43-(2) 個人的パイプ
「ごめんなさいね。またそっちに、無茶振りをしてしまって……」
所変わって司令室内某所。職員達が普段忙しなくするメイン制御室を抜け出して、香月は
とある人物に電話をかけていた。飛鳥崎の地下に広がる灰色の迷路空間。その一角で壁に背
を預け、彼女は一人デバイスをそっと頬に押し当てている。
『気にすることはないさ。君の頼みとあれば。それに彼女のことだって、俺も個人的に心配
だったからね』
通話の向こう側、相手は健臣だった。都内某所の大臣室にて、彼は相変わらず政務に追わ
れる日々を過ごしている。
用件とは、先日香月が彼に依頼した、とある根回しのその後だった。飛鳥崎中央署を巡る
一連の企みを、期せずして破る切欠となった少女、七波由香の保護についてである。同市の
西部・玄武台高校に通っていた彼女を学園に転入させたのは、他でもない香月ら対策チーム
だったのだ。
ただでさえ彼女は、瀬古勇及びタウロス・アウターが関与した復讐殺人の重要参考人だ。
加えて今回の一件において、その素性が割れてしまった以上、その身に危険が及ぶであろ
うことは容易に想像できた。何より瀬古勇の暴走──その原因たる彼の弟・優の死が、同校
野球部の面々による苛めだと告発したのも彼女だと知られれば、復学しても彼女に最早居場
所は無い。
今後“蝕卓”からの報復を警戒する為にも、当の本人を自分達の手の届く範囲に置いてお
いた方が何かと都合が良い。
そんな理屈を、我らが司令官は、随分と自嘲めいて語っていたものだが……。
「……ありがとう」
だというのに、電話の向こうの彼は、今回も快くこちらからの頼みを引き受けてくれた。
それは何も自分と彼とが旧知の仲だというだけではなく、政府側としても“有志連合”との
パイプを維持しておきたいとの思惑があってのことなのだろう。或いは彼自身、もっと個人
的に無理を押してでも協力してくれているのか……。
しかし香月は、一方で尚も自分達対策チームの詳細や、この通信を外部に漏らさぬよう健
臣に念を押す態度ばかりを取っていた。未だ踏ん切りがつかなかったのだ。組織を代表して
コンタクトを取る身としても、かつての恋人としても。
二つ三つ、それからも互いに連絡事項を伝え合った。役所関係に手を回し、無事由香の転
入は済んだこと。彼女が告発者であることに気付き、目を血走らせる玄武台関係者達を、裏
で何とか黙らせたこと。
『そういえば。本当にいたんだなあ、例のヒーロー君。守護騎士だっけ』
故にふと彼にそう話題を振られた次の瞬間、香月は思わず電話の向こうで身構えてしまっ
ていた。ハッと息を呑むように押し黙り、話を逸らせる有用な返しを思いつかないのをいい
ことに、香月はもう一度向こうから紡がれる言葉をじっと待つ。
『最初映像を見た時は、何の冗談かと思ったけれど……あれが“現実”なんだなって。俺達
が知らない所で、化け物達は蠢いていたんだ』
「……」
『なあ、香月。あれは──睦月なんだろう?』
「っ!?」
何故それを!? 香月は思わず口を衝いて出そうになった。それらを必死になって呑み込
んで、されど電話の向こうの健臣は苦笑っている。本当に人の良い、優しい声音だった。
『以前、そっちに行った時に会ったんだ。ちょうど玄武台の事件があった後にね。結局二回
も、助けられてしまった』
あははは……。瞳を揺るがし、言葉の出ない香月に、代わって彼は続けていた。おそらく
ある程度予想はついているのだろう。それでもなるべく、彼女のひた隠しにしている部分を
無理に引き剥がしはしないように。
『ああ、俺達のことは大丈夫だよ。本人は気付いていないようだったから。正直、名前を聞
いた時には驚いたけども』
「……」
『俺が狙われたのは、全くのこっちの責任だったからな……。でも今なら納得がいく。例の
電脳生命体──尋常ではない怪人達に対抗する力も、また尋常なそれではないってことか。
まさか君があんなものを作り出しているとは、流石に予想外だったよ』
「健臣……」
胸が軋む。それは間違いなく罪悪感だ。
今は全く別の組織に属する者。私情を交えて判断を誤らせるべきではないことぐらいは解
っている。それでもあの時と変わらずに自分を信頼してくれ、且つ応えてくれる彼に、一体
自分は何を返せたのだろう……?
『すぐにとは言わない。あの子が選ばれたのも、何か事情があるんだろう。本人だってもう
十六歳だ。何が良くて何が悪いのか、少しずつでも理解してくる頃合いだしね。俺は君達の
判断を、尊重するよ』
違う──。ぎゅっと声を押し殺して唇を結び、香月は頭の中の言葉達を必死に支えようと
した。伝えるべきこと、許されている範囲があるのなら、話さなくてはとさえ思った。だが
それでも真っ白に混線し、意識の大部分に迫るそれを彼女は中々口に出来なかった。つうっ
と静かに、涙だけが頬を伝う。母親としての自分が、技術者としての自分を責める……。
電話越しに、健臣は更に続けた。近々政府内でも一連の事件に対して動きがある。今はま
だ公式に表明できない──先ずは外堀を埋めてからでなければならないが、もしメディア等
で部分的にでもすっぱ抜かれていたら、そういうことだと思っておいてくれと。
(健臣……)
香月は思う。ズズッと涙と鼻をすする。
本来なら自分の夫になっていた、理解あるパートナー。しかしかつてはそんな思い描いた
未来も、他ならぬ自分の我が儘で投げ捨ててしまった。本当によく似ている。他人に対する
ディール無しの優しさと信頼。それが彼とあの子の良い所でもあり、時には悪く働いてしま
うこともある……。
『だからね、香月』
そして悶々とそう香月が思いを巡らす中で、電話の向こうの健臣は改めて訊ねてきた。先
ほどまでとは声色を、やや真剣なそれに変えた上で、せめて“外堀”だけでも知りたいこと
は知ろうと語り掛けてくる。
『君達有志連合自体のことを、もう少し教えてはくれないか……?』




