだけ叩いて叩かれ
てを繰り返してるのに、それでもずっと戦い続けてるんだもの」
それでも──自分達の正当性を訴え、ごり押して来ないのは、正直好感が持てるなと冴島
は感じた。何というか親近感が湧く。ある種のむず痒さというべきか。
彼女達はこれまでの戦いを、ずっと陰ながらに観、応援してくれていたのだ。
尤もおそらくその心理の裏には、知っていても何も出来なかった自分達との対比があった
のだろう。反動的に低くならざるを得ない自己評価が付きまとってきた筈だ。或いは濡れ衣
を着せられた筧に、自分達の境遇を重ねていたのか。
「……そうか。ありがとう」
「と、いうことは……」
「あの時逃げようとしたのは、俺達と関わる事で、蝕卓にバレるのが拙いと思ったから……?」
コクリ。恵とアイズが、そう何ともばつが悪いといった様子で首肯する。冴島及び隊士達
は、流石に互いの顔を見合わせながら、盛大に嘆息をついた。いや、この場合は安堵と呼ぶ
べきなのだろうか。
要するに取り越し苦労。彼女達は刺客ではなかったのである。
仮に二人がまだ自分達を騙していて、本当は刺客であったとしても、それならとうに情報
は売られている筈だ。少なくともこちらの正体を知っている、その事実に関してはまた皆人
らと相談しなければならないだろうが。
「その……」
「ご、ごめんなさい!」
「あはは。い、いいよ。もう……」
「こっちの勘違いでしたーの方が、よっぽど平和さ。いけないな。ここの所、疑って騙して
ばかりだったから……」
ぶんっと、盛大に頭を下げて謝ってくる恵とアイズ。
しかし対する隊士達は苦笑いこそ浮かべても、それ以上二人を責めようとはしなかった。
責める気にはなれなかった。ゆるりと、張り巡らされていた緊張の糸が一旦緩んだような気
がした。
「やれやれ、だな……。とりあえず、最悪のパターンは回避されたみたいだが」
「睦月君達はどうなってるかねえ? この前の怪我、残ってないか心配だけど……」
先日の北病院前における捕獲の試みは、結果的に“ハズレ”だった。部下の隊士らもその
辺りの思考は同じようで、一先ず胸を撫で下ろしている。例の元玄武台生コンビのアウター
にもう一体、計三体への同時対処という事態だけは回避されたとみえる。
「……」
にも拘らず冴島は、そんな面々の中で尚も一人、神妙な様子で思案顔をしていた。隊士達
や恵、アイズらが一人また一人とこれに気付き、怪訝な眼差しを向けてくる。
だがそう口元に手を当てて考え込んでいたのも数拍、彼は次の瞬間ハッと何かを思いつい
たように顔を上げると、恵とアイズに向かって訊ねたのだった。
「恵さん、耕士郎さん。ちょっと確認させて貰っていいですか? 貴方の“眼”の能力は、
遠くのものが視えるんでしたよね? それは具体的に、どれくらいの範囲まで?」
「? まぁその気になれば、街の東西南北一つぐらいは……。但し“眼”の精度や操作性と
いった部分は、飛ばした数と反比例しますが」
「い、一体何なんです? 何を急にそんな……?」
「そっ、そうですよ。何なんですか、隊長?」
「何か……いい案でも思い付かれたんですか?」
「ああ。ちょっと、ね……」
面々が、矢継ぎ早に質問を浴びせかける。
にも拘らず、冴島は寧ろニヤリと、ほくそ笑んでさえいて──。




