43-(1) 明けの動揺
「ねえねえ、聞いた?」
「ああ。見た見た!」
夏休み明けの学園、新学期。
久しぶりに勢揃いしたクラスメート達は、登校した傍から酷くざわついていた。教室のあ
ちこちで何やら興奮し、或いは若干“お腹一杯”な様子で、先日からの話題を引き合いに出
している。やや弛緩した場の雰囲気は、ただ学期替わりの心機一転と、休みへの未練から来
ている訳ではない。
「本当……凄かったよなあ」
「飛鳥崎は、これからどうなっちゃうんだろう……?」
原因は他ならぬ、先の中央署を巡る一連の動きである。
同僚殺しの容疑を掛けられ、逃走していた刑事・筧の当局侵入と、彼によって暴露された
“敵”の存在──怪人こと“電脳生命体”なる者達の暗躍。それまで知る人ぞ知る噂話とし
てのみ語られていた化け物達が、飛鳥崎当局や政府、国内外を巻き込んだ現実として白日の
下に晒された時の衝撃たるや。
越境種こと電脳生命体──都市伝説は本当だった!
そんな彼らを狩る、正義の味方・守護騎士もまた、実在していた!
しかしその怪物達に、当局が半ば乗っ取られていたという事実。これから自分達は、一体
何を信じてゆけばいいのか……?
『……』
雑多なクラスメート達のざわめきに耳を澄ませてみるに、大よそはそんな所。
夏休み明けのこの日、同じく登校していた睦月や皆人、アウター対策チームの仲間達は、
このざわめきの中でじっと気配を殺すように佇んでいた。或いは自身の席に着き、さも身を
護るかのように、突っ伏し気味の姿勢を取っている。
「参ったな……。こんなに皆が噂しているなんて」
「想定の範囲内だろう? 作戦を立てた時点で、こうなるリスクは承知していた」
お互いそれぞれ前後の席で、睦月と皆人がヒソヒソ声に話していた。手元に置いたデバイ
スの画面内でも、パンドラがふよふよと二人を心配そうに見上げている。
案の定、先の一件以来、周囲は自分達の話で持ち切りだった。その中でも特に正体を探り
たがる側の眼は、今後対策チームとして活動する際の枷になり得る。
仕方ないさ……。尤も過ぎた事だと既に諦めが勝っているのか、この司令官にして親友は
といえば、今回も早々に私情を挟まないよう努めていたが。
「ネット上に戦いの様子が出回ってしまった以上、そう遠くない内に特定される筈だ。こち
らとしてもなるべく、引き延ばせるよう工作はするがな」
「……うん」
申し訳なく思うのは、守護騎士姿の自分より、めいめいのコンシェルと直接同期・召喚し
ていた皆人達だ。睦月はか細く返事をする。こと普段からいちプレイヤーとしてTAを遊ん
でいた宙や仁は、より周囲に気付かれる可能性が高いのではないか?
思って、ちらりと教室の向かい側を見る。ざわざわと、自分達の噂話で盛り上がっている
クラスメートらの塊を縫って、当の海沙や宙、國子や仁などがそれぞれの友人達と談笑をし
つつもこちらに視線を返してくれる。ひっそりと、周りに気付かれぬよう“いつも通り”に
振る舞う姿だった。
なまじ今日は新学期。休み中もよほど頻繁に会う仲でもない限り、小さな変化をも他人は
敏感に嗅ぎ取ってしまう。
『で、でも。今ならまだ、皆の心証は良い筈ですよ? だってマスターは、街を奴らの手か
ら解放したヒーローなんですから』
「ははは……。だけどまあ、確実に状況は変わってるのかな? この前ニュースでやってた
けど、何だか近い内にH&D社へ捜査が入るって」
それでもこちらの心中を察してか、どうにかフォローしてくれようとするパンドラ。
睦月は明らかに繕ったような苦笑いを零してはいたが、自ら口にしたように表向きの潮目
は確実に変わっている。先日スクープとして報じられた、敵本丸へのメスがその一例だ。プ
ライド一派に蝕まれ、その信頼も失墜して現在混乱中の飛鳥崎当局。そんな彼らに代わり、
政府のある首都集積都市から、捜査チームが派遣されるのだとか。
同社はアウター達を生み出す苗床、リアナイザの製造・販売元だ。
これで供給の大元が断たれ、連中への取り締まりが進んでくれればいいのだが……。
「どうだろうな。俺は寧ろ、逆の印象を思っているが」
しかし対する親友・皆人は、そんな何とか不安を繕おうする睦月に対して冷淡だ。一見す
れば思いやりに欠けるような言い方だが、その懐疑的な態度にはいつも必ず理由が在る。
「違法改造の証拠があるかどうか以前に──奴らには、洗脳能力を持つグリードがいる」
『……』
そうなのだ。どれだけ奴らの正体が公にされ、正式に捜査のメスが入ろうとも、相手は文
字通りの化け物。個々の能力が事細かにバレていない以上、対世間的には誤魔化そうと思え
ばまだ何とでも誤魔化しが利く。
「それより──」
だがちょうど、そんな時だったのだ。思わず睦月とパンドラが押し黙ってしまい、皆人が
続いて何かを言い出す素振りをみせた次の瞬間、ふと教室の扉が開いた。ガラガラと片手で
引き戸を、もう片方の手で出席簿のタブレットを抱えた、丸眼鏡の女性教諭──トヨみんこ
と担任の豊川先生である。新学期を迎えても、ふわふわのんびりとした雰囲気は相変わらず
のようだ。
その姿を認めて、ぱたぱたっとそれぞれの席に戻ってゆくクラスメート達。
彼女はそんな久しぶりの教え子達を、ウェーブの掛かった髪を軽く揺らしながら見渡す。
「はいはーい。皆さんおはようございまーす。お久しぶりですねー。ではホームルームを始
める、その前に~……。今日は皆さんに、転校生を紹介しますっ」
ざわ……。故に直後教室内は、にわかに緊張に包まれた。或いは男子女子を問わず、ミー
ハーな者達が醸し出す好奇心だろうか。
転校生? こんな中途半端な時期に?
睦月や海沙、宙、仁といった他の仲間達もこれに交じり、怪訝に疑問符を浮かべている。
思わずざわめいたり、顔を見合わせていた面々の中で、何故か皆人と國子だけは努めて平静
を保つようにきちんと座っている。真っ直ぐに正面──豊川先生の立つ教壇と、扉の方を見
つめている。
「ささ。入って来て、入って来て♪」
「し、失礼します……」
『──!?』
だからこそ次の瞬間、そう彼女に促されて入って来た人物の姿に、睦月以下クラスの面々
は度肝を抜かれて。
ガラリと、控えめに再び開けられた扉から、酷くおっかなびっくりで正面に立った足音。
玄武台の緑鉄色ではなく、白と空色を基調としたシャツ──学園の制服に身を包んだ、短め
のおさげをゴムで結わった素朴な印象の少女。
「は、初めまして! きょ、今日からお世話になりますっ、七波由香ですっ!」
『……』
絶句する。睦月達にとっても、他のクラスメート達にとっても、彼女は嫌でも見覚えのあ
る人物だったからだ。それは当人も重々解っているのか、自身のガチガチの緊張をごり押す
かのように、予め何度も復唱していたと思しき台詞をぎゅっと、目を瞑ったまま一気に捲し
立てる。
元玄武台高校一年・七波由香。
他ならぬ先の中央署の一件の際、筧に決死のSOSを残した、渦中の人物である──。




