46-(0) 遠因(バックボーン)
集積都市が一つ、飛鳥崎の郊外。
先端インフラの檻から距離を置く──取り残されたとある集落の入り口で、筧はふいっと
肩越しに振り返った。警戒心で寄った深い眉間の皺は、今やその標準装備と化して久しい。
(……何だ?)
かつてスーツの上にコートを引っ掛けていた刑事の姿は、もう見られない。
彼はハンチング帽を目深に被り、袖なしベストにズボンといった、変装用の服装に身を包
んでいた。言わずもがな、自らの正体を隠す為である。普段はかけもしない伊達眼鏡もその
一環だ。
中央署の一件以来、自分を尾けていた冴島達に動きがあったのだ。彼が部下の半分を連れ
て、何処かへと去って行った──遠巻きに潜んでいた気配が、明らかに減ったのを感じ取っ
たのだった。
(まあ、目障りな連中が減ってくれるのはいいが……)
されど、内心のそんな憎まれ口とは裏腹に、実際に貼り付けていた表情は渋いままだ。
何の理由もなく、対策チームがあの男を下げる事はしないだろう。となると、それ相応の
トラブルが起きたと考えるのが自然だ。……嫌な予感しかしない。街の方に──七波君の身
に、何かあっただろうのか?
「……」
しかし筧は、そのまま街の方へ引き返す事はしなかった。
先日当の本人に、今後の心積もりを留守電に残したばかりだし、何より未だ面と向かって
話せる気がしなかった。心の整理がついていなかった。
それでも……失意のまま閉じ籠もってしまえば、この視界はどんどん暗く狭くなる。だか
らこそ多少無理矢理にでも、己を“外”に向けていた方がまだ建設的だろうと考えたのだ。
越境種もとい、改造リアナイザの被害者を巡る旅。
筧が独り足を運んでいたのは、かつて飛鳥崎を震撼させたテロリスト・井道の住んでいた
集落だった。由良と生前、一度聞き込みに訪れた地区でもある。
司令室の資料によると、爆弾魔のアウターの召喚主。
彼は急病に倒れた妻を、すぐに搬送に来てくれなかった集積都市に対し、強い恨みを抱い
ていたらしい。
……つまりは復讐だった。あの事件は大上段なテロリズムなどではなく、井道個人の復讐
劇と表現するのが正確であった。救命措置が遅れた結果、息を引き取った妻。井道はその無
念を、やがて集積都市の医療だけではなく、街そのものへの敵愾心として膨らませていった
のだろう。
その為に、違法なリアナイザを?
最初に資料を読んだ時は、正直そんな風に思ったが、今なら解る気がする。事実かねてよ
り飛鳥崎の水面下では、こうしたアウター達の力に取り憑かれた人間達が、多くの事件を引
き起こしてきたのだから。
自身も井道以前──対策チームによる一度目の記憶操作を受ける前に、期せずしてその一
端に触れようとしていたらしい。
尤も、これらが明るみに出た切欠が、井道の一件である点に変わりはないのだが。
(……あんまりじゃねえか。恨み辛みに付け入られた挙句、散々利用されてポイなんざ)
独り筧は集落の一角にある、かつての井道の自宅前に立っていた。事件以降、主のいなく
なった古い一軒家は、どうやら売りに出されてしまったようだ。
街に子供達がいるとの話も聞いているから、その内の誰かが厄介払いよろしく処分しよう
としたのだろう。ただ事の経緯もあってか、買い手がついている様子はなく、でかでかと地
面に打ち込まれた『売り物件』の看板の後ろで順調に廃屋化が進んでいる。
「……」
暫くの間、筧はじっと、この見捨てられた空き家を眺めていた。
あんまりじゃないか。
言っておいて、思い直す。そもそも自分だって当時は、井道が恨んでいた飛鳥崎当局側の
人間だったというのに。
「──誰だい、あんた? この辺りじゃ見かけない顔だな?」
ちょうどそんな時である。その場に縫い付けられたように、旧井道家を前にしてこれを見
上げ続けていた筧の背後から、ふと少なからず険のある声がした。眉間もろとも皺くちゃの
顔をした、集落の住民らしき老人だった。
……拙い。気配に振り向いた筧は、内心焦っていた。
こちらの正体がバレてしまったのではないか? 何せ自分は以前、由良と共にこの集落で
聞き込みを行っている……。
「え、ええ。市内から来ましたから」
「やっぱりか。てーことは、記者さんか何かかい?」
ええ、まあ……。だがどうやら、その心配はなさそうだった。この近付いて来た老人は、
変装した筧の姿をざっと眺めると、勝手に勘違いしてくれる。筧は下手に自己紹介する訳に
もいかず、はぐらかすように応じておいた。
もし自分が元刑事だと知られれば、間違いなく恨み節をぶつけられるだろう。「今更調べ
に? もう遅いよ……」老人は何処か遠い場所を見るような目をすると、おもむろに嘆息を
ついて話し始めた。
「この家に住んでた人のことは、もう知ってるんだろうが……。井道さんといってね。心臓
に病気のあった奥さんと二人で住んでたんだが、その奥さんを亡くしてからというもの、す
っかりおかしくなっちまった。かれこれ半年──いや、八ヶ月前くらいに行方知れずになっ
てそのままだったんだ。で、街で死体になって見つかった」
「……」
「二人とも、飛鳥崎に殺されたようなモンだよ。儂ら郊外の人間は、医者にもすぐに掛かれ
ない。本人にはもう訊けやしないが、井道さんも恨んでたんだろうよ。……街の方じゃあ、
デンノーセイメータイって化け物がうろついてるんだってな? 出元が街の連中らしいし、
もしかしたらとは思うが……。あんたらも精々、痛い目に遭えばいいのさ」
声色はあくまで淡々とした冷たいものだったが、老人が時折向けてくる一瞥は、間違いな
く筧こと街側の人間への憎しみだった。
井道ももしかしたら、その化け物によって命を落としたのかもしれない。それでも彼らが
同様にその牙を剥けられるなら、多少は留飲も下がろうものだと言わんばかりに。
「……」
筧は老人を直視する事が出来なかった。郊外民、集積都市の恩恵を受けられない者達の、
街に対する憎しみは、かくも依然として燻り続けている現実。
確かにアウター達は、蝕卓──街の者達が生み出した“罪”だ。
怪しいのは、リアナイザの製造・販売元たるH&D社だが……はたして人が取り締まる事
が出来るのだろうか? 相手はその内部まで、自分達当局に侵入を果たせるほどの組織力を
も兼ね備えている。今だって、どんな悪だくみを進めているか分かったモンじゃない。
老人の恨み節は、“新時代”に乗らなかった各々の自業自得と行ってしまえばそれまでな
のかもしれない。だがそうバッサリと、全てを切り捨ててしまうのはあんまり過ぎる……。
(……法を犯してでも、叶えたい“願い”……)
井道を始めとした、これまでの様々な召喚主達の背景を念頭に、筧はそんなフレーズを脳
内で復唱する。
悪イコール蝕卓。その点は間違いない。
だが筧は改めて、この一連の問題の根深さを思い知ることになったのだった。




